──しまった。
ローは目前に迫る黒々とした海面から咄嗟に目をそらして陸を向いた。 崖っぷちに三人、真っ青な顔で唖然と海に投げ出されたローを見つめていた。ベポの腕の中にはまだ十にならないくらいの小さな娘が抱かれている。
ペンギンとシャチがローに手を伸ばしていたが、もう届かない。
どこか妹に似た幼子が無事であることはローにわずかに安堵を齎したが、入れ替わりに海に投げ出された自分はほんの幾ばくも無く海の黒い手に引きずり込まれるだろう。
能力の標的を咄嗟に誤った自分の責任だ。
──こんなところで……!
季節は鉛空の重たい極寒の冬の最中。己は海に嫌われた悪魔の実の能力者。万に一つも自力で生存はできないだろう。
「ローさん!」
ペンギンとシャチの悲鳴のような声に、咄嗟に彼らを見上げた。
青ざめ、怯えた彼らの顔。
稲妻のようにぱちんとローにひらめくものがあった。二人に手を伸ばす。
「ペンギン、シャチ──!」
彼らの名を呼び、ローは荒れた海面にたたき付けられる。束の間浮くことさえ無く引きずり込まれるように海に沈んだ。
カンカンカンカンとけたたましい半鐘が港の方から響き渡ったのは同じ家にくらす四人で街での買い出しを終えた帰り際の事だった。
冬の潮風が吹き付ける中で風の音に割り込むように聞こえてくる。
岬近くにある薬品の店を足早にでたところで聞こえてきた尋常では無い様子の音にローとベポは目を合わせて首を傾げた。
二人がこの島に来てもうそろそろ一年になるが初めて聞く音だった。
岬から一望できる町の方から聞こえている。
「なんだろう、この音」
ベポが首を傾げる。
ローがここで生まれ育った年上の子分に尋ねようと振り返って、二人の表情にぎくりとする。
「ど、どうしたのペンギン、シャチ!」
咄嗟に声の出なかったローの代わりにベポがローの聞きたいことを驚いた声で尋ねる。
ペンギンとシャチは真っ青な顔でがたがたと両腕に抱えた荷物を抱きしめるように足を竦ませていた。嵐のように半鐘の鳴り響く中で、異常に怯える二人。
ローは一瞬の狼狽を飲み込んで二人の肩を叩く。
「あの音……街になんかあったのか?」
唾を飲み込む音がしてペンギンがのろのろと首を振った。声は震えている。
「高波が、くる」
あれは高波の報せか、と記憶しながらローは荷物を抱えなおした。
「は、はやく、にげよう」
シャチが上ずった声でローとベポを促す。だが、彼自身の足は竦んで動いていなかった。
「ローさん」
ベポがローに気弱な視線を向け、ローは頷いた。
「ああ。ここは運良く岬だ。店に戻ろう」
先程出てきたばかりだが、あの店が一番ここから向かえる場所では高台にある。
ベポが凍り付いたように動かないシャチの手を引いた。
「行こう、シャチ」
「ペンギン」
まだ上背の叶わないペンギンの腕を少し強引に引く。
ちらりと町の方を見れば、港近くの人々がこちらや、ローたちの暮らす森の方へ避難を始めているのが見えた。
視線を海に向ければ、確かに港の方で大きく潮が引き、海面がざわざわと荒れている。まだ目視の距離では無いが確かに高潮の前兆だ。
「ご、ごめ、ローさ……」
「いい」
泣き出しそうに震える声で謝罪を繰り返す子分を殆ど引っ張るようにして店に引き返す。
「む、昔は大丈夫だったんだ。海で泳ぐの、すきで……」
「島一番の泳ぎ上手だったんだぜ……! なのに……!」
身体が強張って上手く動かないまま、二人が強がる。
そう言って自分を鼓舞しなければ、彼らの足が崩れ落ちることが分かったので、ローは黙ったままペンギンの手をより強く引いた。
ベポは素直に「うん」と相づちを打っている。
その噂は確かに病院の患者から聞いたことがあったが、ローとベポは彼らが海で泳ぐところはおろか、海に近づくことさえ見たことはなかった。
──家族を奪った海が怖い
と溢したのは二人と暮らし初めてそう間もない頃に告げられた秘密だった。
スワロー島は北の海でも有数の荒れ海の中にある。
冬の大時化は偉大なる航路に負けず劣らずというのはヴォルフの談だ。
ペンギンとシャチの家族がみな海に呑まれた高波というのもそういう荒れた海の事故であったらしい。
それ以来、二人にとって海は抗いがたい恐怖の対象となった──らしい。確かに、二人が海に近づくところは見たことはない。むしろ、なるべく海から離れた場所を好んでいる。
無理もない、とローは思う。ローとて何一つ怖い物がないと言えば嘘になる。どうしようもなく怖い物だって誰にでもあるだろう。
だから、あんなに好きだった海でもう泳げないんだ、という二人に、ローはおれもカナヅチだ、昔は泳げたけどと鼻を鳴らして答えた。
ベポは満月が見れない、と言ったのだったか。
暖炉の前だというのに青ざめていた二つの顔が綻んでほっと緊張が緩む。
「でも克服できるように頑張るよ」
「ローさんカナヅチなら、海に堕ちたときに助けにいけるようにさァ」
そう笑った二人をローは鼻で笑い飛ばした。
今の様子を見れば、本人の意思はともかく克服はまだ遠いだろう。
──どうしてやるべきか……。
ペンギンの手を引きながらそんな日を思い出していたローの耳に、甲高い子どもの悲鳴と、母親らしい女の悲鳴が届いたのは、その折りだった。
咄嗟に振り返ったローの目に、風に煽られて岬から足を踏み外した小さな子どもが飛び込んできた。黒い荒れた海にぽんっとボールのように飛び出すその寸前だった。母親の手は届かない。
ひゅっと喉が鳴る。
殆ど反射だった。
ペンギンの手を離して「ROOM」と唱える。最近練習している途中の、ROOM内の位置を入れ替える技を叫ぶ。
「シャンブルズ!」
その瞬間に、視界が変わる。
──しまった。
「ローさん!」
「ペンギン、シャチ──!」
息を使って彼らを呼ぶ。
最後に荒れた黒々とした冷たい海の中に投げ出される。冷たいと考えるよりも先にひどい痛みがローを襲った。藻掻こうとして、全く身体に力が入らないことに気がつく。筋肉が弛緩し、動かそうとしてもぴくりともしない。目に見えぬ何かがローの身体の力を奪っていくようだった。
能力者になってから初めて触れる海は、今までローを受け止めてきた海とは全く顔を変えていた。
浮力はローには働かず、引きずり回すように海の底へ沈んでいく。
息がついに続かなくなり、ごぼっと空気が肺から抜ける。迫り来るのは、志半ばの死であった。
──ごめん、コラさん……
動かない手を必死に水面に伸ばして、ローは苦渋に顔を歪めた。
──もらった命の使い道、おれは間違えてないよな?
少なくとも、一人の命と引き替えた。
否、あの優しい恩人がそんなことを望んでいないことなんて百も承知しながら、ローは最後の空気をはき出す。
──それでも、人を信じる心をくれたのはアンタだから。
荒れ凍える海の中で、確かに熱い血の通う手がローを掴んだ。
***
「いいかロー! お前も能力者になるんだから海はおれたちの天敵だ。だからその対応方法を覚えなきゃならねェ!」
大げさにひとさし指を立ててローの目の前に突きつけるコラソンにローは彼の外套に抱え込まれながらため息を吐いた。
「だからおれは能力者になるとは……」
「第一になるべく落ちねェことだ」
「あたりまえだろ!」
「いいや、これが難しいんだぜ」
コラソンは真剣めいた顔で大きく首を振るが、ローはそれはこの男が度を超したドジの所為にちがいないと考えた。この半年近くで海に落ちていないのが奇跡に違いない。
「ドジの所為じゃねェぞ!?」
ローの視線から上手にそれを読み取ったコラソンはがっくりと肩を落とした。
これはたしかオペオペの実の情報を得た数日後のいつかの日だった。日が経つにつれて増えてきた、痛みで眠ることさえ難しい日。ローの命の灯が今にも途絶えそうなほど危うく揺れているような日だ。
そんな日はコラソンはありったけの話題をかき集めてローに面白おかしく何かを話した。今思えばお伽噺も寝物語も苦手だったのだろうに、あまりに一生懸命に話すものだからローは身体の辛いことも忘れたふりをして耳を傾けてやったものだった。
「能力者は海に嫌われる。ドフィもベビーも他のやつも同じだ。海に落ちればみんな沈む」
「うん」
ドンキホーテ海賊団で幾度か海に落ちたベビー5を助けたこともある。
コラソンはそのときの対応法をつらつらと上げる。
絶対に水を飲むな。出来るかぎり海面を見ろ。落ちる寸前に肺に息を吸って、息が保つように。意識を保つコツ。
まるで教わった教科書を読み上げるような口調にローはうとうとと眠くなってくる。
そもそもそのときまで生きている自信は無かった。
「でも一番大切なのは……」
コラソンは目を細めていっとう大切な秘密を囁くようにローに告げた。ローは半分眠りに落ちながら首を振った。
──そんなこと無理だ。できねェよ。
ローはそう思ったが、声にするには睡魔がローを眠りの淵へ押しやり過ぎていた。
拒絶したローに、コラソンはどんな顔をしていたのだったか。覚えているのはその声の優しさだけだった。
「ふん、生きていりゃいつか分かる。ロー、いいか? 能力者が海に落ちたときに一番大事なことはな──」
荒れる海流に身を引かれ沈みながら、ローはそんなことを思い出していた。
**
──シャンブルズ!
その声にと共に、ペンギンの視界から彼の小さな姿が消え失せた。
握ってもらっていたはずの手は空振りし、そこに居たのは呆然とした少女だった。命の危機に自失している少女が枯れた草原にへたりこむ。
ぎょっとして彼の姿を探す。
彼女がここにいるなら、彼はどこに。咄嗟にペンギンが崖に駈け寄って、悲鳴を上げた。
まだ小さな身体が、ボールのように荒れ狂う黒々とした海へ向かって墜落していた。
「ローさん!」
咄嗟に張り上げた悲鳴じみた声に、落ち行く彼が風に逆らって身をよじる。
その目がはっきりとペンギンとシャチを捉える。
一瞬交わったそのまなざしの強さに、ペンギンは息を呑んだ。
その視線には一筋もあきらめの色は無い。一筋の弱さも無い。
常人でさえ真冬の海に落ちて生き残れるものか。その上、彼は能力者だ。海に嫌われ、カナヅチになったと自分で言っていた。
それなのに。
「ペンギン、シャチ──!」
強風にも負けぬ少年のよく通る鋭い声がペンギンの鼓膜を打った。
落ちているときでさえ帽子を押さえて落ちる少年が、もう片方の手をこちらに伸ばしていた。
つい数秒前まで自分を引いていた手が、確かにこちらに意思をもって伸ばされていた。
驚愕と焦燥を滲ませながらも決して意思を失わない、燃え立つような視線が自分たちを射貫く。
自分たちの名がどのような意図を持って叫ばれたのか、ペンギンには分からない。
だからこれはペンギンの想像で、彼の本当の意図ではないかもしれない。
それは助けを求める視線などではない。それよりもずっとずっと強い声とまなざしだ。いっそ挑戦的でさえあった。
──できるか?
と、言われた気がした。
ローにそんなつもりは無かっただろう。けれど、そのときは、そう言われたような気がした。
カッと腹の底が燃えるようだった。
それに応えられなければ、ペンギンの大事なものが砕けてしまうような気がした。
腹の底がいつか度数の高い酒を吞んだ時のように燃える。
思わず身体がぐっと彼に引き寄せられるように動く。
「ペンギンっ!」
シャチが崖から身を投げんばかりになったペンギンの名を呼んだ。
シャチを振り返り、待っていろと告げようとして言葉を失う。
「シャチ──」
「おれも!」
高波に怯え、歩くこともままならなかったシャチはもうそこには居なかった。
「おれも行く」
サングラスの後ろの目がぎらぎらと燃えていた。自分と同じように。
そういえばもう自分も高波への恐怖は燃え尽きていた。自分より年下の少年に焚きつけられたこの炎が消えることの方が恐ろしい。
「ペンギン、シャチ! 何するつもりなの!?」
背後でベポが悲鳴を上げた。
彼にひっしとしがみついているのはローと位置を入れ替えた少女だ。死の恐怖から大きな泣き声を上げてベポに抱きついていた。その子を放り投げて飛び出せるほどベポは薄情ではない。
お互いにトレードマークの帽子をベポに投げる。幼いシロクマの泣き出しそうな顔を慰めたくて笑みを浮かべる。
驚いた顔のベポに念をおす。
「持っててくれ! 必ず戻る。下にロープを垂らしてくれ!」
「えっ、えっ!」
今、この場でローを助けられる可能性があるのは自分たちだけだ。
そして、自分たちを引き上げられるのはベポだけだった。
「頼んだぞ!」
「……アイアイ!」
シャチもベポに笑う。
それから、それまで何よりも恐ろしいばかりであった海に走り出して、ぽんっと身を投げた。
そう高くも無い崖から飛び込むまでの数瞬に大きく肺に息を入れる。
あっという間に慣れ親しんだ身の切れるほど凍てつく水がペンギンの身を取り巻いた。口の端に滲む塩辛さと、まとわりつく浮遊感と圧力。
何年ぶりかの水中にペンギンの心臓が僅かに跳ねた。
まず、共に落ちたシャチを視線で探す。彼は自分よりも深くでペンギンを見上げていた。
海流などないもののようにくるりと回って、頷いてみせた。
──おれもシャチも泳ぎ方は忘れていない。ならば、どこへでもいけるだろう。
肌で感じる海流は沖へ引いている。脱力した子どもは沖の深くへ引きずり込まれていくはずだった。
シャチにハンドサインで沖を指し、水を蹴る。ぐん、と身体が飛ぶように進む。
そうだ。身体全体で水の流れに乗れば、足で蹴るよりもずっと早く深く潜れる。
地面を駆ける獣よりも、空を飛ぶ鳥よりも早く。
それを教えてくれたのは、たしか、両親だった。
忘れていた。
極寒港に生まれ育ち、時化の音を子守歌にして眠り、産湯は流氷だった。それが自分たちだ。
──もっと速く。もっと深く。
大人よりもずっと泳ぐのが上手かった。どの子よりも深く潜れた。
海は恐ろしい怪物ではなく、ペンギンとシャチの庭だった。
目を凝らして水中のぼやけた視界で彼を探す。
自分たちを焚きつけた灯火を。
──見つけた。
彼を先に見つけたのはシャチだった。ハンドサインに合わせて併泳する。
ずぶずぶと身体を全て流れにゆだねた少年が見えた。この期に及んでまだ片手は帽子を掴み、もう片方の手は諦めることを知らぬ様子で海面へ伸ばされていた。
浮き上がるはずの身体はまるで浮力など全くないもののように海底へ沈んでいく。それでもなお海面に向けて伸ばされた腕を掴む。
──ローさん!
冷え切った手を掴む。
うっすらと開き、僅かに意思を覗かせていた目がその瞬間にふっと閉じられる。
心臓が破れそうなほどに跳ねた。これが彼の最後の一呼吸だったらどうしよう。一瞬空気が漏れかけてぐっと息を詰める。
──上に!
シャチがペンギンを急かす。
恐怖で早まった鼓動をなんとか押さえつけペンギンがしっかりとローを抱え海面に向かって水を蹴った。
シャチがそれを押し上げるように支えて泳ぎ、数分ぶりの海面に飛び上がる。
シャチがぐったりとしたままのローの名を悲鳴のように呼ぶ。ぐっしょりと濡れた顔は涙も混ざっている。
「っ、ろー、さん! ローさん!」
「ロープ!」
沖にかつてよりも小さく、けれどたしかに人を飲み込み引き攫う高波が迫っていた。
「アイアイ!!」
思いの外に近くで聞こえたベポの声に、ぎょっとして振り返る。
「ベポ!」
シャチと声をそろえる。ロープにくくりつけられた浮子かルアーかといった有様のベポがほんの目と鼻の先に居る。ベポの腕がぐっとペンギンとシャチとローを抱える。
「お、おい! 無理は……!」
せめて先にローを、とシャチが促そうとして、強くなったベポの腕の力に呻く。
「いやだ!」
首を振り、渾身の力で子どもとはいえ、人間三人をまとめて抱えたベポは吠える。
「おれは誇り高いミンク族なんだから! レッサーミンクの三人くらい、持てるんだ!」
獣の咆哮そのものの声と共にロープが一気に引き上げられていく。
一本釣りのエレファントノースマグロにでもなったようないきおいで空を飛ぶ。
シャチがうひょお、と脳天気な歓声をあげた。げほっとローが空中で気がつき、四人で団子になって空を飛んでいるのを確認して珍しく素っ頓狂な驚きの声を上げた。
ロープの根元にいたのは街の人たちと、少女と少女の母だった。
今気がついたばかりのローはそれでも感嘆するほどの察しの良さで能力を展開する。
地面にたたき付けられる前に、再びシャンブルズ!と唱えられる。
今度は過たず小石が海に放り出され、べしゃりとずぶぬれの子どもが四人、岬の枯れ草の上に着地した。
「はは……!」
少女と少女の母にあっという間に濡れた服を剥かれ、分厚い毛布にぐるぐる巻きにされて岬の店の暖炉の上に四人まとめて突っ込まれるまで十分も無かった。母子がこの店の妻子であったらしい。
冷え切っていた身体が足下の暖炉の熱でじんわりと暖まっていくにつれて、皆昂奮が収まってだんだんと我にかえっていく。
「ははっ」
一番先に声を上げたのはローだった。呆然として見えたローの上げた初めて聞くような子どもらしい笑い声。それを皮切りにペンギンの目に涙が盛り上がった。
「笑いごとかよォ!」
今になっておしよせてきた恐怖とさまざまな感情がペンギンの声を涙か怒りかで振るわせた。毛布にどばどばと涙が落ちて染みこんでいく。
失うところだったのだ。冷たくなったローが目を閉じた瞬間、どれだけ怖かったと思っているのか。
海より、記憶より、もっと鮮烈に怖かったのだ。他の何も怖くなくなるくらいに。
「ローさんのばかやろう!」
ペンギンの罵声に驚いたシャチもまたしゃくり上げ始める。生きててよかったぁと泣きながらローに縋り付く。
「あははは!」
それをどう思ったのか、ローが弾けるように笑い出す。
「笑うなよ!」
とペンギンが怒り、シャチが泣く。
「死ぬかと思ったんだぞ!」
「はははっ! あははは!」
「喧嘩しないでよ! 落ちる落ちる!」
野菜スープを少女が持ってくるまで信じられないほどローは笑い転げていたし、ペンギンとシャチは怒って泣いていたし、ベポはおろおろと困っていた。
**
そんな日ももう笑い話になるような、穏やかな夏島の夏。
浮上したポーラータング号の甲板にシャチが船長を抱えて海面から飛び上がってくる。
「ベポ!止めろよ!」
「すんません……!」
止める間もなく飛び込んでいったのは船長なのだが、ベポは素直に謝る。
「打たれ弱っ! って、キャプテンもキャプテンでしょ!」
今日の引き上げ役はシャチだったらしい。珍しく目をつり上げてローに説教を巻いている。
「能力者が海に落ちるな! もう能力者歴何年なんですアンタ! 13年でしょ!?」
「別に良いだろ、お前らいたし」
「居ますけど!? 居るから何!」
叱りつけるシャチを煙たげに手で払って、船長は手元のひとつかみの虹色の海藻を押しつける。
艦の舷窓から何か見つけて飛び込んだと思えば、これが目的だったらしい。
「傷薬にするから干しとけ」
「これ取るために落ちたのか!? 言ってくれれば取りましたよ!」
まだ海面に浮かぶペンギンが怒鳴る。小言を嫌がって耳を塞いだ船長はそういえばと呟く。
「そういえばお前ら昔泳げなかったよな」
「話を逸らさない! 海よりアンタが溺れる方が怖いからでしょ!」
「へー」
「ぞんざい!!」
ぶうぶうと文句を言いながら、シャチは素直に海藻をヤードに引っかけていく。ペンギンは同じ物を追加で集めてくれていた。
それを見ているローの耳が僅かに朱いのは背後の日陰に居るベポにしか見えていないだろう。そっけないのは照れているかららしい。
ローは日陰で涼みながらずっとやりとりを見ていたベポの横に座り込む。
「キャプテンって、昔から能力者なのに平気で海に入るよね。怖くないの?」
「いいかベポ、能力者が海に落ちたときに一番大切なことはな」
頭をタオルで拭きながら、ローはにやっと笑う。
「『仲間が助けてくれると信じること』だそうだ」
「キャプテン!」
ベポはもう嬉しくて歓声を上げた。
つまりは彼がそう思っているということなので。
完
余談
小ネタ
・ロペンシャチベポが最後に突っ込まれたのは店のペチカの上
・少女のお母さんは一本釣りの漁師で高波で帰るところだった。
・ロシナンテが伝えたのは海軍式の能力者訓練法。溺れたのも訓練の一環。