序 蜻蛉切の槍

 

蜻蛉切が姿を見せない。
そう云われ、御手杵は久方ぶりに本多邸を訪った。

華やかなる昭和モダンが一世を風靡する、帝都東京。
その帝都の端、未だ江戸の面影をのこす武家屋敷のひっそりとした六畳程の奥の間に、笹穂の大身槍が掛けられていた。
窓のない奥座敷は、新しい洋灯のしらじらとした光が隈無く照らしていた。
勇壮な笹穂槍の前には、役者と見紛うばかりに見目の良い、背格好は六尺越えの美丈夫が、仕立てのいい三つ揃いの洋装で胡座をかいている。表情はかすかに怪訝そうな雰囲気を醸し出していた。その後ろには溌剌とした青年の面差しを残す若き子爵とその妻女が、神妙な面もちで居住まいを正していた。
「蜻蛉切よう」
と、男が人に語りかけるように槍を呼ぶ。
この笹穂の槍は、天下に名高い名物蜻蛉切である。
穂の長さは一尺四寸、村正一派の三河文殊派の藤原正真の作の大笹穂槍で、表は鎬造に二筋の樋。裏は平造で幅広の樋に梵字と三鈷剣の見事な彫り物が彫られていた。柄の長さは往年のまま一丈余り。その笹穂は青螺鈿が美しい柄に据えられていた。
この忠勝系本多家の伝家の槍であり、かつてこの家の祖、戦国無双の本多忠勝の愛槍として誉れ高く、維新の後に西の日本号、東の御手杵に加え、天下三名槍と並び称された名槍である。
その槍に向かい、まるで知己であるかのように男は語りかけた。
「なあ出てこいよ、蜻蛉切。みんな心配してるぜ」
沈黙を守る笹穂の槍に、男は困ったように頭を掻いた。沈黙は堅く、臨席している子爵は表情を曇らせる。肥前から嫁いだ嫁御はなにもかも承知した様子で、夫と槍と、男を見ていた。
しかし、いくら待っても蜻蛉切はただの槍でしかなかった。
四半刻も待ちぼうけて、子爵が深く息を吐く。
「手杵の槍様でも出てこられぬなら……ああ、やはり蜻蛉切はもはや、もの憑きの槍ではないのだな」
子爵は、もう一度、ため息をついた。今度はどこかしらホッとしたような息だった。
男──前橋松平の秘蔵の宝、御手杵のつきものは小首を傾げた。
つきもの──漢字では憑き物、憑喪神と書いたようである。今より三百年ほど前、第二次世界戦後のGHQの方針により秘密裏に封じられたとされる言葉であり、今やそれを伝えるのは、戦火を越えて焼け残った文書ばかりである。地方ごとに差異はあれ、武家ではつきものという名称が一般的だったようだ。物に憑くもので“つきもの”。今でいえば、二十二世紀半ばから御刀統神社に祀られることになった憑喪神やその現身である刀剣男士のことだろう。
ものという名も興味深い。そもそも、ものとは人の理の外の“もの”を云うアニミズムが語原であるとされる。つきもの、ものつき、どちらも、人ならぬものに憑いたものの呼称なのであろう。
「憑き物が落ちた……?」
御手杵はつぶやき、反対側に体ごと首を傾げた。
御手杵は考えた。これは、本当に蜻蛉切の憑き物は落ちたのかもしれぬ。しかしどうやら、この家はそれに安堵しているようだ。
蜻蛉切がこの家に祟りでもしたのだろうか?
とふと考えて、自分の想像のあり得なさに思わず笑いそうになった。
伝家の宝物の憑喪神は、基本的には家の守り神と伝えられていた。蜻蛉切とてそうだ。
御手杵などは、自分が家を守っているという気分はさらさらなかったが、それでも十数代にわたって見守ってきた前橋松平家を見限ろうとは思わなかった。何かあれば手を貸してやりたいと思う。それが戦であればもっといい。槍としては呑気な方である御手杵でさえそうなのだから、本多に伝わるあの槍がそう思っていないはずはないだろう。あれほどの忠義ものはそういない、と御手杵は蜻蛉切を賞している。
蜻蛉切は自分や日本号よりも遅くに目覚めた若い槍だ。御手杵と出会ったのはもはや数百年前になる。その後天下を取り、権現様と呼ばれるようになった、徳川家康の居城でのことだった。そのころの御手杵の主は結城の家に継嗣として入った秀康だった。
猛将と名高い本多忠勝の手の中で振るわれた槍は、まだ幼く、ぼんやりとした人姿で忠勝の後ろにちんまりと控えていた。そんな目覚めたばかりの幼姿の頃から、御手杵は知っている。主同士の縁もあり、槍の先達として蜻蛉切の手を引いてやったのも懐かしい昔の話だ。
──御手杵殿!
と、まだ幼い頃の槍の憑喪神が自分に駆け寄るときの声を御手杵は覚えている。ふくふくしい頬をゆるめて己を見上げる、その大きな黄金橙の目にきらきらと映る憧憬が、擽ったくも心地よかった。
主とともに武功をたてる度、若木が延びるようにすくすくと身の丈が伸び、江戸に入って参勤交代で顔を合わせるころにはすっかり雄々しい姿になっていて、日本号とともに嘆いたものだった。

つらつらと懐古しているうちに、再び子爵の密やかなため息が聞こえた。
「ものつき巫女にも頼んだのですが、とんと無駄足だったのです」
「わざわざ呼んだのか」
子爵の言葉に、御手杵は驚いた。
さて、つきもの巫女、もしくはものつき巫女とは何か。
現在二十三世紀では廃れている古い言葉である。発祥には諸説あるが、文献では鎌倉幕府の武士の日誌などにモノコ、モノミコ、キキミコなどとして記述が残っていることから、鎌倉時代から存在していたことが確認されている。一時はノノウ巫女と同一視されていたが、男性もつきもの巫女の集団に居たことが明らかになり、別物であるとの見方が強くなっている。古くは鎌倉時代から江戸、明治の末期になるまで、日本各地に点在していたと云われる、神職集団の総称である。
戦中戦後の混乱で忘れられた存在だが、昭和ではつきもの巫女の名で一部に知られていた。武家を中心に顧客を抱えていたと記録には残っている。
余談であるが、こちらなら馴染み深いのではないだろうか。二十二世紀末のテクノロジー革命の折りに再発見され、御刀統神社の祭祀に準じて名称を総合し、現在は“審神者”と称されている。しかし、この時代のつきもの巫女たちは、命なきものの声を聴き、齢九十九を越えた器物の憑喪神を、自在に人の姿に口寄せることができたという伝承がある。今よりも遙かに高度な術士であったことは疑いない。
御手杵は声をあげて唸りそうになってなんとか抑えた。
憑喪神が人に見えぬことはままあれど、同じ憑喪神である御手杵の目に見えぬというのは不可解だ。
加えて、先ほどの子爵から感じた違和感も、御手杵の尻のすわりを悪くした。

「邪魔したな。またちょっとしたら、もう一度来ても良いか?」
その違和感が気になって帰り際に、不躾に願い出る。子爵は頷いた。
「はい、是非こちらからもお頼み申し上げます。こちらからお呼び立てしてお出でくださられたのに、申し訳ございませぬ」
深々と頭を下げる、その背中が妙に疲れて見えた。少し色あせて見える背広の生地故かもしれない。
「いや、いいさ。槍なんて暇してるだけだしなあ」
子爵の妻女が差し出したフロックコートを、礼をいいつつ受け取って革靴を履く。
御手杵の槍は、もう一度だけ蜻蛉切のいる奥の間の方を振り返って、ため息を吐き、本多邸を後にした。