彼からは自分とよく似た気配がする。付喪神でもなく、人でもない気配。
無理矢理に顕現させられた、歪な刀剣男士としての姿に、長曽祢はぞっと総毛立った。
「蜂須賀虎徹!」
色のない髪、よどんだ目の彼は、間違いなく蜂須賀虎徹となるべき彼だった。
「何故……!」
咄嗟に視線を走らせる。
刀剣男士は、審神者によって励起されるものだ。何処かにかりそめだろうが、主が居る。
しかし、犇めきあう時間遡行軍しか見当たらない。
「どけ!」
敵の脇差を切り払う。群がる時間遡行軍を蹴散らすが、あまりに数が多かった。
その上、彼が自分の剣筋の前に飛び出してくる。その身を挺して、敵の盾にさせられている。
「何故だ! 呼ばれても、応えなければ顕現はしない筈だ……!」
刀剣男士の契約は、ただそれだけだ。
主に呼ばれ、己が応える。応えるか否かは刀の判断に寄せられる。
彼の鞘に己の刃が当たる。ぎちぎちと食い込む音に歯を食いしばる。
「俺にお前を折らせるつもりか……!」
その声に、禍々しい赤い色を帯びつつある彼の目がわずかに揺れる。
はく、とかさついた唇が開く。苦渋に歪む顔にハッとする。かさついた喉から、息苦しいばかりの声が訴えかける。赤く陰った目から、一筋涙が頬を伝った。
「折ってくれ……。こんな形であなたと剣を交えたくなどなかった」
──そんなことが……!
思わず怯んだ長曽祢から、彼が身をよじって離れる。曇天の髪を翻して振り返った彼の目には、もう意思の色は失われていた。
それからは混戦であった。
群がる時間遡行軍を切り捨てる。引きも切らぬ遡行軍の群れはまるで大侵寇を思い出すが、切れば良かっただけの防人作戦と異なり、彼を切らぬようにせねばならなかった。
十数部隊分の遡行軍は、数ばかりとはいえ塵も積もれば山となる。
傷を受けることが増えた時だった。
突如戦場を険しいサイレンが切り裂く。
それは、長曽祢の懐から発せられていた。
一瞬膠着した戦場に凜とした声が響く。
『違法遡行停止システム起動! 登録外時間遡行ゲートを封鎖!』
鋭い声は浦島のものだ。
『時間遡行軍排出ε型ゲート強制封鎖! 三日月さん!』
『あいわかった。いぷしろんより排出された遡行軍を強制離脱させるぞ! なんというしすてむを作るのだ浦島……!』
『仲良くなれないのは残念だなぁ! でも、兄ちゃんに手をだしたのは許せないんだよね……!』
バチッと空間を裂くような雷鳴に似た音がする。
『長曽祢兄ちゃん、伏せて!』
浦島の声に咄嗟に身を屈める。頭上を稲光が走ったような気がして思わず冷や汗をかく。
空間から聞こえるはずのない電気の走る音が轟く。時間遡行軍が短い悲鳴を上げた。
何が起こっているかも分からぬ長曽祢が呆然としていると、通信に和泉守の声が割り込む。
『浦島、あとは任せなァ! 兄ちゃんが待ってるぜ!』
『わかった!』
『長曽祢さん、もう顔あげて良いぜ! 追加で送り込まれた敵さんは退去させた。残ってるのは、先行部隊だけだ!』
ばちばちと雷鳴のような音が収まったと同時に顔を上げれば、残っているのは、二部隊分ばかりの時間遡行軍だけだった。つい先ほどの時空震で遡行してきた敵は一掃されている。時間遡行軍の使う遡行経路を乗っ取らなければできない離れ業だ。
あの温厚な弟をこれほど怒らせるとは。頼もしい弟にわずかに心が軽くなる。
──浦島の分も、おれが頑張らなければ。
刃を払い、敵を見据える。
いきなり半数以下に減った時間遡行軍はまだ動揺しており、その中に、一人、人間が紛れているのを漸く見つける。
見間違える筈もない、この数週間ずっと顔を合わせていた、刀剣研究家を名乗る男だった。
「やはり貴殿か」
その手には、奇妙な札が握られており、その横に立つ時間遡行軍の持つ刀箱には見覚えがあった。
──男の持つ札と同じ形をした札がべたべたと張られている。
懐から和泉守の苛立った低い声が囁く。
『へえ、二級所持禁止物リストに引っかかったぜ。ありゃあ、無理矢理ものを励起させて服従させるものだ。数ヶ月呪い続けて完成するんだ』
彼が疲労していたのは、これに抵抗していたからだろう。
思わず殺気を込めて男を睨み付ければひっと首を竦めて怯えた顔をする。
「お、お前が悪いんだ……、お、俺を殺すんだろう! そ、そう言われたぞ……、それにぎ、偽名を使っているし……。こ、こうすれば私を守ってくれるんだろう?」
刀箱を持っている打刀が嘲弄めいた笑みを浮かべて頷く。
「……その口車に乗って、その虎徹を贋作と言ったのか」
「め、銘入りの虎徹は贋作ばかりだ……、ほ、本当に虎徹かどうかも分かるものか」
彼を守るように立ちふさがる彼の顔が息苦しげに歪む。
「お前に刀を語る資格はない」
刃を返し、足を引いて構える。
時間遡行軍がざわりとざわめいて退却の仕草を見せ始める。
──まずは蜂須賀を取り返す。
それを察したか、もう一振りの打刀が刀箱を別の打刀に渡してこちらを睨む。残った一部対が男を守るように陣を組み直す。
──そのまま逃げるつもりか。
焦燥に駆られた時だった。
刀箱を受け取った打刀は、何を思ったか全ての札を剥がす。その瞬間に彼の姿が解けて消えた。強制的な顕現が解けたのだ。
その時間遡行軍はまっさらになった刀箱から刀を取り、鞘を覆う札も破り捨てる。
「何を……!」
男が慌てる。
そのまま、何故かその時間遡行軍はこちらへ駆けてきた。