第二話 Love is blind.
「……ティムだ」
ホテルの廊下から息を潜めて様子を窺っていたバレットが呟く。
男性がノックしたドアを開いたのは確かにティムだった。男性はドアを開けたティムを見て、まるで幽霊でも見たような顔をした。
「ティ……いや、君が……」
「寝てるから、静かにね」
ティムはし、と指先を立てて、彼らはそのまま部屋に入っていく。
「ど、どうしよう」
「……仕方ない。バレないと思うけど……」
ポケットから鉛玉を取り出してドアの下に転がす。
「こっち! 隠れられるぜ!」
東野が手招いた場所は、シーツやタオルが山積みにされている部屋だった。男子高校生四人が入ってぎりぎりだが、ここからならバレットの鉛は届く。
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「す、すまない。彼を探していたものだから」
「ティムを?」
男性は額の汗を拭いながら頷いた。アクセントは少し特徴的だが、随分と流暢な日本語で話している。
「おじさん、もしかして……奥さんも探してる?」
「ど、どうして……いや、その、いや……」
汗をふきながら松風の問いかけを誤魔化す。視線がリミッターを探していたが、皆本の作ったリミッターは知らぬ人にはただのアクセサリーにしか見えないだろう。
普通人の子だと判断したらしい男性は、逃げるように去って行く。
「いや、人違いだよ。すまない、僕はもう行くね」
バレットは思わず立ち上がっていた。
立ち止まっただけで止まってしまったバレットの背中を、カガリが叩く。
「……見失うぜ!」
「僕がいるから顔は覚えてるよ」
「うし! 尾行だ!」
瞬間映像記憶能力を持つ松風がいるのだから、尾行は容易だった。バレットが立ち上がったときすでに彼を目で追っていたらしい。
彼が入ったのは、駅から少し離れた巨大なホテルだった。
「すげー、王国ホテル」
「ここに泊まってんの!? ティムのやついいなあ!」
豪華客船暮らしのカガリが何かを言っているが、東野の感想は心からのものだろう。
客に紛れて忍び込み、松風が階を特定する。
そのままその階に階段で駆け上がれば、丁度ティムが部屋から出てきたところに出くわした。
**
リミッターを解除する。すぐに皆本と賢木に通達が行くだろうが、彼らが来るまでには時間は取れるだろう。
「──跳弾道結界!長距離モード!」
「声潜めろよ!」
「何それカッケーな!」
「必殺技は叫ぶもんだろ」
「お前マジで馬鹿!」
カガリには怒鳴られたが、鉛玉は問題なくドアの隙間をくぐり抜ける。鉛を細く伸ばし、蛇のように長いカーペットの毛を掻き分けて部屋の中に触覚を伸ばしていく。
「何してんの?」
と、東野。
「部屋の中の様子を見てる……ティムは俺の能力知ってるから、慎重にいかないと」
ホテルの備品を傷つけるわけにもいかず、鉛を細く伸ばして床を這わせ、ベッドルームを探す。
「すげえなあ。バレットのって合成能力?」
「皆本さんが言うには念動力をベースに接触感応と遠隔透視、あと軽く予知能力が混ざっているらしい」
「えっ、そうなのか? 予知も?」
カガリが驚く。
「超度2もないくらいだけどな。この間皆本さんの実験のバイトした時教えてもらったから、多分そう──っと、見付けた! 凄い広いなこの部屋……」
王国ホテルの最上階ちかくともなれば、流石にスイートルームとかいうやつなのだろうか。
ティムと男性が向かい合って立っている。
男性の方は動揺したまま、ティムと何かを離している。
ティムはじっと彼を見上げて──。
「えっ……」
バレットは思わず声を上げ、勢いよく飛び出した。
「何で……!」
「お、おいバレット!?」
鉛で内側からシリンダーをひねり、部屋に飛び込む。カガリと東野と松風もあとから部屋に飛び込んできた。
「ティム! 何を──」
男性はぼんやりとソファーに座り込んでいた。寝ているだけのように見えるが、催眠を掛けられた状態なのは間違いなかった。 ベッドの上には、女性──イサベルが昏々と眠っている。
「お前等何でここに! 松風まで!」
「そんな話は後だ! どうしてだ、ティム……。能力を無抵抗の普通人に向けるなんて……」
ティムが視線を下に向け、媒介に使っていた鉛を見付けて舌を打った。
「気付かなかった。待って、これ見てくれよ」
「ティム! 話を逸らさずに説明を──」
「おい」
懐に手を伸ばしそうになったバレットを止めたのは、東野の腕だった。
「バレット、落ち着けよ。ティムにも理由があるんだろ? な?」
最後はティムに問いかける。ティムは毒気を抜かれた表情で頷く。
「説明する……ちゃんとするから」
まあ、座れば? とティム男性が眠っている方とは別のソファーを指さす。カガリがバレットの腕を引いて座らせた。ティムはイサベルの眠るベッドの隣に腰掛けた。
ソファーの真向かいには、大きなテレビがある。
「……催眠を勝手にかけたのは悪かった。でも、そうしないとこの人達マジで俺のこと息子扱いしそうでさあ」
苦み走った顔でそう言いながらティムがテレビを付ける。
そこに映っていたのはコメリカのホームドラマやヒューマンドラマに出てきそうな典型的な郊外の家だった。中学くらいのときに一時期みんなで嵌まっていた洋画でよく観たような、平和そのものの家だ。”フェイクマン・ショー”だとか、”ノー・マン”とか”マダム&サージョーンズ”とか。
そう思ったのはバレットだけではなかったようだった。
「うわ、”フェイクマン・ショー”みてえ」
と、東野が漏らす。カガリが首を傾げた。
「何だそれ」
「え、観てねえの? 面白いぜ。ちさとがBlu-ray持ってるから今度貸すよ。面白いから一緒に観ようぜ」
「僕も見たことないや」
「松風も? じゃあみんなで観ようぜ」
隣の三人がひそひそと囁きあう。
「えっ、俺も観たい」
友達と映画鑑賞なんて青春っぽいこと、是非体験したい。それはティムも例外ではなく、ぱっと食いついた。
「俺も!──じゃねえよ! ちゃんと観ろよ!」
「観ねえの?」
「観たいけどさあ! 違うっての! この人達が見てる催眠を! こっちに映したの!」
まるで呼ばれたかのように、画面の中の幼子がカメラに向かって手を振る。その視線の先には、今、ソファーで眠って居るままの姿の男性がいた。
色素の薄い髪に水色の髪の幼い少年は、母の腕に抱かれて屈託なく笑っていた。庭先に立つ父親は、それを見て、愕然と崩れ落ちた。
──ティモシー、私の子……。
男は呻き声を上げて、驚いて駆け寄る幼子をきつく抱き寄せた。
──ああ……。もう一度会えるなんて……。
「ちょっーと寝てもらうだけのつもりだったんだよ」
息子を中心に家に帰っていく三つの後ろ姿の画面を見ながら、ティムは口を尖らせた。
「ちょっと帰るの気まずかったけど、知らない人と居る方が気まずいし……勢いで来ちゃったけど、陰キャのクソオタにはちょっと……。寝てもらおうと思って催眠、ついかけちゃったんだけど……」
カガリと東野がじとっとした目でティムを睥睨した。バレットは心底気持ちが分かる。
「わかる」
「だよな! ちょっとハードル高い……」
「お前らさあ」
「ダメダメだ、こいつら……」
「僕より酷いぞ」
カガリが呆れた溜息を吐く。その上東野に首を振られる。松風にまでしみじみ言われて、心底イラッとする。
「でもこれ、ティムじゃないよな?」
松風は画面の中のティモシーを指さして告げる。カガリも追随して頷く。
「おかしいとは思ったんだよ。お前ちょっとNY訛りなのに、この人達は違うもんな」
画面の中のティモシーは母に甘えながら、サンドイッチをほおばっている。
よく見ればカガリの指摘の通りだった。色素の薄い色の髪に空色の目、よく似ているが、ティムとはどこか顔立ちが違う。東野が画面の中のティムと”ティモシー”を見比べて首を傾げた。
「ティム。眠らせたいだけだったのに、なんでずっと催眠かけっぱなしなんだ? お前が最近すぐに帰ってたの、この人に催眠を書けるためだったんだろ?」
東野の言葉に、ティムの顔色が変わる。
しばしの沈黙。ティムは、ゆっくりと口を開いた。
「……この人達はさ、きっと心から愛していたんじゃねえかなあ。息子のこと」
「十年前に、超能力事故で亡くした息子をかい」
差し込まれた声の方を振り返ると、スーツ姿の皆本がドアを開けて立っていた。
「皆本さん……」
「バレットのリミッター解除の通達が来たから、どうしたのかと思ってきてみたんだ」
皆本はぐるりと周りを見回して、大体の状況を把握したのだろう。
テレビ画面に映ったホームドラマの映像に眉を顰める。
「ティム、無抵抗の普通人へ超能力を使うのはいけないことだ。分かってないわけがないだろう」
「この人が俺をティモシーだって言い張るからだよ。それに、起きてこないのは俺のせいじゃない……」
ティムは目をそらしながら呟くように反駁する
「……ティモシー・ムーア。十年前に超能力の暴走で亡くなっている。超度六相当の瞬間移動能力者だった」
それに、と皆本は眉を吊り上げる。
「イサベルさんに催眠をかけたのをいいことに、最近ずっと深夜までゲームをやってたな?」
「あ、どうりでレベルが上がるのが早いと……」
ボイスチャットでそれを薫と話をしていたのだが、皆本に聞こえていたのだろう。
「バ、バレット!!」
皆本がふう、と溜息を吐く。
「ティム。……君は知ってたんだね。彼女が本当の母親じゃないってことは、最初から」
「この人が”母さん“なら良かったのにな、とは思ったよ」
視線が眠り続ける女性に向く。バレットは思わず画面の中の親子の姿を見た。
ティムの催眠は夢物語。ティムの作り上げた物語の世界に、”登場人物“を放り込む。登場人物は、その世界が催眠によるものだと分かっている。それでも、虚構の物語に没入するのは楽しい。
あり得ないからこそ、夢に溺れてしまっているのだろう。
──画面の中の二人が、酷く幸福そうなのがバレットの胸を突いた。
「そのティモシーは、二人の記憶の中から引っ張ってきたんだ。本当に、ちょっと良い夢みて寝てもらうだけのつもりだったんだ……」
ぐしゃり、と髪をかき混ぜて呻く。
「それでもいいんじゃないかなあ。夢を見たまま、俺をティモシーだって勘違いして、俺の催眠に掛かったままの方が、この人達ずっと幸せなんじゃないかなあ!」
叫ぶような訴えに気圧される。彼らにかけた催眠で、ティムが何をみていたのか、バレットには分からない。
普段斜に構えていることの多い彼がこれほどに声を荒げ、皆本に訴えるのは初めての事だった。
カガリも東野も松風も、ぎくりとして身を固くする。
「ティム、それは駄目だ」
皆本は膝を突いて、俯く彼の顔を覗き込んだ。
「君は自分で自分が”ティモシー”じゃないと分かってるだろう。この人達も君が違うと、心の奥ではちゃんと理解している。今は目を背けてしまっているけれど」
「でも、でもさあ!」
ティムの青い目に涙の膜が張った。それは零れることなく、皆本を見上げる。
「目を背けた方が良いことっていっぱいあるじゃん! 見えない振りして、聞こえない振りして、生きてかなきゃ生きていけないことだってあるじゃん! 末摘さんの催眠とこれは何が違うのさ!」
「ティム……」
胸元を掴み上げるティムの肩を掴む。ティムとしっかりと目を合わせながらも皆本は毅然と首を振った。
「だめだ。それは君がやるべきことじゃない。うちに帰ろう、ティム」
それは張り詰めたバネが弾けるような勢いだった。窓が軋み、壁が音を立てる。身を守る術のない東野と松風が、直接に圧力を受けて呻く。
それに一番慄いたのはきっとティムだった。東野と松風の呻き声に、ティムの身体が反射的に後退る。
「っ、家なんて、俺には!」
そう言って窓から飛び出したティムが、誰よりも一番、泣き出しそうな顔をしていた。
三話に続く