SKELTON IN THE TOYBOX 完

エピローグ So Long Farewell さようなら、ごきげんよう

 ティムのそれとは別タイプの購入者特典の目覚まし時計が鳴る。チルチルの劇場版最新作を見たときと同じような目の熱さを感じながら意識が浮上していく。
「おはよ」
 目覚まし時計のアラームを止めたバレットが、こちらも真っ赤な目で起き上がる。
「……おはよ」
「ティム、目赤い、声もがらがら」
 もぞもぞとタオルケットを蹴り退かしながらベッドから降りる。
「学校行く前に冷やさないとな……冷凍庫に氷枕のちっさいのあったっけ……」
 まだ眠気の引かない声でバレットがのそのそとリビングに出ていく。
 バレットを引き留め損ねて、ティムは口をひん曲げた。
──ど、どんな顔で出て行けば……。
 目元がはれぼったいのも、喉が妙にかさついているのも確かだが、それよりも出来れば側に居て欲しかったのが本音だ。
 一生分泣いたような気がする。それも、映画やアニメで感動したとかではなく、感情を思いっきり昂ぶらせてのそれは、ティムには実のところあまり経験がない。
 顔から火がでるほど恥ずかしい。それなのに、すっかり胸のもやは晴れている。
 リビングから三人の声が聞こえてくる。
 お、おはようございます、皆本さん。賢木センセイ。
 おはようバレット。って、うわ。
 やっぱり目え赤いなあ。冷やすものある?
 二つください、センセイ。ティムが俺より兎みたいになってるんで。
「……だれが兎だよ」
 ティムは部屋の向こうから漏れ聞こえてくる声に突っ込んで立ち上がる。
 皆本の声は、朝はちょっと忙しなくなる。いつも遅刻ぎりぎりのザ・チルドレンを叩き出していた名残だ。
 賢木は朝は眠気がぎりぎりまで覚めないタイプで、やっぱり今日も眠たげだった。
 ティムは頬を叩いて起き上がる。
「あ、ティム」
 ドアをおそるおそる開けようとしたところで、バレットが丁度戻っていた。
「氷嚢と水、センセイが用意してくれてる」
 肩を押されてそのままリビングに連れ込まれる。まだ心の準備も出来ていないのに! と訴える事も出来ずに俯いていると、呆れたような声が掛かった。
「おはよう。二人とも遊んでないで顔を洗っておいで」
「おう、おはようさん。珍しくティムの髪がへたってるな」
 髪の毛に触れれば、賢木の言うとおり形状記憶が若干弱まっている。
「バレット、スクランブルエッグと目玉焼きどっちが良い?」
「半熟の目玉焼きがいいです!」
 顔を洗うバレットが洗面所から声を張り上げる。
「ティム、家出るまで瞼を冷やしておくと少しはマシになるぞ」
 既に朝食は食べ終えているらしい賢木が氷嚢をティムに投げて寄越す。
「あ、は、はい」
「ティム。君は? パン要る分は自分で焼いてくれ。僕と賢木はもういただいたから君たち分な」
「は、はい。スクランブルエッグがいいです」
 バター多めでふわふわとろとろのスクランブルエッグは、この家の朝の定番だ。バレットの分と
自分の分で四枚、皆本の好みで四枚切りの食パンをオーブンに納める。葵が「皆本はんの買うパン、めっちゃ厚いねん。実家やと八枚切りとかするねんけどな」と分厚い食パンをかじりながら笑っていた。
 ケーキもチキンも焼けるオーブンは火力が強く、既に中が温かいので心持ち短めに。冷蔵庫の中には牛乳パックしかないので、オレンジジュース派のバレットには我慢してもらおう。
 氷嚢を瞼に当てながらグラスに牛乳を注ぐ。濃いめの味にパッケージを見れば、いつもは高くて買わない方の牛乳だった。
「あ……おいしいやつだ」
「だろう? 丁度スーパーで安くなっててさ」
 皆本がフライパンを振りながら満足そうな顔をする。
 洗面台から響いていた電動シェーバーの音が止み、ようやくしゃっきりした顔のバレットが顔を覗かせる。
「洗面所空いたよ」
「あっ、俺髪の毛も洗いたい」
「急げよティム、もう七時になる」
 時計を見れば、皆本の言うとおりもう出発すべき時間が近づいていた。ティムが慌てて洗面台に飛び込む。
 急がなければ朝食を食べる時間もない。
 シャワーを浴びて飛び出し、ご飯を食べる。
 ホテルのバイキングよりも温かい。弁当を渡されて鞄にしまい、靴を履く毎日のルーティーン。薫たちも加わっていた中学の頃よりは穏やかになったが、それでもやはり騒々しい。
「あ、今日放課後にムーアさん達と話するからな」
「っ、はい!」
 ぎくりとしたティムに、手を拭いながら玄関まで出てきた皆本が笑う。
「そんなに大変な話にはならないよ」
「……僕も、謝らないと」
「俺も付いていっていいですか?」
「構わないよ」
 バレットの提案は快諾され、ティムはホッとする。
「じゃ、いってらっしゃい」
「ガクセーも大変だな。いってらー」
 リビングから椅子をのけぞらせて顔を覗かせた賢木が手を振る。
 バレットが時計を見て、慌ててエレベーターを呼ぶ。いってきまーすと駆けていくバレットを追う前に、ティムは足を止めた。
「皆本さん、センセイ」
 あんなことがあった後の朝なのに、三人ともあまりに普通に過ごしていた。それが彼らの答えだった。
 ちょっと喧嘩して、家出して、仲直りしただけだ、と伝えているのが分かる。
「ティム?」
 謝礼も謝罪も不要だということだ。
「いえ……、あの。いってきます」
 皆本はにこりと笑ってティムを送り出す。
「いってらっしゃい」

**

「あっははは、目ぇ真っ赤じゃねーか! 二人とも!」
 教室に入った途端にぶはっ、と一言目に吹き出した東野がティムとバレットの顔を指さして笑う。
「人の顔に指を差すな」
 火野に叩きおとされた指を素直に納めながらも、東野は楽しげに笑いながらティムの肩を掴む。
「うわ」
「へへ、元気になってんじゃん。昨日よりすげー顔色いい」
 がしがしと頭をかき混ぜられてティムはたたき落とすこともできずに為すがままだった。
 火野と東野と松風には神妙に謝るつもりだったのに、上手く切り出せない。
 助けを求めにバレットの方を向けば、火野と話し込んでいる。
「あの後なんかあったのか?」
「ああ、皆本さんと賢木センセイがさ……」
「やっ、やめろぉ!」
 バレットが詳細を話そうとするのと必死に止めて、ティムは首を振る。
「言わないでくださいぃ」
「わ、何何、修羅場?」
 教室に入ってきた松風が団子のようになっているティムたちを辟易とした顔でみる。
「あ、松風だ」
「はよ。あ、ティム目真っ赤。冷やしたら?」
「一晩中冷やしたんだよ……、なんなら多分センセイの生体コントロール使ってもらってこれ」
「あっ、皆本さんたちと仲直りしたんだ」
 ティムの赤くなった瞼を柔く摘まんで松風が破顔する。それが思いの外嬉しそうで、ティムは首を傾げた。
「何でお前が嬉しそうなんだよ」
「え、まあ、うん」
 へへ、と松風が笑う。
「なんとなく」
 バレットが松風を小突く。バレットまでどこか嬉しそうでティムは首を傾げた。
 そこへ丁度ザ・チルドレンの四人と花井、澪とカガリとパティが顔をだす。
「なんや、楽しそうやなぁ」
「廊下まで聞こえてるわよ」
「東野くんおはよ」
「うるさいってーの」
「ねえパティ、写真とるの止めてよ」
「これを撮らない選択肢がないわ」
 高校一の美少女集団の登場にティム達以外の男子生徒がざわめく。
「ティム!」
 薫がにかっと笑う。初めて会った頃から変わらない凜とした声にティムは思わず頬を染めた。
「アタシたちは仲間なんだから、あんまり遠慮するなよな」
「せやで」
 葵の隣で紫穂がだまってにこりと笑う。いつもはストッパーの雲居までがはっきりと頷く。
 彼女たちの手にかかれば、きっと何でもできるだろう。
 ティムが何か答えるより先に予鈴の鐘が鳴る。
 女王の貫禄を纏っていた少女は、それにぱっと顔色を変えて、遅刻しかけの女子高生らしく慌てて教室へ駆けていく。
「おっかねーな」
 くす、と火野が笑う。
 嵐のような少女たちにぼうっとしていた生徒達がざわめきを取り戻して三々五々に散っていく。
 その喧噪に紛れるように、ティムが漸う口を開く。
「……迷惑掛けてごめんな。松風も、東野も怪我してない?」
「してねーよ。スパイ作戦みたいで楽しかったぜ」
「むしろ俺はちょっと礼を言わないといけないかなあ……お前らに」
「はあ?」
 ティムがきょとんとしているのを見て、松風はにやりと笑う。
「俺の話だから、お前らは気にするなよ」
 松風が何故か満足そうにしていることを不可解に思っていれば本鈴と共に担任教諭が顔をだす。
「日直ー、朝礼するぞ」
 日直は火野だった。穏やかに進む日常。
 普段通りの毎日が、今日は少しいつもより鮮やかに見えた。

**

「ティムくん」
 わざわざ来てくれたのね、と驚くイサベルに、ティムは頷いた。皆本と賢木は仕事がある。バレットやザ・チルドレンにも何も言わずに来ているので、彼女たちの見送りはティム一人だった。
「迷惑かけたから」
「迷惑を掛けたのは私達の方だよ」
 彼女に寄り添う男性が首を振って、腰を屈めてティムに目を合わせた。
「すまなかった」
「ううん。ティモシーでいるの、なんだか新鮮で楽しかったんだ」
 ティムははにかんだ。
 あの日、B.A.B.E.Lの応接室でムーア夫妻は心底打ちのめされた顔でティムに謝罪した。
 ティムはてっきり騙していたことを烈火の如く激怒されるのだろうと思っていたから拍子抜けした。思わずこっそり尋ねた皆本が答えるには、「もしそんな人だったら、僕たちが君を任せようとは思わない」とのことだった。
 コメリカの研究所から提出されたDND鑑定の結果もそこで開かれ、ムーア夫妻との血縁関係は99.9%の確率で否定された。
 その上で、迷惑を掛けたことを彼女たちは皆本とバレットにも真摯に謝罪していた。
 ティムは彼女たちの誤解をはっきり否定していなかったことを後ろめたく思いこそすれ、決して怒りなどもっていなかったので、何故か同席していた桐壺の鶴の一声で和解となった。
 その上で、ティムはティムとして空港に立っている。
「息子として愛される、って不思議な気分だった。きっとティモシーは幸せだっただろうな、って思うな」
「……確かに、君は私達のティモシーではなかった。でも、今からでも親子になることはできないかな」
 そう申し出る人からは、心からの善良さを感じた。
「ううん。大丈夫。僕には愛してくれる父親も母親も元々居なかったみたいだけど……。今は、帰る家も、家族みたいに思ってる人たちもいるし」
 それに日本オタクの聖地から離れるのはちょっとアレだし……とかっこ悪い本音は仕舞い込んで笑う。
 ちょっとの間、ティムの母親だった人が、ティムを強く抱きしめる。柔らかく暖かで、ふっと心の奥がほどけるような親愛を感じる。
 でもそれは、本当はティムはもう既に知っているものだった。
 コメリカ行きの飛行機が大きな音を立てて離陸するのを見届けて、ティムは踵を返す。
「あっ、こっち来るぜ」
「退避!」
「馬鹿、東野邪魔!」
「松風、早く行け!」
 ティムは一瞬空を見上げて、ふっと笑う。
 底抜けに青く高い空に銀色の点になった飛行機が吸い込まれていく。離発着場の向こうで伸び上がる入道雲は太陽に照り映えて真っ白だ。
 生ぬるくて穏やかな風が頬を撫でていく。
「なんで居るんだよ!」
 顔を引き締めたティムはずかずかと声の方へ向かっていった。

 

 

SKELTON IN THE TOYBOX  完

2022年6月7日