おさふねといちもんじ

 福岡一文字の長が顕現したと聞いた時の長船派の祖が一振り、燭台切光忠は微笑んで「彼が」と呟いた。手を拭い、厨番のものたちに一言言い置いてそそくさと厨を出る。
 道すがらに身なりと髪を整えて廊下の角を曲がる。
「おや、光忠殿」
 先に燭台切を見つけたのは山鳥毛の方だった。緊張しきりの南泉一文字を案内役にしている。
 刀剣男士としても、付喪神としても出会ったことのない相手だが、その気配に光忠は笑みを深めた。やはり、同じ備前のかねでできた刀は分かるものだ。きっと山鳥毛も同じ気持ちなのだろう。サングラス越しの目が細くなる。
「ああ、あなたが山鳥毛さんだね。僕は燭台切光忠だよ」
「ああ、貴殿も顕現していると聞いていたから、会えるのが楽しみだった」
「僕もさ、いつぶりだろうね? 随分と久しぶりになるなあ」
 燭台切が自然と差し出した手を握り返し、山鳥毛の紅い目がより柔らかく和む。互いにそれぞれ別の家に流れて長い。付喪神にさえならぬ頃、互いに号も名ももたぬただの刀の精だった頃に互いの里の間の河原あたりでふわふわとしていた生成りの刀の精でしかなかった。だというのに、その頃に立ち戻ったかのように気安い心持ちはなんだというのだろう。
 山鳥毛も口元を緩めた。
「数百年ぶりだろうか。互いに打たれたばかりの頃だったように思う」
「君たちとの印字打が懐かしいよ。君が将になると勝てなくって悔しい思いをした」
 ふは、と山鳥毛が笑う。
「光忠も相当だったな」
 それを思い出したのか、南泉が懐かしげに目を細めた。
 ただただ生成りの付喪神として長船で遊んでいた。互いの里の境にあった吉井川のほとりで正月には皆で集って印字打ちをしたものだ。ごく一部の神剣を除けば、神として祀り上げられる付喪神など居なかったので、気楽な刀の付喪神はなにかと里に帰った物だった。
「そうだった、にゃぁ」
「懐かしいものだ」
「あの頃からお頭は強かった。いつだったったかにゃあ。河の中に隠れて奇襲したのは楽しかった」
 懐かしげな顔で南泉がけらけらと笑う。
「あはは、そうだあの時、君たち真冬なのに河の中から出てきたんだった」
「景光の誰かが俺を鯰の化け物って言ったのを覚えてる、にゃ」
 今、燭台切ははありありとその光景を思い出した。
 里帰りの頃、人の子の真似をした合戦ごっことでも言うべき印字打遊びで後に山鳥毛と呼ばれるようになる一文字が打ち出した奇策は一文字軍の一部隊を河の中にひそませ、側面から奇襲をかけるものだった。流行の平曲を歌う琵琶法師が先だって長船に訪れていたからそれに影響されたんだろう、と後から燭台切は納得した。
 長船軍は無警戒の側面から奇襲を掛けられ、丁度そこに居た打たれたばかりの景光の刀がその姿を見て悲鳴を上げたのだ。真冬の河の底から、濡れそぼって震える付喪神が飛び出してきたのだからたまらないだろう。
 景光の良い刀であったのは覚えている。
「誰だったかなあ……」
「……俺だよ」
 低い声が聞こえて、光忠はその声の主を探す。縁側に小竜景光が口を尖らせていた。今し方戦から帰って来たらしい戦塵の付いた装束で、彼は肩を竦めていた。
「小竜君、お帰り」
「ああ、戻ったよ燭台切。一文字の長が来たと聞いて勇んできたら懐かしい話が聞こえてね」
「お前かあ」
 南泉が驚いた声を上げる。
「あの時の濡れ鼠がまさか猫だったとは」
 小竜にくつくつと笑われて、南泉が鼻を鳴らす。結局あの戦は引き分けに終わった。
 そう、あの時は奇襲こそ成功したが、寒さに凍えた一文字たちが揃って使い物にならず、逆にそこにいた長船たちが慌てて保護に走ったからだ。
 奇襲こそ失敗だがどちらも同じだけ戦力を削いでの決戦となった。その戦力が同等だったので結局引き分けたのだ。
 その時前線から少し下がった後詰めを兄弟の幾振りかと引き受けていた光忠は、川縁の大騒動を収めに回ったので結局その年の大将同士の一騎打ちは見逃したのだった。確か、山鳥毛と実休であったような気がするが、定かではない。
――光忠! どうしよ、どうしよう一文字が折れちゃう!
――鯰の化けものだあ長光ぅ助けてえ!
 幼い付喪神たちのあの大騒動! 山鳥毛の方を向くと同じ頃を思い出しているのか顔が笑っている。
 それに気付いていない南泉と小竜が口を尖らせて言い合っている。
「鯰の化け物が出たって、長光に泣きついていたくせに」
「寒くて奇襲出来なかったくせに」
「にゃぁ! だって雪降ってたし、にゃあ……、俺もうできねえ……」
「あはは」
 小竜がけらけらと笑う。そういう小竜は、長光に泣きついた一振りであるのを、燭台切は良く覚えている。
 燭台切は丁度良いところでくちばしを挟んだ。
「小竜君、先に山鳥毛さんに挨拶」
「おっと、これは失礼した」
 燭台切が窘めると、小竜ははっとした顔で山鳥毛に向き直った。髪を整えて、胸を張る。
 先ほどまでの稚気のかけらもない、堂々たる太刀の一振りの姿に燭台切は知らず誇らしげな顔をしていた。
「小汚い格好で失礼する。俺は小竜景光。また会えて嬉しいよ、山鳥毛殿」
「私も嬉しいよ。既に武威を十分に示しているようだ。流石は楠公景光とも呼ばれる名刀。私も劣らぬよう努めよう」
「いやあ、かの山鳥毛殿に褒められるとむずがゆいね」
 小竜は後頭部を掻いて微笑んだ。
「じゃあ俺はひとっ風呂浴びてくるよ。そろそろぼんくらな方の長光が来ると思うからよろしく」
「また大般若君と喧嘩してるの?」
「俺は悪くないよ」
 小竜はひらりと手を振るとマントを翻して去って行く。
「またくだらねえ喧嘩か、にゃあ」
「だろうねえ。小竜くんのチーズをつまみにして食べちゃったんだよね、大般若くん」
「それは、どうでもいいにゃあ」
 呆れ顔の南泉が肩をすくめる。
 それでも、燭台切は鯰のバケモノに怯える小竜の名を得る景光を宥めた長光の太刀がいったい誰だか知っているのでほほえましいとしか思えない。
「大般若長光も顕現しているのか……」
 山鳥毛のおもわず、といった風に零れた声にちらりと顔を見れば、サングラスの下の視線が雄弁に燭台切に問いかけていた。
「ああ、長船の刀で今来ているのは、光忠は僕だけ。長光だと大般若長光と小豆長光、景光は小竜景光と謙信景光だよ。山鳥毛さんも知っているかな」
「あ、ああ。小豆長光と謙信景光は同じ家に伝わった」
「ああ上杉家だね」
 どこかぎこちない頷きに、燭台切は思わず口元を緩めた。
──優しい刀だ。相変わらず。
「今は遠征に出ているんだ。二振りともきっと喜ぶよ」
「ああ」
 言葉が切れたところを、今度は南泉が継ぐ。
「じゃあ、次は道場と風呂場に案内します」
「ああ、ありがとう」
「じゃあまた夕餉に。歓迎会は明日か明後日になるけど、今日も腕によりをかけるからね!」
「にゃ!」
 南泉の顔がぱっと明るくなる。山鳥毛と次の場所へ歩きながら風にながれて声が聞こえる。
「燭台切の料理は絶品だから、楽しみだ、にゃ!」
「そうなのか。では、楽しみにしていよう」
 その背を見送って、燭台切は踵を返した。
 米沢の料理は自分の得意料理である。
 腕を振るわなければ。
 何しろ、我等が長船の里の同郷の友であり、鎬を削る好敵手がもう一振り増えたのだから!

おさふねといちもんじ 完