終 御手杵の槍

うららかな春のそよ風が、頬をくすぐる心地よさにうっすらと目を開いた。
「これが御手杵かあ」
声がする。
自分に目があることを何となく感じた。ガラスケースの向こうに自分をみる瞳がある。
とろりと柔らかく暖かな泥のような微睡みの心地よさに、御手杵はほほえみを浮かべている。
いつか同じように微睡んでいたような気がする。それも遠い話で微かな既視感でしかない。
長く眠っていたような気持ちがする。
目覚めと眠りを幾度も交互に渡り歩いて、日々を過ごし、季節は幾度も巡っていく。幾度か外にでたような気がするが、それもやはり微睡みに飲まれていた。
半分目覚めた時はいつも、自分の名前を呼ばれている。
「これが結城秀康の槍かあ」
たぷんたぷんと、呼ばれる度に何か暖かなものが胸の内に満たされていくような気がする。
「松平の馬印の」
「これが参勤交代の槍かあ」
感心したように、あるいは興味深そうに。感激したように、ささめきあう人間たち。のぞき込む瞳が心地よくて、御手杵はうつらうつらとしたままほほえむ。
「これが三名槍の一本なんだなあ」
誰かがほう、と感心したようなため息をついてくれた。
「ああ、こんなの持てたなんて、結城秀康も結城晴朝も凄いな」
一人の若者の真摯な賞賛に、御手杵はぱっちりと目を開けた。
どくんと無いはずの心臓が脈打って、暖かい血潮のようなものが体中を駆けめぐる。体中がむずむずして、たまらずに声を上げる。
「だよなあ!」
御手杵の歓声がガラスケースの向こう側に届くことも、人に見えることもないが、御手杵はようやく憑喪神として目が覚めた。
──なんたって俺は結城の槍だからな! おれは御手杵の槍で、晴朝の槍で、秀康の槍で、松平の馬印で、三名槍が一本なんだ!
もう眠気はすっかり去り、一人で納得して頷いた。
誰のものかもしれぬ、低くて心地のいい声が脳裏をよぎる。さびのある太い声の言葉が脳裏を巡る。
槍の奉公。思いもせぬお役目。
「結城伝来にして、前橋松平の槍。天下三名槍が一本、御手杵はここに居るぞ!」
欠伸をかみ殺し、しゃっきり背筋をただして、ガラスケースの向こう側に声を上げる。戦働きができないのが残念だが、それでもおれはここに居る。
それは人には聞こえなかったが、のぞき込んでいた人間が首を傾げた。
「今、槍が光らなかったか?」
「本当だ。格好いいね、御手杵」
人の視線をきらりと跳ね返し、新しい槍は風格豊かに、己が歴史の光を穂先に照り返した。
御手杵の槍は、今もここに。

 

つきもの奉公 完