墓参り

 西の空が微かに桃色に染まる遅い昼下がり。幾人かの忍とすれ違って会釈を交わしながら木ノ葉丸が向かったのは色とりどりの花で埋もれてしまいそうな墓標の前だった。
 三代目火影猿飛ヒルゼン──かつて里を守り、命を落とした英雄の眠る墓。その前に立って、冷たい石を見下ろした。下忍班の担当上忍となった今こそ祖父に聞いてみたかったことばかりが浮かんではこぼれる。
──ジジイは大蛇丸の先生だったんだもんな。俺がもし、あいつらに殺されるとしても、俺はきっとあいつらを憎みも恨みもしないだろう。なあ、じいちゃんもそうだったのか、コレ。
 木ノ葉丸は墓前に花束を手向けながら心で呟いた。
 年中花の絶えない立派な墓だったが、命日である今日は特に賑わしい。
 生前からのたっての望みで、ヒルゼンは火の国の端にある猿飛一族の代々の墓とは別に、木ノ葉の一人の忍として葬られた。祖父の魂が眠るのはきっとこの里だ。そしておそらくきっと己もそれを願うだろう。木ノ葉丸の故郷は木ノ葉の里である。猿飛の人間としては失格なのかも知れないが、里の名さえつけられた己が、この里の他に眠れるとは思わなかった。
 木ノ葉丸は静かに瞑目した。祖父に話したいこと、聞いてほしいことはたくさんある。
 暫くして木ノ葉丸はふと目を開いた。
 慣れた気配が近づいてきている。振り返れば、やはり花を持った当今の火影が墓地の向こうから歩いてきていた。
「木ノ葉丸!」
 揚々と手を振る火影に、木ノ葉丸は破顔する。己のライバルであり、尊敬する当代の火影にこの場で会うのは久しぶりだった。 
「七代目も墓参りですか?」
「おう。今日くらいはと思ってな。木ノ葉丸もだろ?」
「ええ」
 今し方木ノ葉丸の手向けた花の横に、火影の手向けた花が添えられる。二人の添えた花は、供えられた沢山のの花束に埋もれてしまう。
「はは、流石は三代目だなあ」
「ええ、本当に」
 ナルトがしみじみと目を伏せて墓石の名を見つめた。木ノ葉丸は心から頷く。
 我が祖父ながら果報者だ。木ノ葉丸が覚えている姿は、好々爺の姿ばかりで、よく叱られていた。それでも何人もの人間がこうして花を供えに、彼と話しをしに、そして、彼の死を悼みに来るのだ。死してなお忘れられることなく、こうして。
「──じゃあ、俺はこれで失礼します」
「え、もうか?」
「はい」
「その花は?」
 木ノ葉丸の手にしたもう二束の花束に火影は首を傾げる。
「これは……」
 木ノ葉丸は言いよどんだ。すぐに言い淀むようなことではないと思い直して苦笑する。
「これは、俺の両親に」
 目の前で火影がハッとする。そういう表情は、彼がまだ下忍だったころと何も変わらない。優しい人だった。ボルトともよく似ている。
「木ノ葉丸……」
「そんな顔しないでください、七代目のおかげなんですから。へへ、実はこれが初めてで。俺、二人の好きな花もよく知らなくて、いのさんに見繕ってもらって」
 ついついぺらぺらと舌が回ってしまう。ナルトが少し不思議そうな顔をしながらも、静かに聞いてくれているのが嬉しかった。
 それで、それで、と話続けそうになるのを、木ノ葉丸は慌てて切り上げた。火影の多忙さは三代目の頃からよく知っている。七代目である彼がここに来るだけでも、調整が大変だったはずだ。
 自分と話をする為に来ているのではない。
「あ、じゃ、じゃあ。これで」
 一礼して踵を返す。
 彼が火影であることなど百も承知しているのに、彼の前だとおもわず気が緩んでしまう自分が恥ずかしかった。つい「ナルトの兄ちゃん」に甘えてしまう。彼が火影になるときに、きっちりと部下であろうと心構えをしていたというのに。
 ふとしたときに、ただの木ノ葉丸として「ナルトの兄ちゃん」と話したくなってしまう。
──これではボルトの事を何も言えないぞ、木ノ葉丸。
 思わず深いため息が落ちる。足早に歩いていると、目的地から行き過ぎてしまう。
「おっと、行き過ぎたぞ、コレ」
 共同墓地の隅、英雄の碑の側にある小さな真新しい墓だった。区画整理で、増築された区画、木陰に隠れるように建てられた真新しい墓碑。
 三代目の墓とは比べものにならない影のような墓碑。それでも、そこに刻まれている名は自分の父母の物に他ならない。
「これだな!」
 ぱっと声が華やぐ。自分の父の名、自分の母の名。それがちゃんとここに刻まれている。これまでは望むべくもない事だった。平和になったからこそ、こうして陰の中に消えたはずの人間の墓を作ることができた。墓の下には何もないことを知ってはいるが、それでも木ノ葉丸は嬉しかった。
「へへ。二人とも遅くなってごめんな。やーっと墓参りにこれたぞ、コレ」
 二人分の花束を供える。周りをみれば、整然と並ぶ真新しい墓石の側にはぽつり、ぽつりと花束が供えられている。
「……父さん、母さん……か」
──こんなことを死んだ父母が望むかは分からない。影に生き、影に死ぬことを良しとした両親からすれば大きなお世話なのかもしれない。
「でもよ、何年も死んだか死んでないかも分かんないままにしてた父さんたちが悪いんだぜ。遺言もジジイにしか見せてないしさ。可愛い息子に一言でも残してくれって話だぞ、コレ。ま、息子孝行だな!」
 冷たい墓石は黙したまま何も語ることはない。
 伏せた瞼の裏に映る両親は、暖かな陰のような存在だった。はっきりと顔立ちや声や匂いを覚えてはいないが、その存在は確かに木ノ葉丸の胸の内に残っている。
 火影直属暗殺戦術特殊部隊のなかで、火影の二本の右腕とさえ呼ばれた両親。
 任務ばかりで家におらず、世話をしてくれたのは専らエビスだったが、それでも時たま家に居たときは、よく木ノ葉丸に稽古を付けてくれていた。少ない思い出は、それでも灯火のように暖かい。
 痛みを覚えずに、彼等を思い出せるほどに月日は過ぎたのだ。
 木ノ葉崩しのあと、音沙汰さえない日々が一年以上すぎて、それでようやく父と母も、祖父と同じように死んでしまったのではないかという疑念が浮かんだ。
 祖父の三回忌は、中忍として迎えた。その頃にはもう覚悟をした。
 けれど決定的な情報が手に入らず、墓を作ることはできなかった。ひょっこり長期任務から帰ってくるのではないか、墓などつくって早とちりと笑われやしないだろうか。そんな風に思うばかりで踏ん切りをつけることができずにいた。
──つい先日、ナルトの見つけ出した報告書で、ようやく木ノ葉丸の心に父と母は帰ってきた。
 何も知らずに祖父を案じていたあの決戦の中に、自分の家族は全員いたらしい。そうしてみんな木ノ葉丸を置いて死んでしまった。骨も残さずに居なくなってしまったのだ。
「──いつもみたいに、何でもないようにさ、帰ってくるって思ってたんだ、コレ。父ちゃんも母ちゃんも、いつも『任務については家族であっても他言無用』って言ってたし、父ちゃんなんて帰って来ないなって思ってたら半年実は任務に行ってたとかあったの覚えてるぞコレ」
 木ノ葉丸は目を細めて笑う。
 それがいつもの事だったから、淋しさもすっかり忘れていた。姿も見えない両親よりも、姿の見えるのに此方を見ない祖父のほうに随分わがままを言ったように思う。今思えば恥ずかしい、子供らしい反抗期だ。
「それでも……もう会えないと思ったことはなかったんだなあ、コレ」
 腰をかがめて二人の墓に花を手向ける。好きな花さえ知らないのだ。これからも知るすべはないだろう。だからこの花は木ノ葉丸の好きな花だった。
「もっと話をしたかったな、コレ」
 どれだけ長い間会えなくても、いつかは会えると思っていた。同じ里にいるのだと。自分が忍として立派になれば、いつでも会えるようになるのだと、そう信じていた。火影となった自分を褒め称える両親を想像していた。 
「父さんの術、結局俺何も知らないんだぞ。母さんの術もだ。俺が知ってるのは、祖父ちゃんのとアスマおじちゃんのだぞ、コレ」
 母は、父は、どんな術を使っていたのだろう。どんな忍だったのだろう。知りたかったことはたくさんあって、聞きたいことも離したいこともたくさんある。
──寂しいな。
 夕暮れが美しい空の下で木ノ葉丸は動くことができなかった。
 今日はやけに家に帰るのが嫌に億劫だった。
 誰も帰ってこない広い家。それでも思い出が多すぎて引き払えない。それに一応猿飛一族の本家でもあるので、一族の集会でいつも使うのだ。
 己の息一つ、衣擦れ一つが響いて吸い込まれる静かな屋敷。思い出ばかりの屋敷。
 深い息を吐く。
 ここでじっとしていても何にも為らない。気分を切り替える為に、一楽でも行こうか──。
 地面に張り付いたような靴底を引きはがして木ノ葉丸は墓を後にした。墓地の入り口まで来て漸く気がつけば随分と薄暗くなっていた。
「なるほど……」
 六代目や火影補佐官が慰霊碑の前で時を忘れてしまうといつかぼやいていた意味が分かった。どちらかといえば猪突猛進の猿飛一族らしく、あまり頭を使う方でもない自分でさえこうなのだから頭脳派で鳴らしている六代目やシカマルはそうもなるだろう。少し面白い気分になりながら、木ノ葉丸は墓地の階段を降りていく。
 聞こえるはずのない声が聞こえたのはそのときだった。
「木ノ葉丸!」
 聞き慣れた声。思わず顔を上げると、墓地の端で七代目火影が大きく手を振っている。目を糸のようにして子供のように笑う表情が、紅い日差しに照らされて輝いている。
 どうしてまだ、と尋ねる前に彼が口を開く。
「一楽行こうぜ、木ノ葉丸!」
 もしかすれば、自分を待ってくれていたのだろうか。
 ただそれだけで、腹の底がじわじわと暖かくなっていく。思わず階段を足早に降りて、彼の側に駆け寄る。
「いやー、今日は明日のためにヒナタがボルトもヒマも連れてお義父さんとこ行っちまってよ。久しぶりに一楽行きてえなって思ったんだってばよ」
 木ノ葉丸も行くだろ、と当然のように念を押す。
 かつてより大人びたその顔だが、本当に下忍になったばかりの頃から何一つ変わらない表情で木ノ葉丸を誘う。そんなことでひどく嬉しく思っているのだから、自分もまだまだ子供だった。知らず顔が緩んでしまうのを引き締めようとして、諦めた。今日くらいいいじゃないか、と小さな頃の木ノ葉丸が囁いてくる。じいちゃんの話、きっとナルトの兄ちゃんもしたいんだぞ、コレ。
──そうだな。そういうことにしておこう。
 木ノ葉丸はくしゃりとはにかんで笑った。その顔が目の前の七代目と良く似ていることを指摘するものは居ない。
「……勿論、ナルトの兄ちゃんの奢りだよな、コレ!」
「仕方ねえなー!」
 きょとんとした後、ナルトは肩を竦めて蝦蟇のがま口財布を覗き込んだ。
 火影岩に沈みゆく西日、里の通りを影が並んで歩き、一楽ののれんをくぐる。
 変わらぬ店主が二人を迎え、変わらぬ味に二人は舌鼓を打った。