ポーラータング・ティールーム

「Dr.チョッパー?」
 ふと呼び止められてチョッパーは振り返り、目を丸くした。道の先で手を降っているのはシャチを模したキャスケット帽に白いつなぎの青年である。胸元に燦然とハートの海賊団のジョリーロジャーが輝いている。
 ここで会えるとは思ってもみなかった知り合いの姿に顔が綻び、蹄をならして駆け寄る。
「あれっ!シャチ! 久しぶりだぁ!」
 ハートの海賊団のクルーである青年は、腕いっぱいに食料や医薬品を抱えてながらもチョッパーが近寄るチョッパーを満面の笑顔で迎えた。ちらりと荷物をみると偉大なる航路グランドラインで流通している中でも質のいい消毒液や包帯が見える。
「ハートの海賊団もこの島に?」
「おう、珍しく航路がかぶったみたいだな。おれたちは昨日着いたんだ」
 この島のログは二日で溜まるらしいとナミから聞いている。ということは、ハートの海賊団と明日までは同じ島に滞在することになるのだろう。
「おれたちはさっき! 荷物後ろに乗せるか?」
「いい? 助かる!」
 今はトナカイそのものの姿をとっているチョッパーの引く荷車にはまだ十分に余裕がある。今日は下見のつもりだったのでいつものリュックの他にはなにも入っていなかった。
「そのかわり、あとで包帯と消毒液どこで売ってたか教えてくれよ。この通りの薬屋にはなかったんだ」
「もちろん! 買い占めてねえからまだあるぜ」
「助かる!」
 トナカイと人間が歓談しながらのんびりと歩く姿も奇異なものだろうが、さすがは新世界と言うべきか誰も頓着していない。町を離れる間にも話は弾んだ。同盟を組んでいた海賊団という間柄だけではなく、チョッパーにとっては仲間以外の初めての人間の友人というべき相手だった。
 ゾウで共に過ごしためまぐるしい十日間の中で、ハートの海賊団も同じように思ってくれていればいいと思う。
「シャチ、あれからKOROコロの後遺症とかないか? ベポもみんなも」
「ああ。今はキャプテンがいるから大丈夫」
「そうだな! トラ男がいるなら大丈夫だ」
 チョッパーの言葉にサングラスの下のシャチの顔が柔らかに綻ぶ。それにつられてチョッパーの顔も緩んだ。彼らが彼らの船長であるトラ男──ことトラファルガー・ローのことをどれだけ大切に思っているか、チョッパーはよく知っていた。
「Dr.チョッパーの作った解熱剤あるだろ? サクラ印のついてたやつ。あれの処方教えてほしいって言ってたぜ」
「えーっ、本当か? トラ男にそう言ってもらえるなんて嬉しいなぁ! ドクトリーヌと一緒に考えたんだ」
「先生はかわいいなあ」
「かわいいは止せよ! もう!」
 そう言いながらも耳の裏や角の付け根を掻くシャチの手をチョッパーは止められなかった。どうにも彼らはトナカイの扱いがうまい。彼らの出身が北の海ノースブルーだからだろうか。それとも、ミンク族のベポがいるからだろうか。
 からからと町外れから続く道を荷車を引いているうちに、港から離れた湾に出る。サニー号の停泊している場所とは二つほど湾が離れているが、サニーが停留しても問題はなさそうな広さだ。そう無意識に計算して、思わず笑い声を上げる。
──もしかしたら、サニーこっちに来るかも。
 なんて。ルフィがハートの海賊団が同じ島に来ていることを知って宴を言い出さぬはずがないのだから、自分がそう思うのも仕方のないことなのかもしれない。
「あったあった」
 磯の陰に半分隠れるようにしてひっそりと停泊しているイエローの船体にチョッパーはこっそりと胸をときめかせた。
 サウザンド・サニー号のことは大好きだが、それはそれとして鋼鉄の潜水艦サブマリンは男の夢とロマンが詰まっている。
 荷車からハートの海賊団の荷物を持ち上げたシャチがチョッパーを手招く。
「ありがとうな、ドクター。ちょっとおやつ食べていかねえ?」
「いいのか?」
「良いもなにも、手伝ってくれた礼くらいしねえと海賊の仁義が通らねえよ」
 ふん、と鼻を鳴らしてすごんでみせるシャチに、人獣形に戻ったチョッパーは口元に手を当てて笑った。ただいまァとシャチが声を上げれば甲板から白い塊が覗く。
「ベポ!」
「チョッパー!? 何でここに!? 久しぶり!元気だった!?」
「ベポこそ! 元気だったか!?」
 シロクマは目を白黒させながらも甲板から飛び込んでくる。
「おれは元気! でも前の島夏島だったからバテたぁ」
「夏島かぁ。俺たちは冬島だったぞ」
ベポの大きな白い毛並みに溺れそうになるガルチューの合間にお互いの近況を尋ねる。その騒ぎを聞きつけて、甲板に船に残っていたらしいクルーの顔が覗く。
「えっ、チョッパーって言った? やだ、Dr.チョッパーじゃない! 久しぶり!」
「あれ、本当だ!」
「イッカク! ウニ!」
 ベポに溺れながら彼らに手を振ると、くすくすと柔らかな笑い声が届く。
「おかえりシャチ。もしかして麦わらたちも同じ航路?」
「そうみてえ! 船長もう町行った?」
「よっしゃあ!宴になるかな~、黒足の飯また食いてえ!」
「行っちゃった。もしかしたら町で麦わらにあってるかも。あ、ドクター、炭酸飲める? フルーツソーダ作ったんだけど」
「チョッパー、おやつにしよ! 前の島でめちゃくちゃフルーツもらったから、フルーツケーキもあるよ!」
「フルーツケーキ! 食べたいぞ! イッカク、ありがとう、おれ炭酸飲めるぞ!」
 ベポに抱えられるように甲板に上がると、思わずチョッパーは歓声を上げた。ポーラータングの甲板いっぱいに輪切りになったフルーツやハーブが干されている。チョッパーの見たことのないフルーツも多かった。ドライフルーツを作っている途中なのだろう。鼻をくすぐる甘酸っぱい柑橘の香りが甲板に広がっている。
「すげえなぁ!」
 あっという間にフルーツで埋め尽くされた色とりどりの甲板を割るようにテーブルと椅子が出される。キンキンに冷えたレモンとライムを氷代わりにしたシロップのソーダ割がジョッキに注がれる。そのまま、まるでビールのようにその場の皆で乾杯する。
「ドライフルーツ出来たら持って行くね!」
「いいよ、悪いよ!」
「こんなにあっても食い切れねえかもしれねえし、ドクターにはゾウで世話になったからな」
 シャチの言葉にチョッパーが肩を落とす。
「KOROの解毒薬、おれが作ったんじゃねえぞ……シーザーのやつが作ったんだ」
「ドクターがいなきゃあいつが作りゃあしねえだろう」
「そうそう。そのあとの手当も助かったし」
 ウニとイッカクに取りなされてチョッパーはうなる。なんだかんだこの話はもう既にゾウで散々しているのだ。
「さあさあ、そんなことよりケーキ持ってきたぞ」
 キッチンからサーブされた一本まるごとのフルーツケーキに三人ともが歓声をあげる。たっぷりのドライフルーツが混ぜ込まれたバターケーキだ。
「うわぁ! すげえおいしそう!」
「最高! ねえシャチ、クリームつけてよ」
「しかたねえなぁ今日だけだぜ」
 しっとりとしたフルーツケーキにたっぷりのホイップクリーム。皆で舌鼓を打ちながらの近況の歓談から、そのうち自然と薬や病気の話にずれ込んでいく。
 船長が天才的な外科医である上に艦内にオペ室のある潜水艦のクルーだけあって、彼らがそれぞれに基礎以上の医療の心得があり、打てば響く会話はチョッパーの好奇心を沸き立たせる。
「ただいまー。ってDr.チョッパー? あれ? あ、やっぱりあそこでみたのロロノアか」
「また迷子だったのかな……、声かけりゃよかったな」
 ちょうど買い出しから帰ってきたペンギンやクリオネも加わって甲板がわいわいと賑わしくなる。ペンギンが昨夜たっぷりラムを染みこませたほうのケーキも切り出してくる。
「あー、そうかこれノースクレバスソウも?」
「うん。マリンスノウモドキが入ってるんだ。クレバスソウと相互作用がある。でもめちゃくちゃ不味いぞ……」
「良薬口に苦しだなぁ」
 クルーの半分が参加するティーパーティと化した甲板でぽんぽんと飛び交うのはチョッパーの薬学の知識とクルーの出くわした症例だ。サニー号専属の船医であるチョッパーが文献でしか知らない症状の実例がぽんぽんと飛び出してきてどれもこれも興味深い。
「じゃあ、これは?」
 チョッパーの頭の上からずいっと差し出された一束の花束に、チョッパーは目を丸くする。
「これ、グランドラインラジギタリスじゃないか!すげえ、本物初めて見たぞ──って、トラ男!」
 珍しい薬草に目を輝かせたあと、花を握る指に見慣れたタトゥーが見えてのけぞるように腕の先の男のあだ名を呼んだ。いつの間にか帰ってきていたらしいこの船の船長は大太刀を担いで嘆息する。
「やっぱりか……、麦わらの船を見かけてまさかと思ったが」
「お帰りなさいキャプテン!」
「おう……」
 声を揃えた出迎えにローは呆れた顔で甲板を見る。
「……ここはティールームかなんかか」
「せっかくDr.チョッパーが遊びに来てくれましたし! キャプテンも食べます?」
「いつの間にそんなに仲良くなってんだ、別の船のクルーだぞ」
 そういえば、とチョッパーは思う。ローがゾウにたどり着いてからすぐに自分はサンジを迎えに万国トットランドに向かい、ワノ国では互いに時間はとれなかった。ローの顔に浮かぶのは、苛立ちというよりも困惑だった。パンクハザードで出会ったばかりの時ならきっとおびえてしまっただろうが──今もちょっと顔は怖い──チョッパーもそれくらいの彼の機微を察することは出来る。
「だって、なあ」
 ハートの海賊団のクルーたちは目を見合わせる。チョッパーもうんうんと頷いた。この話もゾウで一緒にずっとしていたのだ。
「チョッパーは俺たちの命の恩人だし」
「ベポの故郷の大恩人だし」
「ハートの海賊団はおれの船長の命の恩人だ」
 隣にいたベポと手を合わせる。蹄と肉球なので人のような音はしないが顔を見合わせて笑う。
 ローは一瞬珍しくあっけにとられた顔をしたかと思うと、一層深いため息をついた。
 グランドラインジギタリスがぱっと消えてローの手に空のジョッキが現れる。
「……それについての礼がまだだったな」
「おれたちも船長の命の礼はまだできてねえよ」 ローはにやりと笑う。クルーたちが手早くジョッキになみなみとソーダをつぐ。
「……酒じゃねえのがしまらねえな」
「すげーおいしかったぞ、トラ男」
「知ってる」
 ジョッキがかろやかな音を立てて一斉に合わさった。