おかかさまの太刀

──即ち戦国グレートマザーの太刀 

 

一仕事終えた後なのだろう、千代金丸たちの丹精込めて育てた苦瓜の下げ簾の青い影の下で、刀が一振り寝息を立てていた。戦装束の防具と上衣だけを脱ぎ、シャツ姿で腕を枕に微睡んでいる。
夏に差し掛からんとする、本丸の一角では藤の咲き揃う美しい季節である。
うとうとと微睡むその刀を見つけ、三日月宗近は殊更に目尻を和らげた。馬当番を一頻り終えた昼下がり、突然の出陣でもない限り三日月はもう店仕舞いである。
伊達に所縁の深いの龍の刀は三日月の気配に気づく様子はない。
三日月はそれを良いことにそろりと彼の隣に腰掛けた。見上げれば艶々と茂った苦瓜の葉に、初夏の白い陽光が遮られて真っ青な空が覗く。縁側には鮮やかな青い影が落ちていた。三日月にとっての幾度目かの本丸の夏はそろそろ盛りを迎えるだろう。黄色い小さな花が簾のあちこちで小さな太陽のように開いているのが愛らしい。
「大倶利伽羅や」
三日月は共に馬当番を仰せつかっていた南泉一文字に渡された濡れ手拭いで、微睡む刀の額を拭った。
腕を枕に微睡む彼の額にはじんわり汗が浮かんでいた。横顔はいたいけな少年の面影を残し、日頃の精悍さが形を潜める。額を拭ってやれば、むずがるようにかぶりを振る。起きる様子はない。暫くすればまた寝息を立てる。
「……大倶利伽羅や、水分は取ったか?寝苦しくはないか?」
三日月は誰にも聞こえぬほどの囁き声で彼に問うた。恐る恐る彼の髪を撫でて囁く。戦帰りの戦塵と火薬と硝煙の匂いはするが、彼自身の血の匂いはしない。怪我もなく武功を立てて帰ってきたのだろう。三日月にとってはそれが何よりの吉報である。
「偉いなあ、お前は本当に良い刀だ」
薄らと彼の瞼が震え、焦点の合わぬ蕩けた金眼が三日月を見上げた。
「起こしたか?」
彼はぼんやりと首を振った。
「……あれがまた泣いているのか」
と大倶利伽羅は呟いて首を傾げた。どうしたんだ、と気遣う表情を浮かべた大倶利伽羅に、三日月は瞠目する。
「ちょうまるなど、泣かせておけ」
「長丸……?」
久しく聞かぬその幼な名に、三日月はどきりとして彼を見つめた。彼は尚もはっきりとせぬ口で続ける。
「かか様の……あんたは、優しすぎだ……」
はぁ、と彼は呆れたため息を吐き、彼は腰掛けた三日月の腿に頭を乗せた。良い枕を見つけて寝やすくなったのだろう、先ほどよりもあどけない表情で大倶利伽羅は再び眠りの淵に漂い始める。
三日月は思わぬ事に思わず口許を押さえた。
「……なんと」
口元が笑みを作り、目元が緩み切っているのがわかる。
「なんとまあ、覚えておるのか」
かか様の太刀──高台院こと寧々の刀であった頃、彼女の養育した子供たちの刀にはそんな風に呼ばれていた。決して敵にならぬ相手の刀として随分と慕ってくれたものだった。
己の膝で眠る刀が伊達へ渡る随分と前、幼くして豊臣の人質となった徳川世子の刀であった頃の話だ。
彼の主が寂しさに一人啜り泣くのがかわいそうでよく彼を呼びにいったものだった。
──馴れ合うつもりはない。
とまだ少年の年頃の姿をした付喪神は辟易した顔をしながらも、いつでも彼に寄り添っていた。後に二代将軍となる幼き和子の守刀として。
そうするうちに三日月の前の主が駆け付けてきて、また幼い子どもを懸命に慰めにかかった。
「長丸殿、如何なされた?このかかに申されよ、このかかに任せておけば、なーんも怖いことなんてないでね」
大大名の室となったかつての主は、顔中をくしゃくしゃにしながらも幼な子の涙を拭った。それを二振りの刀の付喪神は顔を見合わせ、同じようにほっとした顔をしたものだった。
三日月にとって、大倶利伽羅は伊達の刀である前に幼き人質の若子に寄り添う守り刀であった。
ほんの束の間のそんな折のことを、この刀は律儀にどこかで覚えていたらしい。伊達に渡ってからはとんと会わぬままであったというのに。
三日月はえもいわれぬ心地で、膝の上で眠る刀の少し固い髪をそっと梳いた。ともすればこの刀を抱きしめてしまいそうだった。
「お主はほんに、優しい刀だなあ……」
苦瓜の葉の青い影が、ゆっくりと色を変えつつある。夕暮れの匂いが三日月の鼻をくすぐった。さらさらと葉擦れがさざめき、涼風が頬を撫でる。
良い夢が見れそうだと、三日月は軒の柱に頭を預けて目を閉じた。

 

いつの間にか眠っていた三日月が目を覚ました時にはかの刀の姿はなく、膝にかけられた紅い腰布の温もりに、目元をゆるゆると和らげた。