泥濘

泥、泥、泥。ぬかるんだ泥の中に潜り込むようにしてロシナンテの所属部隊はずっと息を潜めていた。頭上には砲弾が飛び交い、銃声が雨音のように絶え間なく聞こえる。もういっそ、突撃させてくれと懇願したくなるのに、かれこれ二日はロシナンテたちは塹壕の中にいる。堀の中のわずかなのぞき穴からしゃがみ込むように戦場を見張っていて、わずかにあくびが漏れた。

「ロシナンテ二等兵、替わる」

「おう」  

塹壕の横穴から這い出してきた小柄な同胞に腰を叩かれてこそこそと塹壕から頭が出ないように這いつくばって場所を変わる。そろそろ二メートルを超えたロシナンテには塹壕は窮屈でたまらなかった。

「お前も大変だな」  

腰をさすりながら動くロシナンテに同情する同胞にロシナンテは我が意を得たりと頷く。

「もうこれ以上待機が続くならおれァ蜂の巣になってもいいからおもいっきりのびをする。海に帰りてェ……」

「はははっ、次の塹壕はもっと深くしてやるよ」

「頼む」  

互いに肩を叩いて労いを交わす。あくびをしながら塹壕の横穴に潜り込もうとするロシナンテの背中に声がかかる。

「あ、寝れてねェやつに能力かけてやれるか?」 「おう、任せろ」

 潜り込んだねぐらの一番奥に、包帯の巻かれた海兵がうんうんとうなっていた。数日前に砲弾の破片が当たって動けなくなった同胞だ。耳を塞ぐようにして脂汗をかいている。

ロシナンテたちは退却も進行もできぬままで、彼を海岸の野戦病院へ連れて行くこともできなかった。揺り起こすとうっすらと目を開いた負傷兵は目に涙を浮かべてロシナンテを見上げた。

「ロシナンテ、砲撃が聞こえるんだ……、ここも危ないのかな、おれをおいていかないでくれよ……」

「おいていくもんか」

「爆弾が、頭の上で爆発するんだ」

「しねェって。怪我して気が弱くなってンだ。ゼファー先生が聞いたら怒るぜ。ほら、寝ねェと突撃の時に動けねェよ」

 ロシナンテは彼の弱音を小声で笑い飛ばしてパチンと指を鳴らした。自分と彼の周りに張り巡らされた防音壁。しん、と音が消える。防音壁サイレントと聞こえないように呟く。

「ほらな? 今日は静かだよ」

「……ああ……」

 こわばっていた顔がほっと緩む。 

「本当だ……」

 限界まで張り詰めていたのだろう。彼のまぶたがゆっくりと落ちる。  

規則正しい寝息が漸く聞こえてきてロシナンテはほっと息を吐いた。  

わずかな静寂だ。防音壁の外では今でも雨だれのように銃声が響いているし、いつ砲撃が直撃するかもわかりはしない。 ロシナンテは新しいタバコに火をつけて深々と肺に吸い込んだ。タバコのフィルター越しにさえ火薬と泥の味がして、ロシナンテはため息を吐き出す煙に紛れ込ませた。   

まだ海には帰れない。