忍び使いの一族 月影

月影

屋根裏に現れた気配に意識が浮上した。親しんだ気配の主はおのずと察せられる。己のもっとも信を置く忍隊隊長のものに違いない。目を開けずに匂いを嗅ぐと、薄らと血の匂いが漂ってきた。分かっていたことだが、難儀な任務であったらしい。潜入任務で佐助が血のにおいをつけて帰ってくるのは珍しい。明日は報告を聞きながら労ってやらねば。
――などと考えていると、驚いたことに気配が枕元まで下りてきた。普段なら屋根裏から降りてくることなどないというのに。
「あーあ、気持ちよさそうに寝ちゃって」
囁く声がかすかに耳を擽った。俺が覚醒していることなど気付かずに佐助は枕元にしゃがみ込む。
佐助の聴音鼾術すらだまくらかす己の空寝に痛快な気持ちが懐いた。悪戯が成功したようなむず痒いおもはゆさに、子どものころを夢想した。
「一回寝たらよっぽどのことがないと起きないよねえ」
佐助が気付かぬだけで毎回起きているのだぞ。忍を使役し続けてきた真田の宗家次男を舐めるな、と心の中で言いかえす。
しばし、覗き込むような気配がしたあと、ため息のように佐助が囁いた。
「俺様だって……旦那の事は大事だぜ」
瞼が音を立てるほどの勢いで俺は空寝をしていたことも忘れ思わず目を開いた。
さやかな月影の中で度肝を抜かれた佐助とばっちり目があった。
「だっ、大将!?起きてたの!?」
「うむ……い、今起きたところだ。それよりも佐助!今のは何だ!」
「な、なんでもないよ!」
差し込む月影ではっきり見える慌てた様子に、俺は思わず目を丸くした。
いつもの佐助だ。否、俺が武田を背負う前の佐助だ。
お館様がお倒れになって以来、急に遥か昔の取りつく島もない佐助に戻ったように見えた佐助が、元の佐助に戻ったように見えた。急に安堵が懐く。
夜が明けたら戻ってしまうような気がして言葉を重ねる。
「なんでもないとはどういう事だ?」
「旦那には関係ないッ!」
「俺のことが何だと?」
「大谷の旦那が盛大に惚気てくれたから俺様もつられただけ!」
「ほう、佐助が大谷殿に対抗心を。俺のことでか」
嬉しくなって笑うと、佐助は耳まで真っ赤にして屋根裏に飛び去った。
こらえきれずに腹を抱えて笑っていると、何事かと不寝番が飛び込んできたが、なんでもないと下がらせた。
「そうか、俺はお前に好かれておったか」
思わず呟くと、どこで聞いていたか手裏剣が俺の眼の前をよぎって柱へ突き刺さった。
それは、武田軍に西軍からの勧誘の使いが来る、わずか三日ばかり前の、月と星の見事な夜のことであった。