ひとふり虎徹 結

長曽祢が帰城すれば、待っていましたとばかりに大宴会となった。防人作戦成功及び先行調査の成功を祝し、その上満開の花見さえ合わさってもう誰の手にも負えない。防人作戦直後に蜂須賀が倒れたので、お祝い気分になりきれなかったことが拍車をかけている。
 結局、蜂須賀の歴史は、早期発見と早期対処によってほぼ全ての時間軸で正しい歴史に記されたままとなった。各本丸の先行調査員の尽力が実を結んだ形になる。
 強いて言えば、この本丸の守る歴史の中では一つ狸明神の祠が徳島に増えて、刀剣研究家が一人増えたようだが、正史範疇と捕らえて問題ないと報告があった。
 大団円となったことを受け、広間を盛大に三間続けた宴会場には、黒田節どころかよさこい節やら炭坑節やら流行歌やらが響いて賑わしい。三日月も蜂須賀も浦島も自分もあらゆる机に引っ張りだこで座る間もなかった。
 明日からは三振りともども報告書作成で目が回ることになるだろうが、今はただ、喜ばしい宴席を楽しめと主からも労われる。
 燭台切や歌仙、堀川や陸奥守、青江たち本丸の料理自慢は、それはもう張り切った。対大侵寇強化プログラムより連戦に継ぐ連戦で振るう場所のなかった腕をふるいにふるったので本丸の食器棚が空になるほどの皿が机を埋め尽くし、お披露目の時は刀剣男士の大歓声で本丸が震えるほどだった。正月以来になる溢れんばかりの土佐の皿鉢さわちが目の前に現れたときの肥前忠広のあの輝く顔は本丸の語りぐさになるだろう。三日月の好きな鰆の西京焼き、蜂須賀の好きなにっかり青江のすだちの冷うどん、浦島の好きな燭台切のミートローフ、自分の好きなたまごふわふわまで並んでいる。

 ようやく解放されて──もう各々で騒ぎ始めているので自分に構わなくなった──端の机に腰を落ち着ける。同じように解放されたらしい三日月が這々の体で長曽祢の裏に隠れにきた。
「ああ、もう勘弁しておくれ……。長曽祢や、何か、酒の入ってないものをくれんか……」
 げっそりとした三日月宗近にレモン水を渡してやる。珍しく白磁の頬が酒精で赤く、本当に随分と呑まされたらしい。ジョッキ一杯のレモン水をひといきに半分飲み干して、三日月はぐったりと長机に伏せた。
「大丈夫か?」
「うむ……。石切丸め、同派を助けようという気持ちがない」
 大太刀連中の飲み比べに巻き込まれて逃げてきたらしい。それはなんとも不運なことだとぞっとした。太郎太刀と次郎太刀と石切丸は修行を経てから枠さえなくなったので、宴会の彼らに巻き込まれれば日本号さえ飲みつぶれると噂だった。本刃たちのペースが人知を越えていることを本刃達ばかりに自覚がないのでたちが悪い。
 三日月を労ってやりながら、ふと思い出す。
「そうだ、三日月どの。あなたに聞きたいことがあった」
 三日月が顔だけをあげて言葉を促す。
「何故おれだったんだ。あなただって行きたかっただろう」
「ん……、先行調査のことか」
 頷けば、三日月は月の浮かぶ目をゆっくりと細めた。彼の指が長曽祢の腹をつつく。
「おぬしのその腹の底のものが一番届くと思った」
「……気付いてたのか」
「怒りは純粋に強い感情だ。良くも悪くも。あのときとて、蜂須賀が我を取り戻したのはおぬしの思いに打たれてだっただろう? だから、おぬしが良いと思ったのだ」
 今思えばそうだったのだろう。任務の最後は怒りばかりが先行して情けない姿を晒したが、それ故に彼が己を取り戻した。
「俺たちは物だが、人に思われて思いがある。こうしてままならぬ感情や自我がある。それが力になったり、邪魔になったりするのだから、まったく、刀剣男士とはよくわからん」
「あなたであってもそんなものか」
「そう、そんなものさ。千年生きてなお迷う。さていつ主に修行を申し出るかとかな」
 思わず口に含んでいた烏龍茶を吹き出せば、三日月はにやりと笑って立ち上がった。
 立ち上がればあっという間に声が掛かる。一振りで広間を振るわせる古備前の刀が酒杯を片手に三日月を大声で呼びつけていた。
「ははは、あれからはどうも逃げられん。……長曽祢や、骨はひろっておくれ。桶を用意してもらえると嬉しい」
 止める間もなく三日月が去って行き、やんやと場が騒がしくなる。
 呆然とその背を見送っていると、ぬっと影が掛かった。

 

 見上げれば机の向かいに出陣前かと思うほど鬼気迫る顔の蜂須賀が立っていた。もうすっかり改変の影響はなくなって戦場にも出陣している。酒は随分呑まされたらしく、少し顔が赤らんでいる。
友狸ゆうじんが世話になったと聞いた」
 裾を払って向かいに座ったかと思えば、開口一番に蜂須賀が鼻を鳴らす。
「それについての礼は言う」
「むしろおれの方が助けられたな。よい狸だった」
「あれでも阿波一の親分狸だ。……その、今回の出陣は……」
「なに、当然だ」
 そっぽを向きながらちらりとこちらを窺う目が怪訝そうに眇められる。
 その怪訝な顔を見返すようににやりと笑う。
「弟を兄貴が助けるのは順当だろう?」
 軽口を叩けば、彼の眉がつり上げられる。
「貴様、贋作を兄と思ったことはないと何度言えば分かる。まったく、礼を言う気が失せた!」
 蜂須賀は不機嫌そうな顔で机に持ってきていた皿を乗せる。憤っていても皿を持つ手は丁寧だった。
 先行調査で最後に見た笑顔とは雲泥の差だが、自分が見たかったのはこの蜂須賀おとうとだ。
「──なにを笑っている」
「いや、何でも無い」
 彼がわざわざ持ってきてくれたのは、あの日食べ損ねた小豆長光の歯が溶けるほど甘い菓子だった。
 驚いて見上げればそっぽを向いたまま吐き捨てる。
「俺には甘すぎただけだ」
「おれは好きだぞ」
 一つぺろりと平らげると、蜂須賀が呆れた顔をする。先だって浦島と一緒に買い直した湯飲みを渡される。中は茶ではなく、濃いめに淹れられた珈琲だった。自分には少し苦い。砂糖とミルクを取りに行こうと立ち上がる前に、フレッシュと袋入りのシュガーが向かいから滑ってくる。
「まったく。そのなりでなんで甘党なんだ」
 裾を払って座った蜂須賀が山姥切国広秘蔵の桃色のワインを傾けていた。おそらくは足利のものだ。
──今なら聞けるかもしれない。
「……なあ、蜂須賀。何故、あのとき俺を庇った」
 きょとんとした顔が、蔵の中の彼と同じだった。あの蔵の中の彼を思い出して、顔を俯けて湯飲みを啜る。
 しかし、彼はふ、と呆れたような息を吐くと懐から布の破れた跡のある御守りを取り出した。 御守りは繕いなおされ、もう刀剣守護の機能は失われている。それでもそれを繕い直しながらももっているのは、彼の戒めだろうか。
 蜂須賀は破れ目を指でなぞる。
「あの時、俺はたまたま御守りをもっていて、お前は持っていなかった。厭な予感がしたからな、俺の方が生き残れる確率が高いと判断した」
 顔を上げれば、怪訝そうな顔をした蜂須賀と目が合った。
「──それだけか?」
「当たり前だろう。確実性の問題だ」
──ああ、良かった……。
 自分でも驚くほどにそれに安堵した。
 それでこそ、真作の虎徹だ。それでこそ、この本丸の初めの一振りだ。
 それが伝わったのか、彼はぎろりと険しい目つきで自分を睨み付ける。彼の刃のように鋭い視線に思わず頭をかく。
「己惚れるなよ贋作。俺は実戦刀としての経験は無いが、刀剣男士としての経験は本丸で一番長い。疑うなら明日手合わせを……。またお前は何を笑っているんだ」
 口元に手を当てれば、確かに口元が緩んでいた。ごまかすために咳払いをする。
「ああ。そうだな……その通りだ。手合わせは頼む」
「分かれば良い。主には俺から申請しておく」
 ふん、と鼻を鳴らして今度こそ懐に御守りを仕舞って立ち上がる。その背に、慌てて声をかけた。
「は、蜂須賀」
「何だ」
 振り向くでもなく、けれど足を止めて耳を傾けている。言葉を探して絞り出す。
「ありがとう。……よろしく頼む。いままでも、これからも」
「……何を言ってるのか分からないな」
 肩を竦められる。
 わずかに覗く横顔が微かに笑っているように見えたのは自分の欲目だろうか。
 その先で蜂須賀を迎えた浦島が太陽のように笑っているのが見えた。こちらに手を振るので振り返す。自分がこれを好きなことを知っていたのは浦島だったのだろうか、それとも彼は知っていたのだろうか。
 歯が溶けるほど甘い菓子を食みながら、浦島と睦まじく話し始める背を見つめる。
 自分はいつまでも彼の、彼らの背を追っているのだろう。
 それは、この菓子ほどに甘く幸せなことだった。

 

 

ひとふり虎徹  完