南海先生とおんちゃんのはなし

 昔の話だ。
 危なっかしくて見ていられぬ刀が一振あった。好奇心が鋒から茎尻までみなぎっていて、頭で動いていると言うよりはその好奇心に引っ張られているという有様の、幼い憑きものの姿を覚えている。
 同じ家中で共に家宝に数えられていた刀は、彼を至極気に入ってかわいがっていたものだ。打たれたばかりながらにその好奇心から、そこらの憑きものたちからも揶揄い交じりに先生、と呼ばれていたその幼い憑きものは、そう呼ぶときゃらきゃらと喜んだものだから、肥前忠広もそう呼ぶのが定着してしまった。
 京都堀川や江戸で修行をしたという刀匠が鍛えて半平太の腰に差されてやって来た刀は、何かしらを見つけては、ふわふわの髪と賢そうな瞳をきらきらと、仁淀の川に照る日のごとく輝かせていた。
 こちらとしてはとうに見慣れて、なんとも思わぬ事柄も面白いらしく一刻二刻平気で見つめていたりするので、半平太を見失って半泣きになっているところを陸奥守やら自分やらに手を引かれて帰ってきたことも多い。
 しかし、なにしろまだ打たれていくらも経たぬ刀である。武市家の半平太が腰にひっさげてうきうきと当家の末っ子に自慢していたのもつい先だってのことだ。
 こちらも、打たれてすぐにこんなに立派な憑きものが付くとは、いずれ大業物にも列せられよう、天下五剣も夢ではない、名刀は双葉より芳しじゃ、と二振り揃って甘やかしてしまったような気もしなくはない。

 

「肥前のおんちゃん、これは何なが」
 今日も今日とて、朝っぱらから何やら難しい話で我が家の末っ子と膝を突き合わせている半平太の腰にくっついてきた幼い憑きものが、才谷屋の庭を駆け回っては肥前を呼ぶ。今日は陸奥守が刀掛けに座しているので、肥前に面倒のお鉢が回っていた。
「おんちゃん!」
「今度は何を見つけたがじゃ、先生」
「これ!」
 しゃがみ込む先生に視線を合わせると、南天の枝の間に蜘蛛の巣が朝露の数珠を掛けていた。
「蜘蛛の巣に露がかかっちゅうがじゃろ」
「蜘蛛の巣ながか?」
 これがかえ?と不思議そうに矯めつ眇めつ眺め、持ち上げろとせがまれて持ち上げてやれば、上からのぞき込む。
「きらきらしちゅう、綺麗やにゃあ」
「ほうかえ」
「糸に水が付いて、日に照って水晶が張り付いちゅうにゃあ」
 どこにでもあるような黄金蜘蛛の巣なのだろうが、そう言われれば掛かった露に日が差して水晶の粒を散らしたように見える。
 ほー、と感心していると、ぱっと手が伸びて蜘蛛の巣を掴む。
「あ」
「おぉの……」
 まだ九十九つくもに至らぬとはいえ刀の精、無残に壊れた巣にがっかりした顔で肥前を振り仰ぐ。
「ちゃがまってしもうた……」
「わりことしじゃの、先生」
「まっこと綺麗やったき、おんちゃんにあげたかったがよ」
「ほうかえ、おおきに」
 ぽんぽんと腰ほどもない頭を叩いてやれば、拗ねていた顔がすぐに笑みを浮かべる。
 それから何を言われたのだったか、今となってはとんと覚えていない。

 

 

「──何してんだ、先生」
「肥前くん」
 袴の裾が汚れるのを気にせずにしゃがみ込む南海太郎朝尊を見つけて、肥前は寝起きの目をこすって声を掛ける。
 手招かれ、誰のかもよく分からぬ下駄を突っかけて側による。吐いた息は白く、雪が降るのかも知れなかった。
「薄着だと冷えるぞ」
「ほら見ておくれ、蜘蛛の巣が凍っててね。うん、綺麗だ」
「……つついて壊すなよ」
「いつの話をしているんだい」
 思わず口を挟むと、間髪を入れずに反論される。すこし恥ずかしいらしく、いつもより早口だった。
「で、蜘蛛の巣なんて珍しくもねえだろう。何する気だよ」
「ふふふ、見たまえ」
 肥前がぼんやりと見ていると、朝尊は懐からなにやら黒い色紙のような紙とスプレー容器を取り出す。
「朝尊式瞬間インク噴射機二号と標本保存用紙だ」
 眼鏡の下の目をきらきらと輝かせ、蜘蛛の巣の裏に紙を当て、スプレーを当てる。真っ白に染まった蜘蛛の巣が、黒い色紙に張り付いて絵画のように収まる。
「おお……」
「蜘蛛の巣のように繊細なものでも、こうして固めて貼り付けることで保存出来る。凍っていてもね。蜘蛛の巣でもできるから、もっと微細な物でも可能だよ」
「で、それ何に使えんだ?」
 ぎくり、と朝尊の肩が揺れる。別段何かに使えると思って作ったわけではないらしい。
「……これはきみにあげよう。綺麗だから、まるごとね」
「……ありがとよ」
 芸術作品のような色紙を渡される。ついつい流されるままに受け取って彼の頭を叩く。ふわふわとした感触は、いつかとあまり変わっていない。
──そういえば、あのときに言われたことを思い出した。
「本当にしっかりまるごと保存してくれるとはな」
「……いつの話をしているんだい」
 いつか満面の笑顔を浮かべた刀の憑きものは、素知らぬふりで嘯いた。