日の光に照り映える白銀の刃を見た瞬間に湧き上がった己にも御しきれない感情は、そのまま競り上がってぼろっと両目からこぼれ落ちた。
いつかのきみと
初めて出陣をともにしたのは顕現してからしばらくたった頃だった。それなりにレベルも上がり、修行を経た刀剣男士とも部隊を組むことも増えてくる、そんな日だった。
「燭台切っ!」
八丁念仏が表門に向かえば、もうすでに隊長である月を背負う一振が戦支度を調えてのんびりとした顔でほかの隊員を待っていた。
八丁念仏が彼に声をかけると彼の隻眼がふわりと笑みを浮かべて振り返る。
「八さん。今日はよろしくね」
「こちらこそっ、よろしくねっ」
駆けよって彼と拳を打つける。
「燭台切の戦装束を近くで見たの初めてかも。よっ、伊達男!」
「ありがとう。あなたにそう言ってもらえると嬉しいな」
はにかむ燭台切に八丁は思わず目元を和らげた。行を修めた刀は本丸にすでに多い。
八丁が顕現した時にはすでに燭台切は極めていた。とはいえ、極めの刀との出陣をともにすることは少なく、燭台切との出陣はこれが初めてだった。いつもの作業服とも軽装とも異なる彼の戦装束はとても彼に似合っていた。
それは戦いに赴くための拵え。戦う為の、斬るための姿だ。
だからなのだろうか。長船派の祖として、また本丸の要の一振としてほんのしばらく見ない間にずいぶん大きくなったように思う。そのまま口にしたらきっとちょっと不満そうにするのだろう彼の顔を想像して八丁はふふ、と笑う。別に子ども扱いではないのに。
「今日は阿津賀志山でしょっ、燭台切に負けないように頑張るねっ」
「もちろん! 僕も負けないようにしないとね」
気安く放しているうちにほかの隊員もそろって出陣となる。
阿津賀志山はもう八丁もずいぶんと出陣しなれた戦場だ。
だからこそ、その戦場で湧き上がった情動は八丁の予想を外れていた。
──長船派の祖、光忠が一振。参る!
初戦、燭台切率いる白刃部隊は横隊陣にて陣取る。
緊張と興奮の混ざり合った戦の気配の中、口火を切り落としたのは朗々と響く彼の声だった。よく響く彼の声は本丸で聞くそれとは一線を画した猛々しさを秘めていた。
思わずその声の主を見上げて、八丁は愕然とした。
彼の刀身が、阿津賀志山の夏の空を切り裂いていた。
燭台切光忠の名乗りとともに鞘走らせて抜き去った白銀の刀身。陽光に照り生えて白々と空を裂くその姿。
それに八丁は目を奪われた。
美しい姿だった。
備前長船の祖らしい黒々と良く約んだ地金、華やかながらも品のある明るい丁子乱れが日に映える。それらが目に飛び込んできた瞬間に、八丁は思わず息を詰めた。
そうだ。彼の姿はこんな風だった。
こんなふうに、鋭く、美しかった。
「八丁念仏、どうした」
一瞬剣筋が鈍ったことに気がついた仲間の声に、八丁は自分が呆然と彼の姿を見つめていたことに気がついた。我に返って涙を拭い、頭を振る。
「……んーん、何でもっ!」
一足を踏み込んで刀を振り抜く。八丁の刃はすっぱりと時間遡行軍の太刀の首を落とす。雪のように白い太刀は不思議そうな顔をしながらも蛇骨の脇差しを軽々と折り砕く。
もう慣れた戦場だ。
極と初の刀剣男士の混在する白刃部隊は危なげなく一戦を終えた。
さて次の戦──と八丁が刃を鞘に収めた瞬間だった。
「わっ!」
勢いよく正面から体当たりまがいの勢いで黒い塊が襲いかかってくる。たたらを踏んで受け止めれば、目の前は真っ黒い質の良い布地に埋め尽くされる。ぐ、と肺が詰まるほどに抱きすくめられているらしい。
「光坊!?」
鶴丸国永の驚いた声に、この相手が燭台切だと知れた。鶴丸の驚いた声に返事も出来ない有様らしい。鶴丸はどうしていいか分からないらしく、視界の端の彼がおろおろとしている。きょとんとしているのはほかの仲間達だ。防具が当たらないように少し体をずらしているのが彼の限界ぎりぎりの配慮であった。
燭台切の重みを全身で受け止めて、八丁はふは、と思わず笑み崩れた。
この太刀もきっと先ほどの自分と同じ気持ちなのだろう。胸が何かで一杯になって、競り上がってくる熱い塊が出口をなくして目元から零れ出ている。涙という形で心があふれてくるのだから、人の身とは不思議だった。児手柏や上下龍たちとまた再び会えるときまでに、この何かの名を知ることができるのだろう。
「燭台切、しょくだいきりー」
ぽんぽん、と大きな背中を叩く。三日月を背負った背中から伝わる呼吸は震えていた。じんわりと肩口が濡れていくのが分かる。
「初めて見たもんね、びっくりした?」
燭台切が涙に濡れた声でやっとのことで反論する。
「……初めて、じゃない……」
「あはっ、そうだね、三百年ぶりくらいっ? 地金も、刃文も──焼けちゃう前のあの頃と何も変わらないもんだね」
光忠が声もなく頷いた。狼狽えていた鶴丸や仲間達がはっとした顔をした。
──そうだ。本当に、彼の健全無比な姿を見たのはそれくらいには昔のことだった。
「もう大丈夫だって、思ったんだ」
燭台切がもごもごと囁く。
「うん」
「あなたが顕現して、僕は楽しみだったんだ……、一緒に出陣したら、きっとあのころみたいにあなたの太刀筋は綺麗なんだろうなって……ただ、そればっかりで……」
「うん……」
「あなたの、姿を、昔と何も変わらない刀としての貴方を見て、こんなに、こんなに……嬉しい……」
焼けても、燃えても、刀としての切れ味を失っても八丁たちの物語は続いた。切れ味がなくても、地金も刃文も燃え尽きても、八丁念仏は八丁念仏で、燭台切光忠は燭台切光忠だった。守られて、語り継がれ、受け継がれた刀だ。
それでも──それでも。
備前長船派の祖としての、息を呑むほどの刀の美を。青銅の燭台を切り落とすほどの冴えた切れ味と折れず曲がらずの極地を──取り戻せるとは思わなかった。
八丁もこみ上げて来るものが抑えきれずに彼のフロックコートに涙を吸わせた。
「うれしいときでも、泣けちゃうんだね。この気持ちは、嬉しい、だ……うん、そうだねっ」
「うん……」
懸命に鼻をすすらないようにしているのが健気で、いじらしく、八丁はこんどこそ思わず吹き出して、両手を彼の頭に伸ばした。
彼のいつもきっちりと整えられている髪をぐしゃぐしゃになで回す。こしの強い黒髪を遠慮のかけらもなく乱しにかかる。
「やめてよお」
ぐす、と涙目でようやく顔を上げた燭台切に、今度は反対に八丁が抱きつく。背中をあやすように叩いてふふ、と吐息を吐くように笑う。
「燭台切光忠。またあえて本当に嬉しい」
ぐう、と喉が鳴る音がして、燭台切がまたはらはらと涙を零す。
「僕もだよ、八丁念佛さん」
せっかくの政宗公縁の眼帯が濡れてしまっていることだろう。自分もたぶん、そう大して変わるまい。
「手ぬぐいどこ? 上着の隠し?」
手ぬぐいと言うには小さな布を引き抜いて眼帯を上げて目元を拭う。ついでに自分の目元もぬぐって、彼の肩を引き放す。
月を負う背中を叩いて声を上げた。
「さっ、戦戦! 燭台切の分で切ってあげようかっ?」
「──まさか!」
燭台切はまだ少し端の赤い隻眼をきらきらと輝かせて鞘を払う。
美しい刃を翻して前を向く燭台切に戦のいとまの終わりを悟った仲間が同じ方向を向く。
「ごめんね、ちょっと格好つかなかったね」
「いいさ光坊。驚かせてもらったぜ」
鶴丸が笑う。
八丁も気を引き締めて鞘を払う。
いつかの君と、肩を並べる戦場を駆け抜けるために。
終