最先端ということ

──あるいは極めた刀の苦しみについて

 

 この本丸の和泉守兼定は既にきわめに至った刀である。
 打刀の中でも真っ先に修行に飛び出し、至極あっさりと帰ってきた。
 浅葱の羽織に袖を通し、結い上げた髪を風に遊ばせながら堂々と本丸に帰参した彼の姿は、陸奥守の記憶にはっきりと刻まれている。
 主は手紙を感心したように読んでいたが、それを本丸の誰かに見せるということは無かった。
 修行の物語はその刀の研ぎ直しの物語。己自身で語らぬかぎり触れ回るものでないと、いつもの通りである。流石に堀川国広は知っているかと思えば、やはり知らぬと言う。
 堀川の修行のあらましも和泉守はてんで知らぬいというのだからあの頃まだ極めていなかった陸奥守は随分と驚いたものだった。
 髪を一つに高く結い上げて身なりを僅かに変えて帰ってきた和泉守は以前よりもほんの少しだけ思慮深い面差しを覗かせるようになった。
 陸奥守も他の刀も彼の姿を通して己の修行を覚悟し、また己の修行の間の本丸を安心して託せることを喜んだ。
 新々刀の最先端、かっこよくて強い、最近流行の刀。その名乗りに恥じぬ姿だと誰もが褒めそやす。
 故に、ある夜の厨の端で旧知の刀とぽつぽつと語る彼の姿に陸奥守吉行はひどく驚愕したのだ。

 

「朝尊、あんたはどう思う」
 和泉守兼定は、南海太郎朝尊を朝尊と呼ぶ珍しい方の刀であった。水を飲みに厨に入りかけた陸奥守は、彼の真剣な声に思わず身を翻して戸の横に隠れる。
「僕、かい」
 南海が穏やかに応えている。
 暖簾の陰から覗いてみれば、厨に設えてある机に向かい合い、寝間着の和泉守兼定と南海太郎朝尊がなにかマグカップを片手に話し込んでいるようだった。和泉守は入り口に背を向けており、南海がその向かいで首を傾げている。
「ああ、あんただよ」
 常に快活な彼らしくなく、微かな自嘲の滲む声を陸奥守は彼の口から殆ど聞いたことが無かった。
 南海は微笑みながら彼の何かの問に答える。
「僕は、そうだねえ。あの時のあの彼の研究無くして打たれぬ刀だったと思うよ」
「本当にそう思うか」
 彼の反駁に南海は少し眉を上げた。陸奥守や肥前といった親しい間柄にしか分からぬ程度に表情を変える。驚いたようだった。
 そして少しの沈黙の後、彼は殆ど独り言のように呟いた。
「君は本当にするために口にしていたんだね」
「……そうかもしれねえなあ……」
 和泉守が深い溜息を吐いてマグカップを口に運ぶ。
 重たい沈黙に陸奥守はいっそこのままこの場に飛び込むべきなのだろうか、それとも踵を返すべきなのか思案した。このまま彼らの話を聞いていてはならない気がする。そんな権利が自分にあるのだろうか?
 だが、その逡巡が定まる前に和泉守が言葉を継ぐ。
「なァ、ここに居るのは新刀や古刀ばっかりだろ?」
「そうだね。僕が来たときにはもう君や近藤勇の長曽祢虎徹﹅﹅﹅﹅﹅が居たけど」
「刀剣男士になれるほどの物語を持つ新々刀は少ねェ。刀の時代の、その終わりに打たれた刀だからだ」
「ああ、それは間違いないだろうね。新々刀が振るわれた時代は短い。故に──新々刀僕らを形作る物語はもろくもある」
 そうだ。彼は長曽祢虎徹──あえて言うならば源清麿﹅﹅﹅を検非違使から奪取するまで本丸でたった一振りの新々刀であった。
 打たれたのが何百年も下の刀である事を、陸奥守はあの当時何か考えていただろうか?
 共に九十九の歳は越えている。それ以上のことは、おそらく南海が来てから漸く気がついたような気がする。
 特に自分が作刀年代の括りなどには頓着しない質であったので、和泉守がそれをどう思っているかなど考えていなかった。
──そういえば、この刀は殆どあの南海先生と同じくらいに打たれた刀であった。
 南海に話しかける和泉守を見て、陸奥守は目から鱗が落ちたような気がしたものだ。
 ”あの”南海先生と同じほどの刀。
 播磨屋橋近くに炉を構えた南海太郎朝尊を才谷屋の蔵から足を伸ばして肥前忠広と見に行ったことがある。名工が江戸から学んで帰ってきたというので行き渋る肥前に強請りこんで見に行ったのだ。近年稀に見る生真面目さや熱心さに感心し、彼の打った刀の精がいずれ立派な付喪神になるだろうと語り合った。
 後に若き武市半平太が心弾ませながら彼に注文打ちを頼み、言葉少なに、それでも歓びを隠さずに前の主にぴかぴかと輝く佩刀を自慢していたのも良く覚えている。
──えいろう、アザ。わしの刀ぜよ。南海先生に打ってもろうたがじゃ。
──ほにほに。よかったのうアギ。
──ははは、下士でもわしらあ武士じゃき。魂は上士にも負けちゃあおれん。これはわしの魂じゃ。
 その武市の腰に差された付喪神ともいえぬ幼い刀の精に肥前共々手を焼かされたのもまだ記憶に新しい程の思い出だ。
 その刀と変わらぬほどの生まれなのだ。彼は。
「そういうやつとさ、引き比べちまうんだよ」
 その刀が、言の葉をぱらぱらと零すように呟いている。陸奥守はえもいわれぬ衝撃のようなものに襲われながら、一層気配を殺す。
「……オレァよ。常々主に『主は持ってる刀で値踏みされる』って言ってんだ」
 それは聞いたことがあった。自分という名刀を持っているからこその話だと思っていたが、彼の口ぶりを聞けばそういう意味と言うだけでも無いのだろうと察しが付く。
──こっらめった。
 音にせずに舌打ちする。
 聞いてやらぬのが親切なのだと分かっている。今すぐに踵を返し、部屋に戻り聞かなかったことにしてやるべきだ。
 だが、理性に反して陸奥守の足は動かなかった。
 あの格好つけたがりの意地っ張りが、そう易々と弱音を口にはしないことを陸奥守が一番よく知っている。
 本丸が発足してから早八年ちかく、当初からいる和泉守が弱音を吐いたことなど片手に満たない。加州清光や堀川が言うにはそれでも和泉守の気質にしては格段に気を許している方なのだそうだが。
 ただの仲間というには長い時を同じ釜の飯を食い、同じ屋根の下で過ごした。艱難辛苦を肩を並べて乗り越えた刀が何を思い、何を考えているのかその一端を知る好機をむざむざと逃すことはできなかった。
 和泉守は気付かずに南海に話を続ける。
「……新々刀オレたちは刀の時代の最先端。実戦じゃあ古刀にも新刀にも、なんなら天下五剣にだって負けやしねェ」
「それは勿論」
「でもなァ……、オレ﹅﹅を差すよりも、きっと古い刀や之定とかの方がさァ……」
 和泉守がふと笑う気配がした。厭な笑い方だ。
「生まれに文句はねェ、本当だ。だが、オレはあいつらに比べてどうなンだろうな……って」
 南海が珍しく二の句を継げなくなっている。自分もまた額に汗が伝うのを感じている。
 和泉守一振りが訥々と呟く。眠りの淵に立っているようなゆったりとした口調に、漸くこの刀が寝ぼけていることを理解した。
 そうでもなければ、この誇り高い刀が自らを嘲る訳がない。
「どうしても……思っちまうんだよなあ。主に聞くわけにもいかねェだろ?」
 はは、と和泉守は面白げに笑う。笑い事では無いのに、笑ってみせる。
 陸奥守は胸が突かれる心地がした。喉がからからに乾き、舌が口に張り付いている。
 南海が言葉を選びながら口を開く。
「……さっきも言ったが、僕とて生まれに後悔は無い。僕は南海太郎朝尊が古今東西の刀剣を研究し尽くした上に打たれた刀だ。あの時代にしか作れなかっただよ」
「ああ」
「君だってそうなのではないかね」
「……そうだよなァ」
 ちらりと厨の中を覗けば、南海が口惜しげに眉を寄せている。言葉を尽くそうとして、諦めたように笑う。珍しい顔だった。
 陸奥守が何を言えよう。新刀であり、土佐では名刀として知られた刀として自負がある。土佐吉行として愛された郷土刀である。
「……君は強い刀だね」
「そうさ。オレは格好良くて強い、当時最先端の刀だ。生まれに文句はねえ。……うん、そうだな。大丈夫だ」
 和泉守が髪を掻き上げてからからと笑う。その流れで立ち上がる。慌てて廊下の角に隠れる。暖簾を上げて和泉守が厨の外に足を踏み出している。
「すまねえなァ。変な話につきあわせて。アンタなら分かってくれるかと思ってさ」
「……いや、分かるよ、君の気持ちは完全にではないけど。僕も……」
 南海が何かを言いかけ、諦めて首を振る。
「いや、これは僕が言うべきことじゃないね。和泉守くんは明日も大阪城の地下に出陣するんだろう?」
「朝尊もそうだろ?」
「僕は交代要員だからね。……ねえ和泉守くん」
「何だよ」
「また話をしてくれないかい。もっと君と話がしたい」
 和泉守は少し驚いた様子で南海を見て、そのまま快諾した。
 じゃ、おやすみ、とあくび混じりに和泉守は陸奥守がいる方と反対の角を曲がって自室へと帰っていく。
 その足音がついに聞こえなくなってから、陸奥守は漸くずるずると壁に背を預けながら座り込んだ。
「……ほっとみるくが必要かな?」
 すい、と角から陸奥守を覗き込んだ南海が手に持っているのは陸奥守のマグカップだ。
 途中から南海とは時折目が合っていたので気付かれているのではないかとは思っていたので驚きはしない。しかし和泉守は気がつかなかったのだろうか。
「殆ど寝言のようだったから、気付いていないと思うよ。彼はあまり偵察が得意ではないようだし」
「先生……わしの表情かお読むのやめとおせ」
「今日はいつもよりわかりやすい顔しているからねえ。それより、いるかい?」
「おん、おおきに。先生もあんまり夜更かしはせられんよ」
 南海からホットミルクを受け取り、陸奥守は深く溜息を吐いた。
「たまるか。わしゃあまっことえずい……」
「僕は彼と作刀年が十年も離れていないから、言いやすかったんだろう」
「けんど、あいたぁがあがにたいそい思いをしちょったがをわしは知らんづつにおったがよ……」
 ず、と廊下で暖めたミルクを二振りして啜り込む。
「……刀っちゅうがは、難しいもんじゃのう、先生」
 和泉守とは本丸創設期からの付き合いがある。
好き嫌いも癖も剣筋も互いに知っているのに、まだまだ知らぬことがあり、知らぬ思いがある。
 それは陸奥守とて同じことなのかもしれない。
「……だからこそ面白いのだろうね」
 静かに南海が笑う。
──全くもってその通りだ。
 ホットミルクの生ぬるい甘さが喉を通り抜けて胃の腑を温める。
 和泉守のその煩悶を陸奥守が解決することは出来ないだろう。彼の思いは彼だけのものだ。
 けれど──と陸奥守は願う。
 少しでもその苦悩に煩う時が少なくなれば良いと。

 

最先端ということ 完