忘れ得ぬ晩餐

血族は家族であり、同胞は兄弟であり、人間は隣人だ。
思い出を共有できる相手との語らいは、たとえ吸血鬼であってもかけがえのない時間となる。
それが何百年も遠い日々の話となれば、その価値は宝石にも勝るだろう。

 

「……御真祖様おとうさま、これもう一人分作ってもらっても?」
細い月の出る頃、ロナルド吸血鬼退治事務所に客人たちがいた。依頼人ではなく客人であるのは、それがドラルクの父と祖父であるからだ。
ドラルクの領域である台所でさくさくと料理を作っている真祖とドラルクを眺めながらドラウスはほくほくとテーブルをセッティングしていた。
事務所の主人と、ヒナイチ嬢は下等吸血鬼の大量発生の討伐にかり出され、ドラルクに「唐揚げとおやつも作っておいてやるから早く帰ってこい」と背を押されて渋々出かけていった。
ご馳走をつくる、と押しかけてきた父は珍しく本当に普通に人間の料理がしたかったらしく、ドラウスの懸念を他所に楽しげにパプリカと幾種類かの懐かしいスパイスと向日葵の種やらなにやらをずらりとキッチンにならべ腕をまくった。
もちろんドラウスも手伝おうとしたのだが、ドラルクにテーブルセットを任された。
「この激狭キッチンで三人は狭いです」
ときっぱり断られて少し泣いたのはもう忘れることにしている。自城から薔薇と花瓶とクロスでも持ってこようか、と思っていた所で、ふと呼ばれる。
「ドラウス」
目の前に父の指が伸びていて、ドラウスは思わずのけぞる。
「な、何です」
「ママリガ。味見してね」
スプーンに乗っているのは確かにママリガだ。滑らかな口あたりにトウモロコシの甘さとチーズのうまみがほどよく溶け合ってほっとする味がする。ハーブの香りが鼻に薫る。
「これは……」
一口呑み込んで、ドラウスは目を丸くした。
「美味しい?」
「え、ええ。美味しい……ですけど」
「お父様?」
少し挙動不審な父に、ドラルクの心配げな声がとぶ。息子の声に我に返って首を振る。ちらりとキッチンを見れば、ママリガだけではなく懐かしい料理ばかりが並んでいた。
サワークリームとロールキャベツでサルマーレの準備ができている。おそらくキャベツは真祖直々に漬けたものだろう。こねられた挽肉から薫るスパイスから考えればあれはハンバーグではなくミティテイだ。
御真祖様おとうさま、これもう一人分作ってもらっても? ドラルク、一人増えても良いかい?」
父はきょとんとしながらも息子の頼みは断るはずもなく頷く。ドラウスは怪訝そうな顔をしつつも、構わないと頷いた。家主本人には許可をとっていない、と一瞬頭を過ぎるが、ポールならば構うまいと算段をつける。
ドラウスは久しぶりに携帯電話を起動させて番号に掛ける。
数コールのあとで、驚いた声の女がでる。
――ドラウス? 何、どうしたのよ。ぎっくり腰にでもなった?
「ゴルゴナ、今から暇か?」
ゴルゴナ叔母さま? と息子が首をかしげ、真祖も孫と顔を見合わせて首を傾げる。
「お父様が例のママリガ作ってるんだが。多分ミティテイとかパプリカーシュも。お前好きだったよな」
――は? 今すぐ行くわ。何処?
語尾に被さるような食い気味の返事に、ドラウスはほっとした。この食いつき具合からすれば、伝えなければ百年は恨まれただろう。
「シンヨコのポールの事務所」
――OK。今渋谷に居るの。一時間で行くわ。
すぐに切れた電話にドラウスはふう、と息を吐いた。
「ゴルゴナ叔母様来るんですか?」
「うん。すまない、ドラルク、迷惑なら場所を変えるが」
「大丈夫でしょう、ロナルド君には伝えておきますから。叔母様だし、無茶は言わないでしょうし。……いや、ポールダンスさせようかな……」
真祖があまり表情の読めない顔でドラウスを見る。どうしてゴルゴナを呼ぶのか気になっているのだろう。
もちろんゴルゴナもトランシルヴァニアに暮らしていた時間は長い。自分で拵えることだってできるだろう。
ドラウスはなんと伝えるべきかほんの一瞬迷って、まあ構うまいと口を開いた。此処に居るのは血族だけだ。
「このママリガもパプリカーシュも、お母様のと同じ味がするんですよ」
「ミナと?」
珍しく、本当に驚いたようにすこし目を丸くする父に、ドラウスは口元を緩めた。何百年親子をしていても、知らない事というのはあるものだ。それも、このハリケーンのような真祖でさえ。
携帯でロナルドとやりとりをしているドラルクが、ぴくりと耳を揺らす。
「俺もゴルゴナも再現しようと百年くらい頑張ったんですけどね。どうも上手くいかないんですよ」
「もっと作ろうか」
「あなたが作りたいときでいいですよ」
前に作ったのは、あの退治人ヘルシングに振る舞ったときだ。
本当に嬉しいことがあるとき、人間と親しくなったとき、彼にとっての本当に良いことが起こった時に父は母の料理を作る。
多分本人は気まぐれで作っていると思っているのだろうが、この料理ばかりはドラウスもゴルゴナも作る時を知っていた。
途切れた会話を繋ぐようにドラルクが尋ねる。
「叔母様もお祖母様の料理を知っているんですか?」
「お母様が生きている時に吸血鬼になったのはゴルゴナくらいだからな」
父の血を分け与えられたばかりの妹との初邂逅を思い出して苦笑する。母にはすぐ懐いてお母様お母様と言っていた癖に、ドラウスにはいつだって突っ慳貪だった。色々とあって今は戦友のような関係だが。
「そうなんですか」
ドラルクが不思議そうな顔で、ママリガをスプーンで掬ってジョンに味見をさせる。
ヌーと笑うジョンは、温かい味がすると言った。

退治人たちと殆ど同時にゴルゴナも到着し、いつもより多い面々で食卓に着く。
日本人のいたただきますに合わせてドラウスも久しぶりの真祖の家庭料理に舌鼓を打った。
懐かしいわ、お母様のパプリカーシュ、とゴルゴナが呟く。
「美味しい?」
真祖が人間達に尋ねる。
人間達は素直に頷き、真祖はうっそりと目を細めた。

 

忘れ得ぬ晩餐 完