タンジョウビって何だ?
と、キッドが聞いてきた日を覚えている。
こまっしゃくれた難しい顔をして質問をしてきたので、何事かと思ったキラーとドルヤナイカは拍子抜けして顔を見合わせた。キッドとキラーが出会ってから一年がたつかたたないかの幼い頃のことで、もうそろそろ年が変わろうとする冬の日だった。
「生まれた日のことだ」
「生まれた日? そんなもんだれにきくんだよ。だれもおぼえてねェだろ」
心底不思議そうにするキッドにキラーは僅かばかり口ごもった。誕生日というキラーは当然のように知っていた言葉を、一度も耳にしたことがないようだった。
「まァ、おれは親から聞いた」
「アタシも」
キラーとドルヤナイカの返答に、キッドは幼く口を尖らせて舌打ちする。
「ちぇっ、タンジョウビにはなんかやるもんだって見世のババアが言ってたから、おれも分かったら得したのによ」
聞く相手が居ねェんじゃあなァと細い肩を落とす。そのまま興味がそれたらしく、いつものガラクタを取り出して螺子を回しはじめた。その背中を見下ろして、キラーは無性に落ち着かない気持ちになる。悔しいとか、腹立たしいとかそういうような感覚だった。
──生まれた日、わかんねェのか。
キッドの親についてはキラーも詳しくはしらない。キラーがキッドに出会った数年前にはもうとっくに堂々としたみなしごっぷりだった。
ドルヤナイカが首を傾げる。
「お母さんは教えてくれんかったん?」
「んー、生まれないでくれ、ってずっと言われてたし。聞こうともおもわなかった」
キッドの口から初めて聞いた話に、ドルヤナイカと顔を見合わせた。むっと口をへの字に曲げた彼女が提案する。ドルヤナイカのこういうところが、キラーはとても好ましかった。
「じゃあ今日にしよう。天気も良いし、珍しく空もきれい。生まれるには良い日やろ」
ドルヤナイカに指さされて、キッドは空を見る。キラーも同じように上を向いた。
三人で見上げた空は、確かにドルヤナイカの言葉通り工場の蒸気もすすの煙もいつもの曇天も今日は風に流れ、青空が見えていた。
それをしばらく眺めた後、キッドは首を振った。
「いい。ババアにめぐんでほしいみてェじゃん」
「もらえるもんはもらっとけば?」
「むかつく」
大きな目がギロっとドルヤナイカとキラーをねめ上げる。まだ十にもならない子どもとは思えない迫力で、ぎらぎらと燃えている。
薄汚れたすすだらけでがらくただらけのこの島の中にあって、この幼子の目は炉の中の石炭のように燃えている。この子どもほどの目をキラーは知らない。
「ファッファッファ、キッドらしいな」
「だろ? なんたっておれはワンピースを手に入れるんだからな」
「生意気! アタシから一本取れるようになってから言いな」
「今日はおれがかつ!」
キッドが年相応に破顔して、そのまま三人で連れ立って組み手に励む。
一番年下のキッドはいつもドルヤナイカにもキラー適わなかったが──ドルヤナイカにはキラーも適わなかった──諦めることはなかった。
三人で強くなろうと競った日々がいつまでも続くと思っていたような、幼い日々のことだ。
その日以来キッドが自分の誕生日について言うことはなかったし、キラーとドルヤナイカがキッドの誕生日について口にすることはなかった。
そんなことを思い出したのは、キッドがめくろうとしたカードがぴくりと動いたような気がしたからだった。
「……動いた?」
とヒートが首を傾げる。
「動いたな。船長、能力でイカサマしてないよな」
「してねェ!! そもそも紙に磁力が効くかァ!」
「いや、ネズミトランプはネズミが溶かし込まれてるからチーズで動くとか……」
「そんなわけあるか! 風だろ」
キッドが鼻で笑い、甲板に設えたテーブルに広げられた五十枚近いカードを手札に加える。そろわなかったらしく鼻に皺が寄る。
「しかし普通のネズミトランプじゃねェってのは本当かキラーさん」
頷く。
「露天の爺さんの話じゃな。おもしれェ仕掛けがあるんだとか」
「偉大なる航路だもんな……何でもありだ」
「ここが楽園ってんなら、新世界はどんなもんなんだろうな」
雑談を聞き流しながら手番の来たキラーも一枚引く。残念だが揃わない。
掌ほどの大きさのカエデの葉のような形をしたトランプはキラーが持ち込んでここしばらく流行っているものだ。
猫のカードを避けながらおなじ絵柄を揃えるだけの南の海ではメジャーなカードゲームの一つだが、偉大なる航路では滅多に見かけない。キラーがたまたま前の島の露天商で買って持ち込んで以来、ログが溜まるまでの暇つぶしと懐かしさもあってしばらくメンツを変えながら甲板で毎晩興じている。
「なぁキッド、誕生日があったら何かしたいことあるか?」
「あ?」
「あ、猫引いた」
「え」
ヒートの手持ちのカードがにゃあと鳴いて、手札がばらける。
「あ゛あ゛ッ! あと一枚だったってのに!」
キッドが手札を見て悲鳴を上げた。
「お、マジか。あがりだ」
ちゅう、とネズミが鳴く声がして、ワイヤーが手札を開く。
「じゃあ明日の皿洗いはヒートだな」
キッドがにやりと笑ってゲームを切り上げる。確かにそろそろ寝なければ明日に差し障るだろう。日付が変わるころらしく、メインマストの見張り番が交代していた。
「じゃあまた明日な」
「キラーさん、そんなにこれ好きでしたっけ」
「ああ、まぁ、そうだな」
カードをケースに仕舞い込みながら尋ねられ、キラーは曖昧に返す。
「ガキのころこれで酒場の親父を裸にひん剥いたの思い出すなァ」
キッドはけらけら笑いながら満足げに船室に向かう。今夜は勝ち抜けたので満足らしい。
その間際に、キラーを振り返った。
「キラーなんかそういや言いかけてなかったか?」
「いや……今はまだいい。また明日にでも聞くさ」
キッドは首を傾げて部屋に戻っていく。
キラーはマスクの下で目を細めてその背を見送った。
──生まれてこないでくれ
とキッドが願われて生まれた理由をキラーがうっすらと察したのは、顔を合わせれば殺し合うような間柄に成り果ててしばらくした頃だった。
なんのことはなく、南の海で生まれたキッドと同じ年の子どもはみんなそう言われていたし、そもそもその年で生まれてきた子どもはこの島の裏町には居なかった。まっとうな父母を持つならこんな裏町には居ないだろう。まっとうな父母を持たぬなら、キッドの生まれ年の子どもはみんな政府に殺されていた。
悪名高い妊婦狩りで母親ごと。
キッドとその母親は運良く妊婦狩りを免れたらしい。生まれてすぐの赤子さえ世界政府に見つかれば拷問の末に処刑されたほどの、苛烈な鏖殺を身籠りながらよくもまあ逃げ切れたものだ。
たまたま聞いた話では、バテリラからずいぶん離れたこの島に、お包みにくるまれた赤子を隠すように抱いた女が流れ着き──その赤子が生まれた日を決して口にしなかったという。ただ、本当に生まれたばかりだったのでその年の生まれなのは明らかだった。それでもその女は赤子の生まれの一切を語らなかった。それは自己保身か、それとも。
それをたまたま聞いた時、キラーは教えてやりてェな、と思った。
もしかしたらキッドが思っているよりずっとキッドに優しい理由でそう願っていた可能性を、彼に伝えてやりたかった。
生まれたきたことを祝うことを許されたかった。
あの時、小さな赤いつむじを見下ろした時の腹の据わりの悪さを思い出す。祝ってはいけないといわれたような気がして、口に出さなくなった数年が今になって惜しく感じられた。
しかし、キラーはこの町の頭になっていて、キッドは別の街の頭だった。それぞれの街を背負ってしまっている所為で顔を合わせれば、煽り合いと罵り合いと殺し合いをしなければならない。
今思えばちっぽけで薄っぺらいメンツの張り合いでよくまあ殺し合いまでしたものだ。
──結局、それを伝えられぬまま共に帆をあげ、リヴァースマウンテンを越えた。
「誕生日、なんかしてェことねェか」
「はァ?」
またキッドが引こうとしたカードがぴくりと動いた。初めてカードが動いた日から数日が経っている。
今日のメンツであるエマとクインシーはもうカードが動くくらいのことでは驚かない。
あといく日かで漸くログが溜まる頃合いで、そろそろネズミトランプの流行りも廃れかけていた。毎晩あの手この手でキラーがキッドを誘っていなければキッドもさっさと寝ていただろう。
「誕生日、ねェ。そもそも誕生日自体しらねェよ。知ってるだろ」
「誕生日知らなくっても誕生日にしてェことくらいあるだろ」
キッドが怪訝そうな顔でカードを一枚戻す。キラーはキッドが戻したカードを引いて手札に加える。
「お祝いするでしょ!」
エマが別のカードを引く。
「前祝いで宴でしょ、ケーキも用意したいよね」
「誕生日ならプレゼントでしょ。誕生日おめでとう!ってチョコレートのプレートつけようよ。祝砲をドカンとあげて、花火すんの」
「はあ」
キッドがそんなもんか、と首を傾げながら札を引く。見当違いのものを引いたらしく、眉間に皺が寄る。
「私たちでロールキャベツのタワー作ろう。ね、キラーさん」
「ああ、それも良いな。同じ味だと飽きるだろうし、味換えしねェとなァ。トマト味とか、ミルクスープ風とか、辛ェのもいいよな」
「……へェ……美味そうだな」
怪訝そうだった顔が、すこし上向く。
「そういや、キラーの誕生日はいっつもパスタだったな」
「ああ。誕生日くれェ好物食いてェからな」
「そんなもんか」
「そうそう。生まれてきた感謝の日よ。船長の誕生日ならみんなで盛大に祝うわ。服とか新しいのプレゼントしたり」
「アクセサリーとかも良いわよね。頭は新しいルージュとかどう?」
クインシーが優雅に微笑みながらカードを引く。
「祝う、なァ」
ピンと来てないような顔になりながら、キッドも手札を捨てる。
「おれも祝った方が良かったか? キラー」
「もう三十人近くいるんだぞ、全員分宴を開く訳にもいかねェだろう」
「宴は毎日やっても良いけどね!」
「ダメよ、エマ。男どもがどんだけ食べると思ってるの。飢えて遭難したくないでしょ」
「そりゃそうだけど」
クインシーが捨てた札をエマが取り、また順が回る。
キッドがカードを取ろうとして、やはりまたぴくりとカードが震える。
踊り出したいのを堪える子供のように。
「──このカードな」
キラーはケースを持ち上げた。
「誕生日は使用禁止なんだと」
そろそろ、月が天を回り、日が変わる頃合いだった。見張り番がマストに登っている影が月明かりに見える。
「なんでも、アタゴオルっつう海域の青猫島にしか生息してねェイノチウオの液を染みこませてるから、南の海のネズミトランプとは違ェらしい」
「……どおりでチーズに寄ってこねェ」
「頭イカサマしようとしてた!」
堂々としたイカサマ宣言にエマが混ぜっ返す。
「誕生日に使うと、ダメになるンだと。本当に、てめェが生まれた日ってのがダメらしい」
キッドは首を傾げる。
キラーはにやにやと笑いながらカードを引いた。揃わないので手札を捨てる。
「勿論、今日はおれの誕生日じゃねェ」
「あたしも違う」
エマも引く。
「もちろん、私でもないわ」
クインシーも引いて、捨てる。
「キッドの番だ」
はらり、とキッドが引こうとしたカードがキッドの手を離れて踊りはじめた。
秋に舞い散るカエデの葉のように。風に踊る子供のように。クラッカーに舞い散る紙吹雪のように。空は星ばかりがまばゆく輝いている。三人で見上げたあの時の空を思い出した。
キッドは子どものように目を丸くしてそれを見上げていた。
「誕生日おめでとう、キッド。お前が生まれてきてくれて嬉しいよ、相棒」
──今日がお前の誕生日だ。
準備していたワイヤーが祝砲を上げる。ヒートが火を噴いて祝う。
わっと歓声が上がり、船室で息を潜めていたクルーたちが甲板に飛び出した。ハッチからモグラのようにはいあがるものも居る。
はは、とキッドがくしゃりと笑う。仲間たちしか見ることのない、屈託のない子どものような笑顔に、キラーは何年も居座っていた腹の座りの悪さが満たされていく。
キラーたちが作ったロールキャベツのタワーの大皿が温め直されてテーブルに並ぶ。
今日が生まれて初めての彼の誕生日だった。
完