まだ肌寒い浅春の候。
うたかたの幻のような春の柔らかな宵の口。つぼみが膨らんで、街灯の渇いた白明に桃色に透ける桜の下で二人はぼんやりと夜空を見上げていた。いつも遊んでいた公園を二人占めにしている。ランボはブランコに揺られ、イーピンはその近くの柵に腰掛けた。
今日、二人は並森中学校を卒業した。
「イーピン」
口火を切ったのは、ブランコから立ち上がったランボだった。
初めて出会った五つの頃から随分と背が伸びた少年と少女の二人はもう二人でブランコに乗ることは無いだろう。二人で転げ回りながらシーソーではしゃぐ事もない。ママンと慕う人の胸に二人で飛び込んでいくことももうきっと無い。
――大人になったなあ。
と、兄のように慕う人は目を丸くして二人の頭を撫でた。
「ママン達のことは頼むね」
ランボが隣に腰掛ける。彼の降りたブランコが寂しく揺れ続けている。
「ええ」
イーピンはからからと風に吹かれて転がる冬の名残の落ち葉を眺めながら応えた。
「ランボはツナさんたちのことお願いね」
「任せてよ」
「――私はもう、ヒットマンにはならないと思う。殺人拳も使わない。それでも、私は強いから。媽媽のことも、フゥ太哥哥のことも京子姐姐のこともハル姐姐のことも守る」
「イーピンが居てくれるから、ツナも俺もイタリアに行ける。……ねえ、イーピン。俺ボンゴレでもやっていけるかしら」
「もう、ランボはツナ大哥の守護者でしょ」
「――うん」
少しはにかんで頷くランボに、イーピンの胸の奥はちりちりと焦げ付いた。ランボの雷の炎に触れるときと少し似た小さな痛みを思う。
「…………本当は、私も守護者になりたかったなあ……」
開き損ねた蕾が落ちるような静けさで、イーピンの口を吐いて思いが零れる。ランボはそれに驚く様子は無かった。ただ、そのマスカット味の飴玉のような瞳でじっとイーピンを見る。はっきりと言葉にする事は今まで無かったけれど、ランボは知っていた。ランボ以外は知らないイーピンの本当の心。
いくつかある二人だけの秘密の一つを遂に舌に乗せた。それはイーピンにはまだ苦い。
「うん」
ランボは頷く。
「なんで私じゃだめだったのかな。覚悟もあるのに」
イーピンの小指の指輪が実は「リング」だと知っているのはランボと師匠だけだ。揺らめく炎はイーピンの師匠と同じ嵐の深紅。名実ともに彼の右腕として生きる、あの凜々しい兄貴分と同じでは役者不足だったのだろうか。炎の純度は匣兵器を開匣できる域に達している。師匠から護身用としてヴェルデの匣を融通してもらっていることは、やはりこの幼なじみしか知らない。
「――イーピンが雷の波動を持ってたら、きっと守護者はイーピンだったかもしれないんだもんね」
ランボも小指の「ボンゴレリング」ではない細いリングに雷の炎を揺らめかせる。夏の日の庭で遊んだ線香花火のような力強い炎。いつまでたっても騒がしいランボのような炎。
「今だってイーピンの方が強いもんね」
「知ってる」
ランボの強さはそういう腕っ節だけじゃない所にあるのもイーピンは知っている。
「――あの時、ツナ達が守護者を選んだ時、雷の波動を持つのが俺しかいなかったんだ。あの人の傍に居るマフィオソで他にいなかったから俺なんだもんね」
泣くのを我慢している顔で、ランボは笑う。
兄と慕い、その背をひたすらに追いかけるばかりの人たちの中で、ランボは一生懸命に背伸びをしているからだろうか。イーピンの前では相変わらず泣き虫で弱虫のランボを、意地を張らずに覗かせていたものだった。
「ランボ」
それでも、ランボが彼の中に深く蟠る思いを零すのは久しぶりだった。フゥ太にきっちりと叩き込まれた口調が馴染んだ頃以来だろうか。時にボヴィーノのヒットマンとして、時にボンゴレの雷の守護者としてイタリアへ渡る事が多くなってきてからだろうか。綱吉を「ボンゴレ」と呼ぶようになってからだろうか。
イーピンやフゥ太達の前でさえランボは背伸びをするようになった。つま先立ちで立っていて、ふらふらと揺れているのに止めようとはしない。伸ばした手の先のものに、一秒でも早く指をかけれるようにと。
「イーピンが雷の炎を灯せたら、きっと俺は守護者じゃなかった」
俯いた彼の目尻から、ぼろりと涙が零れて地面の色を変える。
「もう、私を慰めてくれるんじゃ無かったの」
「うう……が、まん……」
「泣き虫ランボ。それでも、守護者になりにいくんだね」
ランボはいつも通りの泣きべそ顔で頷いた。
「いいなあ……」
鼻の奥がつんとして、目頭が熱くなる。
「わ、私も、ツナ大哥たちの役に立ちたいのに。ランボに置いてかれたくないのに」
鼻を啜る音が小さく響く。胸の奥でぱちぱちと弾けていたものが、嵐のように吹き荒れて飛び出した。ぎゅっと握った拳にはたはたと涙が落ちる。ランボより小さくなったけれど、それでもただの大人にはひけを取らない、凶器の拳だというのに、その手には何もないような気がする。
――ああ、やっぱり私は嵐のアルコバレーノの弟子だ。
荒々しく吹き荒れる疾風は、雷を巻き込んでしまう。
「ど、どうして、私、選んでもらえなかったんだろう。そ、そしたら、みんなと一緒にずっといれたのに。ツナ大哥や、獄寺哥哥、雲雀さんに置いてかれなかったのに」
ヒットマンとして並森に来なければ「家族」を得ることは無かったのに、並森に来なければ「家族」が別々の道を行くことがこんなにも寂しいと思うことは無かっただろう。
「イーピン」
「いいなあ、ランボ、いいなあ……っ」
膝の上で握りしめた手を、ランボが包んだ。
「俺、ずるいよね」
イーピンは首をふる。
「本当は、本当は俺、雷の守護者に相応しくないって返上した方がいいんだって、分かってるもんね。ボンゴレに行くと時々言われる……。イーピンを泣かせても、ツナ達に迷惑かけても、俺はこの幸運にしがみついちゃってるんだもんね」
「違うっ、返したりなんてしたら、餃子拳でぶっ飛すよ!」
ランボを睨み付けると、ランボは驚いたように目を丸くしていた。
「私が悔しいのは、私が弱いから! ランボは誰にも文句を言われない立派な守護者になればいいの! 私も、もっと強くなるから」
「あ、あははっ」
ランボの弾けるような笑い声に、イーピンもしゅっと空気を抜かれたように気が抜ける。差し出された葡萄柄のハンカチで目元を拭う。
「イーピン、大好きだぞ」
五つの時から変わらないからっとした笑顔に、イーピンも思わず笑ってしまう。
「私も大好きよ、ランボ。イタリアでも元気でね」
「イーピンも高校であんまり人をぶっ飛ばしちゃだめなんだぞ」
「大丈夫大丈夫、ランボもあんまり泣いちゃだめよ」
堅く手を握り合って、お互いを抱きしめる。恋人同士のそれよりももっと乱暴で、暖かな親愛のそれ。戦友のそれとも似ている。
私の肩が濡れているのも、彼の胸元が濡れていくのも分かる。
もう袖を通すことの無い制服が最後に触れるのが、お互いの涙だなんて、とイーピンはおかしくなった。
ひとしきり名残を惜しんで身体を離すと、お互いに小指に炎を灯して絡ませる。
「日本のことは私に任せて」
「ツナ達のことは俺に任せて」
炎を灯した指先で交わす約束。二人にとっては沈黙の掟よりも堅い誓い。
共に過ごした十年を忘れぬように。
――指切り、っていうんだよ。
優しい兄が教えてくれた唄を口ずさむ。
指を離して炎を納め、ランボは大きく伸び上がる。
「そろそろ帰らないと、ママンが心配するもんね」
「そうね。――それにそろそろ、ツナさん達が風邪引いちゃう」
ちらりと目を向ければ、公園の茂みが不自然に激しく揺れる。三人分くらいの幅で動くそれに、ランボは呆れ返って肩を竦めた。街灯に特徴的な銀色の髪と琥珀色の髪が反射している。その二人がいるなら、残りの一人なんて誰でも分かる。
「……見え見えなの、わかってないのかな……」
「さあ……?」
ふふ、と顔を見合わせて家路につく。
「ママンのご飯なにかなー!」
「今日はご馳走って言ってたよ!」
「やったぁ! ボンゴレ達の分も食べてしまおうよ、イーピン」
わっと声を上げて、イーピンは駆けだした。ランボがすぐに続いてくる。
「イタリアじゃ、媽媽 のご飯食べれないもんねえ」
「出発までに食いだめするもんね……!」
背後で茂みが慌てたようにがさがざと動いている。イーピン達に見つからないように、先回りして帰ろうと頑張るのだろう。
――まったく、いつまで子ども扱いするんだろう、私達の哥哥達は!
家路の先に暖かな明りが見える。帰る家があることの嬉しさは、涙が出るほどの感傷を二人にもたらす。
「お帰り、イーピン、ランボ。遅かったじゃないか」
玄関先で、フゥ太が穏やかな微笑みを浮かべながら手を振る。
「ママン、二人ともやっと帰ってきたよ」
玄関に声を掛け、フゥ太はいそいそと中に入る。
「ママン!」
「媽媽!」
キッチンに駆け込むと、奈々が優しく笑みを浮かべた。
「ランボちゃん、イーピンちゃん、おかえりなさい。卒業おめでとう」
終