一 入江

 とぷん、と水底に落ちる。
 否、沈んだというのは感覚のみの話で呼吸に支障も無く身體も濡れてはいない。だが、ここが深い海の底のようなものであるということだけは分かる。
「……どういたもんじゃお」
 群青色の暗い海の中で陸奧守は周りを見回した。一寸先も見えぬ程だが、広大さだけは感じられた。
(ここから呪いの核を見つけんといかんがか……)
 陸奧守はふう、と溜息を吐いて歩き出す。足下には荒れ果てた道のようなものがある。
「こっちながか?」
 答えは無い。だが足下の道はどこぞへ細く長く続いているようだった。
「道があるがは、おまんらしいにゃあ」
 ただ黙っているのも心が昏くなる。陸奧守は殊更明るい聲を出した。
 海の底であることは事前情報と変わりない。
 そういう呪いであるが故に、トリガーはすべて同一だ。
 問題はその先である。
 燃えさかる蔵があったと言ったのは大倶利伽羅。空に戦闘機が飛んでいたといったのは蜻蛉切。ぽつんと墓前で彼が佇んでいたと言ったのは長曽祢虎徹。燃える天守閣であったもの。元の主の亡骸や、己が斬り捨てた人に囲まれていたものや、本科に罵られていたものや、戦場で折れていたもの。審神者であったものさえいるらしい。
「さて、……おまんは何を見ちゅうがかね。和泉の」
 言葉に合わせて口から泡が溢れてどこかに流れていく。
──一瞬でいい。呪詛によって心に秘めている悩み、不安、そういった感情から意識を反らせ。
 そう言ったのは刀剣施療院勤務の大倶利伽羅だった。
 陸奥守は確かな足取りで陸奥守は海の底の道を行く。生き物の気配の無い海の道の中をまっすぐに歩いていく。
「和泉のー。和泉守兼定殿ー。鬼の副長殿ぉ」
「誰が鬼だって?」
 聞き慣れた声より幼い声。期待していなかった返事に驚く。
 振り返れば、道の端の木に肩を預けるように幼い子どもの姿をした刀が、瞳ばかり年頃に似合わぬ色で佇んでいた。
「和泉の!?」
「おう」
 子どもはひらりと手を振って陸奥守の前の道に入る。
 どこか堀川国広と似通うくりくりとした青い瞳、うなじで結い上げた肩甲骨くらいまでの黒髪に、着ているものは布の余った子供用の着物だ。年の頃は十を越えるか否かというところだろう。彼の姿には似合わない長い刀を下げ緒で背負っている。
「おまん、どういたがよその姿……そがに小もうになって……」
「オレは案内役ってとこだな。本体のささやかな抵抗だ。……おかげでこんなガキの姿だけどよ」
 気まずさにがしがしと頭を掻く癖は本当の和泉守と何も変わらない。
「案内役が出たっちゅう話は聞かんがやったけんど」
「オレの場合は今までと違えんだろ?」
 幼い和泉守は肩を竦め、陸奥守の手を取った。
「行こうぜ。あんまり長居して欲しい場所じゃねーんだから」
「まあ、ほじゃの。でもまァ、わしはおまんのあんなところもこんなところも見た仲やきね。他のもんよりマシじゃろ」
「……ッ馬鹿やろう! そんなんじゃねェよ!!」
 声をひっくり返して怒鳴る幼子の幼い手が陸奥守を勇ましく殴りつける。
「風呂場と戦さ場での話じゃけんど?」
 幼い柔らかな頬を突いて見せれば、カッと頬を赤らめて鼻を鳴らす。
「ッたく……!」
 陸奥守の手を引いて道の先へ行く。耳の端まで赤くなるところは大人の彼と変わらない。
 無論陸奥守とて長居はなるべくしたくない。
 何しろここは、彼の本丸の和泉守兼定の心の中なのだから。
「よし、さっさと行くぞ」
彼の言葉が終わるか否かで海が荒れる。思わず目を閉じた陸奥守の足が海流に呑まれて道から離れ、波に攫われていく。
「オレから手を離すなよ」
 彼の声が聞こえて陸奥守は案内役の手を強く握った。