Back to the Once Upon a Time - 1/6

 偉大なる航路グランドライン、新世界。
 麦わら帽子を被ったガイコツが突風に吹き千切れんばかりにマストの上で踊っている。
「全速前進! ジンベエ、面舵一杯! きり抜けるわよ!」
 甲板でナミはジンベエに声を張り上げた。
「あいわかったァ!」
 ジンベエはナミに心強く応じて舵輪を回した。
 千の波を越える船サウザンドサニー号は今、降り注ぐ雷と突風と霧のただ中で大慌てをしていた。
 船員を鼓舞するバイオリンが波音と雷音とセッションを奏でている。
 すべての帆を畳んでもマストが折れ飛びそうな突風。だというのに、まるでミルクをそのまま流したような深い霧は突風に流されることなくとうとうとサニー号の周りを覆っていた。
「さっきまで冬島の海域で安定してたのに!」
 ナミの悲鳴が上がる。
「わはは! これぞ新世界じゃわい」
「風が冷たい! 冬島の海域からはそんなに離れてないはず……っ! 後五秒後に雷、右にそれて!」
「おう!」
 ジンベエの操舵とナミの指示で雷の直撃を避け、突風を交わしていく。ただの船であれば五分も持たずに転覆するだろう。しかし、指示を出すのは天才航海士であり、舵輪を回すのは世界の誰よりも波を知る漢であった。
 荒れた海の中でも操舵は正しく、航海士の指示は的確に進む。
「なんでこの突風なのに霧が晴れないの!?」
「あっははは、不思議霧だ!」
 突風に飛ばされないようにマストにしがみつきながらナミが叫ぶ。
 ルフィはメインマストの帆をゴム11 の腕で巻いて押さえながらナミの悲鳴を陽気に笑い飛ばした。
「ふふっ」
 思わずこぼれたようなロビンの笑い声が風に紛れて甲板に流れる。ハナハナの能力で咲いた腕が仲間たちの命綱を作り、いくつもの腕でヤードを引いているロビンに、隣で同じくヤードを引くサンジが首をかしげて尋ねる。
「まるでデロリアンの海霧ね」
「なんだいそれ、ロビンちゃん」
「初めは三百年以上前、新世界で起こったセルティアンウッド海戦で起こった人食いの霧よ。霧と雷と突風と共に──」
「大変だァ!」
 楽しげにサンジに語りかけるロビンの話を遮るように、マストのてっぺんで見張りをしていたチョッパーの声がサニーいっぱいに響く。
「二時の方向! 誰か溺れてる!」
 チョッパーの声にフランキーとフォアマストの帆を畳んでいたゾロが前方に眼を凝らす。
 前方の波間に見えたものにぎょっと隻眼を丸くする。
「おい、ありゃあ……」
 ゾロが呻く。
「どうした?」
「──海兵だ」
 腕を伸ばして前甲板に駆けつけたルフィにゾロが応える。
 ルフィがじっと荒れ狂う波間を見つめる。そこに見え隠れしているのは、確かに白い制服だった。
 ガフスルをまとめているウソップが後ろ甲板から声をひっくり返す。
「海兵ィ!?」
「でも、このままじゃ溺れちゃうぞ! この気候なら、冷たい海に浸かってるだけでも致命傷だ!」
 見張り台のチョッパーが声を張り上げた。
「海兵なら敵だろう。ゼットのこと忘れたのか」
「それでも! おれは助けたい! あいつ、誰かを抱えてるんだ!」
 渋面のゾロの指摘にチョッパーが首を振って否定する。ゾロもそれ以上否定する様子は無い。
 チョッパーの言うとおり波間の海兵は、何かを抱えながら必死にもがいていた。
 波間の海兵の眼がはっきりとルフィを捕らえた。射貫くような視線がぎらぎらとルフィを捉える。ルフィの目が丸く開く。
「急がんともう離れるぞ!」
「ルフィ! 頼む!」
 チョッパーの懇願の声にルフィは麦わら帽子を押さえて声を上げた。
「……助ける! もしゼットみてェなことがあっても、そんときはおれがぶっ飛ばす!」
 ルフィは快活に笑う。ウソップとナミとサンジが怖いもの知らずの船長に呆れ、ゾロとフランキーとブルックは楽しげに笑う。
「ゴムゴムのォ!」
 海兵に向かい長く海に伸ばした腕が、がっしりと捕まれた。
「──うえっ!?」
「ルフィ!」
 突風と霧と雷の中、ルフィの伸ばした腕は思いのほか力強く捕まれる。
 一人分の重さでは無いそれにルフィの顔が険しくなり、ふん、と歯を食いしばる。ジンベエが咄嗟に舵を切り、サニー号をドリフト加速させる。マストから飛び降りてきたフランキーがルフィを押さえそのまま釣りのように引き上げた。
「うおおおおッ!!」
「一本釣りだァ!」
 フランキーとルフィのかけ声と共に、海から人間が釣り上げられて空を飛んだ。一人分の大きさではない。
「……えっ?」
 ナミがその瞬間に怪訝そうな顔を空に向ける。
「どうしたナミ!」
 ウソップが尋ねると、険しい顔のナミが海と空を見つめていた。
「気流が変わった……?」
 ナミのつぶやきと同時にばしゃりと芝生の甲板にルフィの引き上げた海兵が着地する。
 彼らを待っていたかのように唐突に海は凪ぎ、突風も雷も止まる。
 ただ、一海里も先が見えない霧ばかりが残っていた。

 

 数は三人。意識があるのは一人だけだった。
 一人の男海兵が意識のない男女を抱えている。女海兵を背中に、男海兵の制服の襟を決して離さないように噛みついていた。寒さか疲労か、立っていられぬほどがたがたと震えていながらも、毛を逆立ててうなりを上げる獣のように二人を決して離そうとはしなかった。
 どんぐりのように大きな強い眼が、ルフィとゾロを牽制している。ゾロは刀に手をかけたまま警戒を解けずにいた。
「チョッパー! 見張り代わる!」
「ありがとう!」
 サンジが見張り台に月歩で飛び移る。
 入れ替わりにチョッパーが見張り台から飛び降り、医務室からどたばたと医療器具を運ぶ。フランキーに風呂場からお湯を巨大な桶で運ぶように指示を残す。
 医療鞄をひったくるように持ってきたチョッパーはほとんど這いつくばりながら、それでも膝をつかない男に駆け寄る。
「大丈夫か? ひでェ血のにおいがする。怪我もしてるな。それもかなり……!」
「チョッパー!」
 海兵から発せられる鋭い殺気に咄嗟に制止しようとしたウソップを、チョッパー自身が視線で止める。
 チョッパーは一度医療鞄を背後に放り出して両手を広げた。
「安心しろ、おれは医者だ。このままだと三人とも死ぬぞ!」
 チョッパーの言葉に海兵は銜えていた男海兵を芝にゆっくりと下ろして寒さで震えながら口を開く。
「いしゃ……」
「ああ! おれは医者だ!」
 チョッパーの肩を男のたくましい腕が掴む。
「信じてくれ」
 その腕は凍り付きそうなほどに冷え切っている。
 獣のような荒い息の中、それでも海兵は意思のある眼でチョッパーを見上げていた。
「こいつら……っ、なカバ……ダンダよ……」
 真っ青な顔でそう告げる男の手をチョッパーの蹄がしっかり握る。
「わかった、助けるよ。絶対に!」
 ルフィがわずかに麦わら帽子の下の眼を見開く。
 力強いチョッパーの頷きに、若い海兵は安心したようにぐしゃりと芝生に沈んだ。

 

「おいルフィ」
 気を失った男と、その男の引っ張ってきた二人の治療に奔走しているチョッパー、ウソップ、ナミ、フランキーを横目に刀を放さぬゾロがルフィに低く声をかける。
 ゾロだけではない。サンジ、ロビン、ブルック、ジンベエもまた海兵への警戒を解かず、それぞれサニー号の動きやすい位置で彼らの様子を見守っていた
 お人好しの四人はゾロたちがいるから気にとめていないのか、助けることに必死なのかはわからない。どちらでもあるのだろう。
 ルフィはゾロの言葉少なな問いかけを理解して頷いた。
「わかってる。あいつら強ェ」
「ああ」
 弱り切っていたはずの海兵の視線では無かった。
 もし、ルフィたちが彼らを害すならば、きっとサニー号も自分たちもただでは済まなかっただろう。
 けれど、ルフィは自信ありげに口角を上げた。脳裏によぎるのは、ドラム王国でナミとサンジを運んだあの日だ。
「でも良いやつだ。おれ好きなんだ。ああいうやつ」
「ったく。まァ確かに、そんときはそんときか」
 ルフィの様子にゾロもまた好戦的に笑う。サニーの端々で聞き耳を立てていた仲間たちもふっと笑みを浮かべる。
 船長が言うのならば文句は無い。