聖者の焚刑 ばらのさく街 - 1/3

ロナルド退治人事務所

トランシルヴァニア、カルパチア山脈の谷間、山間の小さな街は愛と薔薇で満ちている。
親吸血鬼を謳うそこは、世界で一番ダンピールや吸血鬼の人口比率が高いらしい。
――この街は世界のどこよりも、吸血鬼と手を取り合える町です。
黄金色の目をはにかませた娘が笑う。彼女自身も父が吸血鬼で母が人間らしい。
「へーえ」
ロナルド吸血鬼退治事務所の住居スペースで流れている旅行番組を片手間に眺めていたドラルクが不思議そうに相づちを打つ。
「御父様知ってました? あのあたり私あまり行ったことないんですよね」
「え、何だい? 聞いてなかった」
入念に香辛料と挽肉を混ぜ合わせていたドラウスは愛息子の質問に慌てて番組を見る。丁度カメラに教会の前の薔薇で飾られた石畳の広場が映され、ダンピールの女性が楽しげに街のあちこちを案内している。ドラウスは首を傾げる。
「あれ? ここ知ってるかもしれないな」
「吸血鬼の恋人と行きたい世界の隠れた名所№3らしいですよ」
「へえ……。随分田舎じゃないか。え、本当にカルパチアの奥の方なのかい?」
「最近流行ってるコスティネシティとかシナイアとかの方じゃないんですねえ」
「ヌヌヌヌヌイヌイヌ」
ほのぼのとしたルーマニア出身者たちの会話に、家主が拗ねた口を挟む。
「ルーマニアの地名分かんねえ」
力任せにすりつぶしても良いジャガイモを任されているロナルドがジョンの監督を受けながらダイニングテーブルで勢いよくポテトをマッシュしていく。
ドラウスの成形した挽肉に手際よく漬けたキャベツを巻いていくドラルクがくつくつと喉奥から笑いを溢した。
「よしよし、日本から出た事ないルド君はまずシギショアラから連れてってあげようねえ」
「こないだボルンガ共和国行っただろうが!」
流石に父親の目の前で堂々と殺すのは差し障ったらしく、ロナルドはすりこぎを突き出してドラルクに唸る。
実家うちも行きたいだろう? 君の好きな映画のロケ地だしね?」
「ヘッ、ヘルシングのロケ地か……。確かに立派な城だったよな」
好きなものを目の前にぶら下げられ、途端に怒りが解けてそわそわとするロナルドにドラルクはけらけらと笑う。それが見たこともない程実に楽しげで、ドラウスは安堵する。
「じゃあ来たら良い。ちゃんと管理もしているからそこらのホテルなんぞ目じゃない。キッチンもこんなに狭くないぞ」
「お前等親子って一々人を貶さないと話できねーの?」
ドラウスはまんざらでもなさそうに鼻を鳴らす。ロナルドも軽口に青筋を立てているが、ちらちらとカレンダーを横目に見ているくらいには期待しているらしい。
――この町には一つの吸血鬼伝説が残っているんです。哀しい伝説なんですが。
テレビから流れる女性の声にふと視線がテレビに集まる。まだ先ほどの街の紹介をしているらしい。
ドラルクが肩を竦めた。
「こういうのってさ。本人まだ生きてる可能性とか考えないのかね」
「そういやそうだなあ」
ロナルドが首を傾げる。此処にも二百才を数えた吸血鬼がいるのだから、吸血鬼伝説の当事者は今なお生きているかも知れぬ。
何しろ、ヘルシング伝説に登場する伝説の吸血鬼からつい最近スタンプ爆撃を受けたばかりだ。
「死んだふりでもしたんじゃないか? 人に紛れて暮らしてると、一度死んだことにしたほうが便利な時もある」
「へえ……おっさんも?」
「何個か墓はあるぞ」
いくつかの街の名前を指折り数える。東欧・西欧、アメリカ大陸や日本にも。ずっと紛れていたわけではないからこの年の吸血鬼にしては少ないほうだ。
「へええ……墓参り大変そう」
それを聞いたロナルドの素朴な疑問にドラウスが肩を竦める。
「愚か者め。一々墓参りなんて行くか。そういうのは物好きとか暇人がやるんだ」
自分の墓参りで世界中を回る古馴染みを思い出した。吸血鬼に懼れられる炎を操るからか、あの吸血鬼は人に紛れて暮らすのが好きなのだ。この町でタピオカ屋をやるとメールが来たときは画面を見る目を疑ったものだ。
ロナルドが納得して頷く。
「あそうか、自分の墓だしなあ」
ふとTVから流れるBGMの雰囲気が変わって振り返ると、テレビの中で、その伝説を元にした紙芝居が始まっていた。
――時は中世の半ば。とある吸血鬼の友人であった青年たちがいた。
吸血鬼は悪魔の手先だと信じられていた時代のことだ。それでも彼らは友人であった。
この村に異端審問官がやってきた。
その頃村を襲っていた流行病は、悪魔と親しい彼らの所為だと、異端審問官は断じ、彼らは異端審問に掛けられる。
激しさを増す拷問の中でも、友人の事は決して口を開かなかった。
絵本のような絵柄だが、どうも話はきな臭い。
吸血鬼と悪魔が同一され、異端審問官や吸血鬼退治人やらに追われていた頃は随分と昔の話だが、あの頃は大変だった。
「嫌な話だな」
つい思い出した苦い過去にそう呟くドラウスに、ロナルドは眉を寄せた。
「おっさん、チャンネル変えようか」
時折、吸血鬼のドラウスが驚くくらい善良な青年は、実際にその時代を生きた吸血鬼を、あろうことか心から慮ってそう申し出ている。これが畏怖から来る気配りならちょっと良い気分になるだろうが、そういう風でもないのが残念だった。
ドラウスは首を振った。
「いや、構わん。よくある話だ」
TVの中で紙芝居が続いている。
――そして、悪魔と契約したとして焚刑に処された老人達は、決してその友人であった吸血鬼のことを話はしなかったのです。
彼らは異端者として火刑に処されました。
そのときでさえ、彼らは微笑んでいたのです。
街の人たちがとんでもない事をしてしまったと気付いた時にはもう遅い。ただ彼らの灰が残るばかりでした。
駆けつけた吸血鬼の友人が、灰となった彼らを悼んで全てを連れ去って行き広場にはなにも残らなかったのです。
この過ちを深く反省した街の人は、そのことを忘れないように吸血鬼の好む薔薇を植え、彼らを悼んで暮らすようになりました。
魔女狩りも異端審問も、この町ではもう二度と行わないようになりました。
これがその薔薇と彼らを偲ぶ私達のシンボルです。
広場の真ん中に据えられた像は年期が入っていた。幼い人間と幼い吸血鬼が手を繋いでいる像は、確かに共生の象徴のように見える。その像の足下から街の隅々に広がる色とりどり薔薇の花壇は、確かに赤煉瓦の街の様相と相まって美しい。
「人にしては綺麗じゃないか」
「私の城の薔薇園のほうが綺麗だよ、ドラルク!」
「そうなん?」
妙な張り合い方をするドラウスにロナルドが乗っかる。背中でそっと動いた手がリモコンを動かしてさりげなくチャンネルを変えていたのをジョンだけが見付けてヌーと微笑む。
「確かに御父様の薔薇園は凄いな。たまに写生しに小学生が来てる」
「ドラルクのためならもっと綺麗にするからね!! そんな街なんて目じゃないくらい……山一面薔薇にしようか!」
「自然破壊は止めてください」
息子にてらいなく褒められたのが嬉しかったらしく、ドラウスが風船よりも軽やかに声を弾ませる。ドラルクは慣れたもので軽く聞き流し時に諫められるがそれでも十分だった。
愛しい息子の褒め言葉に浮かれたドラウスはうきうきとパプリカーシュを味見する。
「ほら」
ドラルクがあとは煮込むだけになったミティティの鍋の火を弱め、エプロンで手を拭きながら取り出したスマホの画面をロナルドの前に差し出す。
「おお……」
月影に照らされ、薔薇の花弁にまき散らされた夜露がダイヤモンドのように輝いている。東欧風の城の背景も相まって日本の栃木とは思えぬ光景がスマホ画面に収まっている。
「毎年薔薇の時期は本当に綺麗な庭だよ」
「へえ、おっさんのヌーチュー」
「馬鹿もの! ソレを口にするな、私を殺す気か」
「ごめん」
「ヌー」
そう素直に謝られると余計に辛い、と肩を落とすドラルクを生ぬるい目をしたジョンとロナルドが両側から労う。
「なんだい?」
ドラウスはその様子に何か忘れていたことを思い出しそうになるが、タイミングを見計らったようにドラルクが声を掛ける。
「あっ、おっ、御父様! 今度の薔薇の時期にお伺いしてもいいですか?」
「えっえっ!」
ドラルクがうちに来てくれるのかい! と声がうわずる。
「もちろん私も行きますけど、ロナルド君も見てみたいと」
ちらりとロナルドを見れば、おずおず、とこちらを窺う視線を向けている。普段の堂々とした様子と僅かに違う様子に、ドラウスの方が面食らう。
思わずドラルクを窺えば、息子とその愛すべき使い魔は穏やかにロナルドを見守っていた。ドラウスの視線に気付いて、肩を竦めて苦笑する。
おそらく、こっちの方が彼の本質に近いのだろう。
退治人の敵である、古き血の畏怖すべき吸血鬼にさえもその善性を惜しみなく向けることができる人間は、そうそう居るものではない。
長く生きたドラウスでもそういう人間と出会ったことは数えるほどしかない。
ふ、とドラウスは自分の何十分の一も生きていない幼気な生き物に向けて指先を突き出した。
「……仕方ない。ポール、畏怖すべき吸血鬼の居城に招かれるのだから、ちゃんと畏怖しろよ」
鼻を鳴らしてやれば、ロナルドがぱっと表情をを明るくさせて胸を張る。
「おう、この前呵々屋敷先生んち行く前ドラ公に吸血鬼に招かれたときの作法教えてもらったからばっちりだ!」
何故かその横でドラルクが慌てる。
「よせ……止せ、もう一回正しいものを教えてやるから黙ってくれ若造」
「え?」
きょとんと首を傾げるロナルドがまるで幼気な子どものようでドラウスは思わずくつくつと喉を鳴らして笑ってしまった。その直後に教え込んだ冗談がばれた息子の惨状に使い魔と共に泣き伏せることになるのだが。
翌夜に城に戻ったドラウスは少々考えて城の倉庫に潜り込み、その上で親友に連絡する。
「ノースディン。久しぶりにルーマニアに旅行でもどうだ?」
親友はいつものように快諾した。