お帰りなさいが言えた日

「──木ノ葉丸、お前暗部にいたのか」
 手の中の書類の中にならぶ名前は何度見直しても変わらない。思わずこぼれた言葉に目の前の愛弟子はきょとんと目を丸くした。
 首が縦に振られるのが恐ろしいような気持ちでナルトは手の中の巻物を見下ろした。
 そういえば、そのわずかな兆しはあったのだ。
 暗部総隊長として六代目を支えたヤマトを屈託なく隊長と呼ぶ姿。柱部として再編された暗部の現隊長であるサイを恐れるでもなく話しかける姿。いつの間にか仲良くなっていたんだな──と喜びこそすれ気にとめていなかったそれが、線となって答えを導く。
「……言ってませんでしたっけ」
 目を上げれば、微苦笑を口元に燻らせた弟分がいた。自分の腰までしかなかったような小さな弟分が、まるで見知らぬ人間のように見えてナルトはわずかに恐懼する。
 夕暮れに染まった部屋の中で、木ノ葉丸は凝り固まった微苦笑で答えた。
「俺は暗部です。今でも一応籍は残ってます」
「知らなかった」
「暗部専業の時期は短かったですから。その時期以外は普通の任務もしてましたし」
 ナルトは木ノ葉丸から目をそらすよう巻物に目を落とした。六代目の直轄暗部リスト──火影以外に見ることの許されない封印のかけられたそれの中に、確かに木ノ葉丸の名が刻まれている。
「どうしてだ……?」
 声が上ずらないように引き締めれば、まるで詰問のようになる。
 それにぴり、と木ノ葉丸の気配が強ばった。己の失敗を取り繕うよりも先に木ノ葉丸のが口を開く。
「七代目としての命ならば、お答えしますが」
「そういうことじゃないってばよ」
 やはり、先ほどまでの仮面のような笑みをより強固にした生真面目な上忍の顔で彼は首をかしげる。
「この時期、俺は任務に明け暮れてた時期だし、復興からの開発で火の国どころか五大国小国に至るまでせわしない時期だった……」
 六代目の治世は復興開発と賞される。口さがないものは尻拭いと揶揄するが、その手腕を認めぬものはいない。
 第四次忍界大戦でボロボロになった国々を復興し、地続きに改革を推し進めた。里も体制も。
 そもそも復興の時点で都市開発を進めていたのだから、師ながら先見の明はすさまじいものがある。
「ええ。今でこそ忍者のあり方を考える余裕がありますが、あの頃はみんな必死だった」
 わずかに目元が和らぐが、木ノ葉丸の顔は未だに警戒が滲んでいる。
「平和が実現して、透明な隠れ里を求められていた時期だ。暗部の数は減らされていた──わざわざ、お前はどうして」
 ナルトはかつてより短くなった髪をかき混ぜて木ノ葉丸をまっすぐに見た。この実直で、お調子者で優しい愛弟子と暗部の姿が重ならない。
 今でこそ、木ノ葉の里に暗殺の依頼はほぼ来ない。忍の軍事力を抑止力と有事の防衛機構として活用することがナルトの目標だから、意識的に断っている。
 しかし、この時期はまだダンゾウを失った根を中心として暗部としてしか生きられない忍が多くいた。六代目とヤマト、そしてサイが手を尽くしていたのを知っている。
「木ノ葉丸……、俺は火影であると同時にお前の兄貴分だ、いつまでもな。……言ってほしかったと思うのは俺のわがままか?」
 火影となるべく任務で実績を積み、ひたすらに邁進していた時期に、独りで夜を駆けていた弟分を思えばナルトの胸が痛む。
 そう思うのが、彼に対する侮りになりかねないとわかっていても、どうしても信じがたかった。
 ナルトの視線を受け止めていた木ノ葉丸は、ナルトの言葉にくしゃりと破顔した。
「ははっ、ナルト兄ちゃん。そんなに心配してくれなくて大丈夫だぞ、コレ」
「でもよ……」
「……俺、暗部にならないとわからないことをどうしても知りたかったんだ」
 ようやく仮面を外した木ノ葉丸が、目元を和らげて口調を崩す。
「知りたいこと?」
「それは流石にナルトの兄ちゃんにも教えられねーな、コレ」
 心配することはもうない、と肩をすくめて笑う木ノ葉丸にナルトもようやく息を吐く。
 突然のことで狼狽してしまったが、そもそも木ノ葉丸はもう立派な大人で、上忍だ。
「じゃあ最後だ。知りたいことはわかったのか?」
 木ノ葉丸は笑って答えなかったが、突き止められなかったのだろうということをナルトは直感した。

**

「何考えてんの」
 手の中の書類の束で頭を叩かれてナルトはぐえ、と息を吐く。
「痛いってばよ、カカシ先生」
「ぼーっとしてるからでしょ。で、どうしたの?」
 ちらりと左右を見る。シカマルが少し離れたデスクで眉を上げるが、彼に隠すことは特にない。それ以外に人の気配がないことを確認して、ナルトはいっそ直接尋ねることにした。
「あのさあ先生。……先生の時代に、暗部にならなきゃわからないことって何がある?」
 ようやく見慣れた両眼が少し驚いたように瞬く。
「暗部に? あ、護衛の再編用に渡したリストの話か。驚いたみたいだね?」
「うん、すげー驚いて直接聞いちまった。そしたら暗部でしかわからないことを知りたかったって言われたんだ。わからなかったみたいだけどな……」
 流石に話が早いカカシが呆れた顔をする。
「直接聞いたの。お前本当もうちょっとデリカシー持ったら?」
「だって、ちょうど任務の報告しにきてくれてた時だったんだってばよ……」
 カカシはやれやれと首を振ったあと、指折り数える。
「そーね、色々あるよね。暗部詰所の場所とか、暗部しか入れない書庫もあるし。暗部専用の禁術もあるし……」
「先生はあいつから何か聞いてねえの?」
「聞かないよ。失礼でしょうが──でも、ま、予想は付くよ」
 眉を下げたカカシに、おそらく殆ど確信に近いものを得ているのだろうと思う。それを自分に伝えていいものか迷っているのがわかった。
「俺知りてえんだけど、どうすればいいってば?」
「お前ねえ、もう火影でしょ。火影に開示できない情報は今更ないよ。何を知りたいのがわかれば良いんだから、ま、簡単でしょ。忍なんだから」
「先生ぇ……」
「さ、もう休憩はおしまい。さっさと目を通して決済してちょうだい」
 柏手が執務室に響く。ヒントはもうこれ以上もらえないのだろう。
 ナルトはぱちんと頬を叩くと肩を回した。
「失礼します! モエギです」
 書面に目を通していると、りんと張った娘の声が火影室に響く。
「おう、入ってくれ!」
「はーい!」
 明るい声と共に小麦色のお下げ髪の娘と、めがねの青年が共に両手に書類を抱えて部屋に入る。
「あっ」
 ナルトは机に手を叩いて立ち上がる。そうだ、そもそも自分よりも親しい間に聞けばよいのだ。
「モエギ! うどん! 今日飲みにでも行こうぜ!」
 追加の書類を抱えてきた二人は唐突な誘いに目を白黒とさせた。
「えっ、それはいいですけど……七代目、いつ仕事終わるんです? これ追加なんですけど……」
 モエギとうどんがどすんと未処理の書類を机の山に積み重ねる。丈夫なはずの天板が軋んだのはナルトの気のせいだろうか。
「……電子化進めねえと、机が折れるってばよ」
 呟いて首を振る。けれど、このもやもやとした気持ちを置き去りにしてしまうつもりはなかった。
「二人とも、なんとか終わらせるから八時に一楽集合な! 木ノ葉丸には秘密で!」
 二人は顔を見合わせて、くしゃりと笑みを浮かべた。その顔はアカデミー生のころから何も変わらない無邪気な顔だった。
「はい!」
「楽しみに待ってますね」

**

 夕日の沈む閑静な町並みをナルトはとぼとぼと歩いていた。里の外れ、長い塀が連なるこの場所は旧家名家の屋敷が並んでいる森と屋敷のまざりあった奇妙な場所である。ペインによる崩落を免れた旧木ノ葉街でもある。
 日向屋敷と奈良屋敷を通り過ぎてすぐに、見慣れた屋敷が見える。幾たびか訪れたことのある木ノ葉丸の住居──猿飛家の本家である。常々開けっぱなしの大門を通り抜けて玄関の呼び鈴を鳴らす。今気がついたが、大門が開けっぱなしなのは結界があるかららしい。
「木ノ葉丸、いるかー」
 声を伸ばせば、屋敷の中の木ノ葉丸のチャクラがばたばたと動いて近づいてくる。玄関を開いて覗いた木ノ葉丸は目を丸くしていた。
 アポもなしで火影が来たことにひどく驚いた顔をしていた。
「七代目!?」
「おう! ちょっと付き合えってばよ」
 持ってきた酒を揺らすと、木ノ葉丸はよけいに目を丸くする。
「ちょ、ちょっと待ってください。着替えてきますから」
「かまわねえってばよ。お邪魔するぜ」
「お、おお……?」
 広々とした玄関で靴を脱いで、木ノ葉丸を先導する。そういえば、家の中にはいるのは初めてだった。
 なかなか見慣れない着流し姿の木ノ葉丸がおっかなびっくり後ろを付いてくる。人の気配は木ノ葉丸以外にはなく、夕暮れ時も相まって屋敷は寒々しいような気がした。
「七代目、客間こっちです」
「おう悪い。あと、今日は火影としてきたわけじゃねえんだ、半分は」
 客間、と通された座敷に腰を落ち着ける。とりあえず、と出された茶を出された茶菓子と共にすすり込む。
「……そういえば、ナルトの兄ちゃんがうちに来るの初めてだな、コレ」
 火影としてきたわけじゃないと言った意味を理解してくれたようで、ナルトはほっと息を吐く。
「そーだな。ボルトがちょくちょくお邪魔してるみてえだけど」
「はは、ボルトには玄関から来るように言ってほしいんだなコレ」
「おお、言っておくってばよ」
「でも、来てくれなくなったらすげえさみしいんだろうな」
 使っている場所以外は、暗い、広い屋敷だと思った。茶を飲み干して、木ノ葉丸は当然のように自分でつまみを持ってくる。
 日向屋敷や奈良屋敷のように奥方やお手伝いがいる気配はない。同家の住み込みもいないようだった。
 持ち出した酒を木ノ葉丸に注いで、口火を切る。
「なあ、木ノ葉丸。お前ってば一人暮らしだったか?」
「ああ、うん。そうだな、コレ。でかいから掃除も大変なんだ。でもサボるとミライに怒られるしなぁ」
「いつから?」
 猪口をなめて木ノ葉丸は思い出すように視線をあげる。
「……本当に帰ってくる人がいなくなったのは、きっとジジイがいなくなってからかなぁ」
「親御さんは……」
 わかりきったことを言う自分に辟易して猪口の酒を飲み干す。
「……兄ちゃん、嘘が相変わらず下手だぞ、コレ」
 バレちゃってんな、と目を伏せる木ノ葉丸に、意を決して巻物を懐から取り出す。
「……これは」
「……お前の、知りたかった﹅﹅﹅﹅﹅﹅情報……だと思うってばよ」
 木ノ葉丸の視線が茫洋とその巻物に注がれる。ゆっくりと猪口が机に置かれる。
 何も写さない表情が彼の動揺をそのまま表しているようで、痛ましく思う。
 本来ならば火影にしか知らされぬ情報だった。六代目以前の暗部のデータ口伝ばかりもので書き記されているものは少ない。ペイン事件を機に内々に処分された情報も多いと聞いている。そのなかで、これが残っているのは殆ど奇跡だった。カカシのみならず、ヤマトやサイ、相談役にも打診して見つけ出したものを、ナルトは木ノ葉丸の方に押し出した。
 下忍班の担当上忍を任じようとしている今、この巻物の中にあるものを木ノ葉丸に伝えるべきかどうか、迷ったことは否めない。
 けれど、彼のライバル兼兄貴分として、つたないけれど彼の師として彼を信じたいと思ったのは、ナルトの心だ。
 彼ならきっとそのすべてを受け止めて乗り越えるだろうという信頼。それは殆どナルトの中では確信にちかい気持ちだった。
「──三代目火影猿飛ヒルゼン直轄、暗殺戦術特殊部隊、火影の二本の右腕……お前の父ちゃんと母ちゃんの……」
 机の上に投げ出された彼の指がぴくりとこらえきれずに揺れた。
 小さく動く唇が何を呟いたものか、ナルトはわかるようでわからない。それでも、ゆっくりとその指先が巻物にかかるのを見守った。
 厳重な封印を解けば巻物から吐き出されるのは玉紐できつく封じられた封筒だった。
 木ノ葉丸の手が紐を解いて封筒を開く。
 ナルトはそっと立ち上がって開かれていた縁側に腰掛けた。日はとうに沈み、木ノ葉の里の明かりが夜空の星を地平に写したように輝いている。それでもなお、今日は闇が際立つような気がした。背を向けた部屋の中の木ノ葉丸の様子はわからない。
 ナルトの手の中ので揺れる酒がなくなる頃に、ようやく紙が擦れる音が聞こえた。
「──お帰りなさい、父さん、母さん」
 囁くような小さな声が部屋に転がる。その声がわずかに濡れていたことをナルトは口にしなかった。