とある藤の家に伝わる鬼喰い剣士の手記

恥ずかしながら足がもがれれば地面を這い、鬼に食らい付いて鬼を滅して参りました。

 己のような異形の剣士も、御伽噺の昔に鬼殺隊に在籍していたらしいと、産屋敷のお家の書物の中に伝わっているそうです。とはいえ度重なる鬼の襲撃に依ってお家の記録は幾度となく焼け落ち、失われております。その剣士についての正確な記録は久しく失われております。日の呼吸の剣士と同じような物語です。
 然れど、私が不慣れながら筆を執っておりますのは、何れの時にか私のような異形が再び隊士となるような事があらば、その隊士の胸に大きく塞がる孤独をほんの少しでも払うことが出来ればとの一心です。
 我々の代であの悍ましい鬼の首魁、鬼舞辻無惨の青瓢箪の首を断ち切り、鬼による悲劇を終わらせることができれば何よりですが、未だ十二鬼月の下弦の鬼さえ何匹も跋扈する中で、私の命ある内に鬼舞辻の首を断つことは出来ぬでしょう。
 しかし、我々は何れ必ずその首を断つ。
 鬼が家族を、兄弟を、友人を惨たらしく喰らい続ける限り、我々が悉く鬼を滅する日は必ず来るのです。
 この手記は、その時の為の、謂わば布石のようなものです。
 私が命尽きた後、もし然様な鬼殺の剣士が現れましたら、この手記はその剣士へお渡し願います。

 

 私は鬼を喰らう事で、鬼の異能を我が身に宿す事が出来ます。
 異形の我が身を詳らかにするより前に、私について書き残しておきます。ほんの些細な身上です。
 私は、鬼殺隊の剣士や隠に良くあるように、家族を鬼に鏖殺された人間です。とは言え、鬼殺隊への入隊は他にも一つ理由はありますが、兎も角に鬼を滅する為に藤襲山を生き残り、運良く日輪刀を授かりました。
 しかし、私の色変わりの刀は、色を変えることはありませんでした。また、結局どれほど血反吐を吐いて修練すれど、私はどんな呼吸も身につけることは出来ませんでした。風の呼吸、水の呼吸、火の呼吸、雷の呼吸、何一つです。我が身は元来肺がそれほど丈夫でないようでした。
 我が刀を手にしたときの絶望は他に類を見ぬほどでした。
 近頃流行りの大鋒に細直刃、反りの殆ど無い二尺八寸の太刀です。私は身の丈が六尺程なのでそれに合わせてくれたのです。地金は板目肌で美しい刀でした。備前長船の里を飛び出して、都の堀川で修行をし、色変わりの刀に魅入られて刀鍛冶の里に弟子入したという刀鍛冶でした。
 しかし鍛え上げられた刀は、私の手の中で沈黙していました。
 普通の剣士──藤襲山の最終選別を生き残れた程度の剣士──ならば、手に取った瞬間、その身体に流れる呼吸と体温に応じて見る間に茎から変わっていくのだそうです。沸や匂、金筋や葉、稲妻といった刃中の働きがその剣士に応じて染め上げられると聞きました。
 実際、私も他の剣士の刀を見たことがありますが、無垢の私の刀と異なり、黄金色の稲妻のような飛び焼きが美しい刃文や、重花丁子にさかんについた足や葉が真っ赤に燃えているような刃文、ゆったりしたのたれに美しい水の色の沸出来の太刀、なるほど色変わりの刀であると感心したものです。
 無垢の我が刀は、即ち私に呼吸の才の無いことを示しました。大凡分かっていた事ではありますが、改めて突きつけられた己の無才に、深い失望を覚えました。
 繰り返しになりますが私は呼吸を使うことが出来ません。また、身体能力も、剣才も欠片もこの身に宿っていないことは、自ずと分かっていました。
 育手や刀鍛冶はさぞがっかりしたことでしょうが、私に隠になるよう勧めてくださいました。しかし、私はどうしても剣士になりたかったのです。
 生来、頑迷な質でした。まだ扱いやすいように太刀を大きく擦り上げていただき、脇差しとして差すことにしました。
 剣士は次々鬼に殺されていきます。戦に巻き込まれて死ぬ者も居ます。人に殺される剣士さえ居ます。鬼に喰われる者も、藤襲山で剣士になる前に死ぬ者も居ます。その中の一人になったとして、どうして困る事があるのか。隠として生きる道を選ばず、私は剣士として生きると決めました。
 そのときに、私は間もなく落命するだろうと覚悟をいたしました。一つ目的を達すれば、死したとて悔いは無いと決心いたしました。
 未だに恥を晒すように生きておりますのは、偏に我が身の異形が故です。

 さて、前置きが長くなりました。鬼殺隊に入り、文字を習うまで読み書きなど出来ぬ身の上でしたので、お許しを。
 異形の身と申しましたが、普段はそれほど奇異には見えぬと自負しております。
 但し、生来の身体の特異な点として、生まれながら私は非常に顎の力が強く、何を食べても腹を壊したことがありません。御伽噺の鬼食いの剣士もそうだといいます。日が経って黴の生えた餅も、蝿の集っている鯛でも、食べることが出来ます。他にも、盥一杯の水の中に、一粒の塩を混ぜているかいないかを判ずる事が出来ます。
 また、矢鱈に何でも噛み千切ることが出来ました。母親は流石にそれを恐れて私に歯が生えかけた頃に重湯にしたそうです。箸を食い千切ってしまったりということも有りました。私の荷物の中には頭の欠けた筆がいくつもあります。今、こうして記している筆も、頭を囓り切ってしまったものの一つです。
 鬼喰いの素質というなら、そういう所は生来のしるしであったように思います。
 しかし鬼を喰うことで、私は鬼の再生能力と、身体能力を得ます。腕が千切れても、ツケ直すことが出来ます。片足を食い千切られても、如何にか斯うにか生やすことが出来ます。腹に大きな穴が開いたとしても、それを塞ぎ命を繋ぐことが出来ます。或一点を断たれぬ限り、私は不死身の身体を手に入れました。
 その力があれば、たとえ、自分が呼吸が使えず、剣才も無いとは言え、夜明けまで鬼を引き留められれば日光で滅ぼす事ができるのです。色は変わらぬとはいえ、日輪刀ですので、運が良ければ首を断って滅ぼすことも出来ます。
 この力で、私は癸から暫くで丁、次いで甲に至りました。
 鬼を喰うだけで其れ程の恩恵を受ける己を、羨む者はいるかもしれません。
 しかし、己の異形は鬼を喰う事で発現するのです。あの、人を喰らう事しか出来ぬ悍ましく、私自身の大事な者を喰い殺した鬼の肉を、己が喰らう事でしか、私は鬼殺の剣士であれないのです。
 鬼を喰うなら鬼だと、助けた筈の人に拒絶され、逐われた事もあります。我が身の異形を知らぬ剣士に、図らずも切り殺されかけたこともあります。
 鬼食いをすればするほど、人から離れていくような恐ろしさが離れぬようになりました。
 鬼を喰えば、頭も身体も鬼に寄ります。
 水鏡で見た時、我が目は赤く染まり、歯は堅く尖り、爪は硬く伸びて、まさに鬼のようでした。鬼と同じように、或場所を切られれば修復が遅れて落命します。頸を斬られれば、たとえ鬼を喰って直ぐでも死ぬでしょう。
 何より、頭の中を鬼の凶暴性が犯していきます。強い鬼を喰えば喰うほど、人に戻る時間が長くなります。一度、十二鬼月の下弦落ちの鬼を喰ったときなどは、三日も目の色が鬼のままで、何かを壊したい衝動が抑えられず人里に近づくことさえ出来ませんでした。危うく死亡報告が御館様の元へ行く所でした。
 また、鬼を喰って暫く、目の色が鬼から人に戻っても悉に鬼の血肉を出してしまうまでは米や野菜を受け付けません。無理に喰えば吐き戻してのたうち回る羽目になるのです。すっかり出してしまえば、いつものように食べられるようになりますが、その間に人の飯を食うことは止めておいた方が良いでしょう。鬼を滅し終われば、喰った鬼の肉は吐けるだけ吐くとよいと学びました。人に戻る時間が短くなるのです。好物も食べられないのは辛いものでした。
 段々と鬼から人に戻る時間が長くなっています。この前など、同じ時に藤襲山で選別を受けた隊士に襲いかかる所でした。人の姿になったはずなのに、怪我が見る間に修復されていきます。鬼の血肉が、私を人でないものに変えていくのです。
 隊士の手に掛かるよりは、己で己の始末を付けるつもりでいます。藤の花は私にも随分と効き目の良い毒となります。

 今記す此の文は、私が人である内に記すものです。
 人擬き、鬼擬きと、鬼にも人にも蔑まれました。
 特に、柱の方々には疎まれています。
 ですが、我が身は鬼を喰わねば、鬼と戦う事は碌に出来ません。呼吸もつかえぬ、剣才も無い己です。柱の方々のように呼吸が使え、剣才もあれば、鬼など喰わずに済んだのにと、幾度眠れぬ夜を過ごしたものか数えられはしません。
 それでも、私は最後の最後まで鬼殺の剣士として鬼を滅殺し続けるでしょう。
 人を食う鬼が居る限り、私の命がある限り。

 

 いずれの時にか現れるやも知れぬ我が同胞よ。
 同じ異形の身の同胞よ。
 どうか、その生を誇り高く生きてほしいのです。
 貴方は孤独ではない。人擬きでも鬼擬きでもなく、鬼殺の剣士です。
 貴方の前に、同じ異形が、同じ化け物が、鬼殺の剣士として戦って死んでいるのだとどうか知っていてください。
 鬼喰いの剣士は、確かに此処に居りました。鬼を喰ってまで、鬼殺隊を続けた愚か者は確かに居たのです。
 幾百年の時の後でも、どうかこの文がわが同胞に届きます様に。

鬼殺隊 階級甲 ──

 

 擦れた古い文を紐解き、それを差し出してきた藤の家の老爺の意図を知る。
 任務を終えた直ぐ後に鎹烏に連れて来られた藤の家は、まだ目の戻らぬ自分を見て少し驚いた顔をしただけで、嫌な顔一つすること無く風呂を沸かしてくれた。囲炉裏端には殆ど重湯のような粥が用意され、任務を終えたばかりの玄弥も一口二口含むことが出来た。その上、これ以上食べれぬと箸を置いた玄弥に、怪訝そうな顔をすることもなかった。時折立ち寄る藤の家ではきちんとした料理が出て、ありがたいが碌に食べれぬ事が殆どだったのに。
 だが、その謎もこの手記を以て理解できた。
 彼等は知っているのだ。
 その手蹟てはつたなく、それでも丁寧に書かれていることが分かるものだった。最後、署名のあたりは紙が古びて読めなくなっているが、其れ以外は大事に手入れされてきたことが分かる。
 玄弥は其れを食い入るよう呼んだあと、老爺を見上げた。玄弥が呼んでいる間、彼はずっと囲炉裏の向かいでまるで即身仏のように座っていた。

「これは……」

 老爺は微笑みを浮かべて答える。

「我が家に伝わる古い文でございます。産屋敷の御館様より、貴方が此方に立ち寄られたらお渡しするようにと、言付かって居りました。我が家はその文を残した剣士様に救われた流れでございます」

 玄弥が目を丸くすると、老爺は皺が深くなって目が見えなくなるほどに笑みを深める。

「だから、俺に嫌な顔しなかったし、粥を用意してくれたんですか」

 老爺は頷いた。

「我が家の者は皆、鬼をお召しになって戦う剣士様がいらっしゃった事を存じております。他の藤の家のものは分かりませぬが……。ですが、貴方様を見てすぐに分かりました。ご恩返しが出来ると、不謹慎ですが少し嬉しかったのですよ」

 玄弥は言葉を詰まらせ、その手記を見下ろした。鬼食いの剣士──己と同じように鬼を喰っていた剣士がいた。鼻の奥がつんと痛み、目頭に熱いものが集まる。
 この隊士の推測は正しい。男か女かも、いつ生まれいつ死んだのか何もかもわかりはしないが、この隊士の綴った手記は、今この瞬間の玄弥に繋がり、玄弥に一つの小さな救いをもたらしたのだ。
 何百年前であれ、同じ鬼食いの剣士がいたことは、玄弥の張り詰めて壊れそうな心を慰撫した。はらはらと嗚咽さえ忘れて涙を零す玄弥に、老爺の娘だという優しげな女性が手ぬぐいを手渡す。

「今日はゆっくりとお休みなさいませ。我が家の者は全て承知しておりますからね」

 母のようなその女性に促され、玄弥は深く頭を下げて囲炉裏端を辞した。二階の寝室へ案内される前に、玄弥ははっと老爺を振り向く。

「そうだ……その、その人はどうなったんですか?」

 鬼になってしまったのか。藤の花の毒を呷ったか、それとも頸を切り落としたのかか不安の滲む声で尋ねる。
 老爺は玄弥を見上げる。老爺は神妙な表情で答えた。

「その方は鬼に殺されたと訃報が入ったそうです……。上弦の壱の鬼と聞き及んでいます」

 玄弥は息を吐いた。それは安堵のような柔らかな吐息であった。

「そうか……、その人は剣士として最期まで戦ったんだな」

 呆気にとられている老爺と娘に軽く頭を下げると、玄弥は二階へ上がる。階段を上がりながら呟いた言葉は、娘にしか聞こえはしなかったが、それを聞いた娘は痛ましげに表情を歪めた。

「俺も、最期まで戦わねえと……」

 玄弥のその眼差しは、黒々と鋭く、呑み込まれそうなほどに真摯であった。

 

 

とある藤の家に伝わる鬼喰い剣士の手記 了