あいを集める

※ひぜむつ

 つい先だっての景趣変更もようがえに伴って、あじさいが色づいた。梅雨に濡れそぼる紫陽花の花は本丸のあちこちに群れをなし、その群れそれぞれに花の色を変えている。ここまで紫陽花を植えている本丸もそうそうないと古参の刀たちは笑っている。
 本丸で初めての梅雨を迎えることになった刀たちはそれぞれに感嘆したり驚いたりとせわしなく、肥前はどちらかというと呆れた部類だ。
「何だってこんなに」
 肥前の呆れた呟きを拾ったのは、雨傘を差して白い紫陽花の群れの中にしゃがみ込んでいる陸奥守吉行であった。
「肥前の!」
 内番服の陸奥守が肥前の声に傘を上げて笑う。
「近侍は終わったがかえ? 今日は模様替えの日じゃろ?」
「ああ」
 地面の溜水をわずかに跳ねさせながら陸奥守が寄ってくる。
「あじさいは土のpH値で色が変わるがよ。面白うてこじゃんと植えよったらこがぁな有様じゃ。これは鶴丸紫陽花ち言うちゅう」
「はあ?」
「あっちのは歌仙、一期一振、他にもこじゃんとあるがよ」
 傘を差さぬ片手を広げる。その手の向こうは雪のように真っ白い紫陽花が咲いている。その奥には確かに歌仙兼定の髪の色のような紫の花もある。
 どうじゃ、きれいじゃろうと自慢げな顔に思わず顔をそらした。
──花を愛でることなど、もう忘れた。
 忘れぬままの刀に無性に腹の底をかき乱されるようだった。いつもそうだ。そうして不機嫌を晒してしまう肥前を、あの刀はどう思うのだろう。
「知らねえ。昼飯にいくだけだ」
「おおの、もうそんな時間かえ」
 肥前の吐き捨てたような声にも、陸奥守は笑って頷く。それがまた、惨めなようで肥前は彼に背を向けて縁側を歩く。
「いらちじゃのう」
 笑いを含んだ彼の声が追ってくる。
 雨の降り込まぬ縁側を歩く肥前の横を、雨傘を差した陸奥守が平行する。
 顔は見えない。だが、上機嫌ではあるのだろう、傘はゆっくりと彼の手の中で回っている。
 食堂に向かう道の途中、ふと陸奥守の足が止まる。
「……のう肥前。ちっくと寄り道せんかえ」
「あ?」
 陸奥守の顔は傘に隠れて見えなかった。断ろう、と顔をしかめた肥前を察したのか、陸奥守が言葉を重ねる。
「すぐやき」
 袖を引かれる。その仕草が、妙に縋るようで閉口する。甘え下手で意地っ張りの刀がそういう甘えるような仕草を見せるのは余程気を許した相手だけだというのを、肥前は知っていた。
 そして、それを一度はねつければもう二度としなくなるのも知っていた。
「俺は、花の善し悪しなんて分からねえよ」
「えいえい。そういうんじゃないきね。こっちじゃ」
 角を曲がり、渡り廊下から誰かの片付け忘れた雪駄を拝借する。陸奥守のもつ傘を差し掛けられて、そのまま傘の動く方についていく。飛び石を渡って道を行く。
 今は咲いていない椿の横を通り抜ければ、少し前に百合の咲いていたあたりを抜ける。その先には何があったか、と思い出そうとしていたところで、ぴたりと傘が止まる。踏み出して雨に濡れかけたところで、陸奥守の声が降ってくる。
「見とおせ!」
 顔上げて目を丸くする。離れに続く小さな池の側に、自分たちの腰ほどの大きな紫陽花の株がある。
 その色は緑の葉の中に深い深い朱色の小さな花を集めて咲いている。まるで、葉に飛び散った乾いた血のような──己の色だ。
「……これ」
 絶句した肥前をちらりと横目に見て、陸奥守はそっとその花に触れる。
「きれいじゃろ! おまんの髪の毛の色みたいらあて思うて。ようやっと、おまんの色で咲いたがじゃ。おまんが来たからじゃろうか」
 嫌みか、蔑みか──かっと燃えかけた腹の底の憤りが、その横顔で霧散する。
 あまりにもその花を愛でるまなざしが穏やかで、慈しむものだったからだ。
 飛び出し掛けた罵倒が消え失せて、肥前から転がり出したのは疑問だった。
「……いつ植えたんだよ」
「本丸の初めんときからある株じゃ。土の配合をちくちく変えて……」
 この刀は、毎年毎年、そうして自分の色をつくりだしたというのだろうか。
 来るかも分からぬ自分を待って、本丸が始まるそのときから。何年も、何年も。
──それは、随分と。
 肥前の手が、自ずと彼の横顔に伸びる。髪をかき上げて頬を撫でる。
 ぎょっとした顔の男を見上げる。自分がどういう顔をしているのかあまり分からない。底意地の悪い顔をしてるのか、それとも、この刀のいじましさに苦しいほどの顔をしているのか。
「随分と、焦がれててくれたらしいな?」
 この色に──否、俺に。
 耳元で囁けば、陸奥守は目を丸くしたあと、耳を真っ赤にさせてうつむいた。
「たまぁ……、そがなつもりじゃ……」
 どうやら、図星だったらしい。
 深い朱色の花の群れの中にぱさりと傘がおちる。
 彼自ら作り出した己の色の中で、眩しい異彩をはなつこのいじましい刀に、なにか褒美をやらねばならぬだろう。

 

集真藍あいをあつめる・完

2022/06/19  #ひぜむつ版真剣60分一本勝負 参加作

 

 

後書き

作中の紫陽花の品種のモデルは「ブラックナイト」という品種です。めちゃくちゃ肥前くんの色なので是非探してみてください!