凍てつく心臓 - 1/2

 撃鉄を上げる。引き金を引く。
 その瞬間、陸奥守の思考には弾道の他に何もなくなる。凪いだ海よりも凪いだ頭と心がなければ弾丸は当たらぬ。どれほど重要な局面でも、どれほど切羽詰まった場面でも、頭は冷静に。
 相手が誰であったとしても。
 それが陸奥守にとっての銃を扱うということである。それが、本丸を率いてきた刀としての矜持である。
──だから。
 こんなことで動揺することなどない。
 こんな危機などいくらでも転がっていた。
 そのたびに切り抜けてきたから本丸は今まで存続しているのだ。
 細く息を吐く。
 引き金を引く。

 

 凍てつく

 

「陸奥守、落ち着けよ」
「なんちゃあない」
 隣の和泉守の低い囁き声に食い気味に応じれば、ぎろりと睨み付けられる。
「なんちゃああるから、オレに口出されてンだろうが」
 肩を竦めて軽口を叩く和泉守に二の句が継げなくなる。その後ろに控えていた加州がくつくつと喉の奥で笑う。
「和泉守にやり込められてる吉行を見る日が来るとはね」
「もー兼さん、こんな時に喧嘩しないでね」
「しねーよ。喧嘩にもならねえ」
 堀川に嗜められて、和泉守が口を尖らせる。そのいつも通りのやりとりに加州がまた笑う。
「でも和泉守の言うとおりかもね。吉行の顔超怖いぜ」
「……ほうかの」
 加州に肩を叩かれる。二振りにそう言われるということは、おそらく自分は相当に気負っているのだろう。
 無理もない──と自嘲する。今からこの銃が狙わねばならぬのは、自分の知己だ。同郷の、同胞の、大事なひとだ。
「……陸奥守、外すなよ」
 和泉守に背を叩かれる。
「おん、わしは的を外さんよ。おまんも知っちゅうろう」
 陸奥守が笑えば、不機嫌そうな和泉守に睨まれる。任務になると途端に鬼になる刀だが、今日はそれだけではないだろう。
「まあいい。お前ら札は持ったなァ」
 鞘に貼り付けられた札を確認する。呪いよけの札はしっかりと張られている。
 目の前には静まりかえった本丸がある。
 今、本丸の中には二振りの刀しか残っていない。仲間に牙を剥くバケモノと化した刀の討伐。
 それが自分たちの任務である。

 

「さぁ、池田屋といこうかァ!」
 和泉守の威勢の良いかけ声と共に、母屋の玄関が吹き飛んだ。
 穢れた気配の充ち満ちた自分たちの本丸。
 待ち構えていたように、見慣れた太刀筋の刀剣男士が二振り斬りかかってくる。
「御免!」
 堀川が彼らの斬撃をはじき返し、真っ直ぐに鋒を向ける。
 弾かれて転がった四対の目が禍々しい赤色に光っている。
 獣のように歯をむき出して警戒する姿に、かつての二振りの名残はない。
 その痛ましい姿に息が詰まった。
「肥前の、南海先生……!」
 もう己のことも認識も出来ていないのだろう。陸奥守の呼びかけに反応する素振りもない。
 ただ縄張りに入り込んだ人と刀を食い殺すだけのバケモノと成り果てている。
 頭では分かっていても、彼らの姿ばかりは刀剣男士のままで胸がかき乱される。
 二振りの初撃を鞘で受け流し、和泉守が肥前の腹を蹴り飛ばして襖を破る。
 堀川が和泉守の蹴撃で吹き飛んだ肥前を追って本丸の奥へ姿を消す。
 肥前を気遣う様子もなく朝尊が斬りかかってくる。普段の美しい剣筋は見る影もなく、力任せに振るわれた刃で縁側に深い傷が残る
「理性ふっとンでんな、忌々しい」
「その割に強化されてるから困る。作戦通り行くぜ」
 加州が朝尊の足を払って縁側から地面へ転がす。そのまま庭に追撃して姿を消す。
 あっさりと分散させられた肥前と南海に陸奥守は息を吐いた。本来の彼らであれば決して分散しなかっただろうが、そこまでの理性も知恵も損なわれているのだろう。
「行くぞ」
「おん」
 一振り残った和泉守に着いて足を動かす。
 勝手知ったる己の本丸で迷うはずもない。
 陸奥守達がこの本丸を退去したのはたった十日前の事だ。
 見慣れた廊下を駆け抜けながら目を伏せて、あの日を思い出す。

***

──本部より通達。
 貴本丸にて異常発生。政府より配属された刀剣男士の一部に変異発生。本部のネットワークの悪用が考えられる。即時破壊、もしくは刀解せよ。
 貴本丸の南海太郎朝尊、肥前忠広を破壊せよ。

 本丸全てに響く第一級警戒サイレンと本部通達に弾かれるように陸奥守は隣の親しい刀たちを見る。咄嗟に刀を手に取るが、彼らに向けることは出来なかった。
「──まいったね、まさか……」
 南海太郎朝尊と肥前忠広は目を丸くした。
 肥前は絶句していたかと思うと、険しい顔で陸奥守を睨み付けた。
「陸奥守、早く俺たちを折れころせ
「何を」
 殺せと言われて大事な仲間を殺せるものか。
 動揺する陸奥守の横で、朝尊が立ち上がる。いつの間にか二振りの内番装束が戦装束に替わり、手には抜き身の刀を下げている。刃を下げながら、朝尊が苦笑しながら言葉を紡ぐ。
「本部のファイアウォールからのろいでも逆流したんだろう。……いま、僕は、今すぐに君たちを殺したい」
「ぐ……早く」
「──嘘じゃ」
 急激に二振りから溢れる殺気に、咄嗟に鞘を払う。尋常ではない。それでも彼らに鋒を向けることは出来なかった。
 立ち上がった彼らから距離を取って牽制する。じわじわと彼らの目の色が禍々しい色に変わっていくのが厭でも分かる。
 張り詰めてい気配。
 陸奥守の気が一瞬でも逸れれば彼らが向かうのは主の下だろう。
 ここまでの殺気を浴びては、もう疑うことは出来ない。
 装束を戦装束に替える。
 おもむろに刃を彼らに向け、拳銃嚢ホルスターの留め金を外す。
 左手に伝わる重たい鉄の塊けんじゅうの感触に陸奥守の頭が凍り付くように冷えていく。
 それでいいと、二振りが頷いた気がしたのは、陸奥守の甘えだろうか。分からない。
──主を、本丸を守らねばならない。
 それが今の大義である。
 斬りかかられれば、二振りを折らねばならない。それが初めの一振りとしての陸奥守の役目だ。
 その後でどれほどの痛みを抱えようと、せねばらならぬことは絶対に成し遂げなければならない。
 永遠のような寸刻が破られたのはすぐだった。
「──あ」
 朝尊の噛みしめていた唇からぶつり血が垂れる。眼鏡の奥の目が丸く見開かれて、刀を下げている右手を左手で押さえた。まるで別の生き物のように朝尊自身を握る彼の右手ががたがたと動いている。眼鏡の奥の目が一瞬いつもの南海太郎朝尊の理性の光を戻して陸奥守に訴える。
「だめだ、陸奥守くん。逃げてくれ」
 その声に応じるように獣のように唸り続けていた肥前が刀を地面に差して怒鳴りつけた。
「主をつれて逃げろ!」
「これは刃を合わせれば感染する!」
 初めて聞くような朝尊の必死の声と共に、近侍であった加州の声が朗々と響く。
「吉行! 二振りに触れるな! 触れたものから感染する! 主は無事に退去した! 本丸を一時放棄する! 繰り返す! 主は退去した! 本丸を一時放棄する!」
 その瞬間の彼らの顔が陸奥守の瞼の裏に張り付いて消えない。似ていない顔だというのにそっくりな表情で安堵を露わにした。
 それを最後に、彼らの理性が熔け果てる。獣のうなり声を上げて斬りかかる二振りの刃に掛からぬように身を翻す。
「必ず、必ず戻るき!」
 最後に振り返って叫ぶ。
 ちいさく彼らが頷いたように見えたのは陸奥守の願望が見せた幻なのかもしれなかった。

***

「ッたく、ここまで厳重とはな」
「しゃーないろう。本丸の重要機密やきね」
「あーあ、之定が泣くぜ」
 たどり着いた本丸の最奥。本来であれば主の居室となる奥の間の襖を蹴り破った和泉守が文句を付ける。歌仙が手づから張った襖絵が無残に破れた。
 主の存在しない本丸にて自動で発動する防衛機構セキュリティをかいくぐり、たたき壊しながらたどり着いたので和泉守も陸奥守も既に中傷間際の軽傷であった。修繕費用を思わず換算しかける頭を首を振って追い出す。修繕費用は本部持ちだと話は付いている。
 和泉守は文句をつけるものの、彼の視線は真っ直ぐに外を警戒している。
 遠くの戦闘音が絶え間なく聞こえているので、こちらに彼らが来ることはないだろうが、万一の時には和泉守が止めなければならない。
 陸奥守は和泉守を宥めながら本来ならば主しか使えない機器を操作していく。
「ッたく、うちの本部も杜撰だぜ」
「ほじゃの」
 思いの外吐き捨てるように響いた声に和泉守が肩を竦める。
 仕方がなかったことは理解できている。それでも忸怩たる思いが浮かんでしまうのを止められなかった。

 

──本丸を取り戻す為には直接本丸に乗り込んで呪いに当てられた刀を折るか、特殊な呪い返しの必要がある。それができない本丸は閉鎖し、他の本丸へ転地を命じる。
 無事に退去できた本丸の主は支局の講堂でそう命じられた。この騒動で退去した本丸は陸奥守達の在籍する備後国の支局で百十数個に渡り、既に該当した刀を折ったところもあったという。
 丁度近侍だったその刀が主に斬りかかった故に咄嗟に折った。折らずに済む道があったのなら何故もっと早く──と泣き崩れた幾人かの審神者の慟哭が耳の奥に染みついている。それでも、主が無事なだけマシだろうか。主が呪いに当てられた刀に殺された本丸の話もあった。
 大侵寇よりの急ぎの復興で弱っていた防壁に叩き付けられた呪いであり、もしこれが本部に直接届いていれば本部の壊滅は免れなかっただろう。分散したが故にこの程度ですんでいるのだ。
 そう説明する役人の目にはひどい疲れと罪悪感が滲んでいた。すすり泣く審神者の声が止まぬ講堂は一時通夜のように静まりかえった。
 それでも立ち上がるのが人の強さである。
 本丸の主自ら本丸に乗り込んだところもあれば、陸奥守のようにシステムの操作方法を短期間でたたき込まれて出陣したところもある。
 殆どの審神者が呪いに当てられた刀を葬る為ではなく、呪いを解くために出陣したのが印象的であった。

***

「まだか?」
「これで、仕舞いじゃ」
 システムの最奥に頭に叩き込んだ長い特殊コードを叩きこみ、本丸に満ちた主の霊力を一つにまとめるシステムが立ち上がる。
「来るな。陸奥守、てめえは用意してろ」
 和泉守が立ち上がる。
「おん。任せえ」
 堂々と胸を叩けば、彼は忌々しげに自分を軽く蹴りつけて踵を返した。

 

 はげしい戦闘音が落ち着き始めている。
 極めて久しい歴戦の刀剣男士と、理性のない刀剣男士ではたとえ強化されていたとしても力の差は明らかだろう。
 本丸のメインシステムが編み上げたものを手のひらに握りこんで陸奥守は奥の間を飛び出す。
 縁側から本丸の屋根に一息に飛び乗る。空中に空砲を鳴らす。
 準備が出来た合図が本丸中に響き渡る。
 陸奥守は手のひらを開けた。
 白々と清廉な霊力を本丸に残るだけ全て詰め込まれた弾丸が二つ。
 .32S&Wめいた形をした小さな拳銃弾を自分のS&Wのシリンダーに込める。
 しばらくも待たず、堀川の補助に回っていた和泉守が肥前を縁側から庭に放りなげる。加州が引き付けていた朝尊が庭の竹藪から蹴り飛ばされて転がる。
 庭の真ん中に放り出された二振りが立ち上がる前に三振りが真っ直ぐに鋒を突きつける。
 首筋に突きつけられた三つの鋒に二振りが怯んでいる。既に二振りとも重傷に近い傷を負っていた。陸奥守には気付いていない。
 加州が屋根の上の自分を見上げていた。
 小さく頷いて、ひどく重く感じる銃を構える。撃鉄ハンマーを上げ、細く息を吐く。
 キン、と凍り付いていく頭が照準を合わせる。
 相手まとと己をつなぐ一筋の道の他に全てが無くなる。
 引き金を引く。シリンダーを回してもう一度引き金を引く。
 照準のむこうで、大事で愛おしい刀たちに弾が吸い込まれていく。胸もとを打ち抜かれて頽れる肥前。それでこちらに気付いた朝尊の腹に弾が当たる。
 目を見開いた二振りは陸奥守に打ち抜かれてどう、と庭に倒れ伏す。
 それを見届けた三振りが黙ったまま刃を納める。
 役目を果たした拳銃は、がらがらと屋根瓦を滑り落ちていった。