さくらよざくらふたりざけ

さくらよざくらふたりざけ

 往々にして本丸の本殿には桜の景趣が整備されている。本丸ごとに使いかたは異なるが陸奥守の本丸については、弥生が終われば桜の月である。
 それも晦日の子の刻ちょうどに景趣を変えるというのが主のこだわりで、それに雅を上書きしたがったはじめの刀の提案でその日は夜戦を中断して本丸の全員で花見の宴をするのが恒例になっていた。
 月冴ゆ夜に花開く桜。
 皆で作った提灯が淡い彩りを添え、白く輝くような桜が夜に広がる──何度見ても惚れ惚れとする光景で、それを見るたびに陸奥守はこの桜を見る明日の世を守らねばと決意を新たにするのであった。

──昨年までは。

 つい半年前、いろいろと拗らせてすれ違っていたかつて同家に伝わった刀と酒を飲み交わし、わだかまりを溶かすことが出来た。
 そのうち、陸奥守の心に浮かび始めたのは、お医者様でも草津の湯でも治せぬ病である。
 夜の花見。
 全員での花見は初めのうちで、徐々に三々五々に分かれて気心の知れた相手──理無い仲の相手がいるものはその二人で杯を交わす。
 この本丸で桜の宴はそういう意味も含む。
 理無い仲になってくれぬかと頼むものも多い夜だ。
 肥前忠広と二振りで酒を差し交わす絶好の機会に他ならぬ。
 そして、そこでできれば、
 けれど、ああけれど。
「……おおの……」
 二振りで花見を抜けないか。
 それは本丸での意味と、もうひとつの意味が陸奥守と肥前の間にはある。
 その一言をスマートに言えぬまま、見栄っ張り本丸の三振り目は弥生の晦日を迎え、小豆を皆殺しにしていた。

「君たちはどこで桜を見るんだい? 第二馬追門?」
 三色団子をこしらえる歌仙兼定に水を向けられて、陸奥守の漉していた小豆が潰れる。
「──な、っんのことじゃ」
「何って」
 歌仙は柳眉をあげて首をかしげる。
良刃よいひとがいるものは大体桜の日は二降ふたりで下がって花見をするだろう? だから君もいい場所は取って……誘ってもないのか」
 陸奥守が沈黙を保ったことで察したらしい歌仙がやや呆れた視線を向ける。
「誘われてもない……というかもしや、理無い仲だと僕はてっきり……」
「……ほんまは、誘うつもりじゃったがよ……」
「君もうちの三振り目だったね……」
 春めく団子を器用にくるくると作り続けながら歌仙は独り言にしては大きな声を上げた。陸奥守に話しかけているように見えて、視線は団子に注がれていた。
「じゃ、じゃあ東の四番櫓は? 僕の押さえを譲ろう」
「ん?」
「あのね実はお小夜が今年は兄弟と花見をするそうだから、僕の権限で押さえてたところが浮いてしまったんだ。人間無骨か会津ののところに混ざろうかと思ってたくらいだよ。だから、きみたち、東の四番櫓をつかいたまえ。僕に譲られたんだ、しっかり使ってもらわなきゃ困る。あそこは僕のお気に入りなんだから」
 陸奥守は一寸の間まじまじと歌仙を見つめ、それから歌仙の肩を思い切り叩く。
「おんしゃあ、まっこと優しいおとこじゃにゃあ!」
「君には感謝してるんだ。今までのお礼だよ」
 照れ隠しにそっぽを向く歌仙の首は赤く、陸奥守はからりと笑ってもういちど肩を叩いた。

 三、二、一のカウントダウンとともに主が景趣を変え、膨らんだ桜のつぼみが一瞬にして開く。花咲かじいさんが灰をまいたように、一斉に満開に開いた桜に初めて見る刀だけではない歓声が上がる。
 立ち上がった歌仙が盃をあげた。
「今年も花を愛でる日が来た。皆、日頃の疲れを癒やし、存分に風流に浸りたまえ」
 乾杯かんぱぁい!と歌仙の言葉に食いこんだ次郎太刀と大般若と日本号が杯を上げる。
 陸奥守も猪口を干して乾杯の音頭に合わせる。
 ちらり、と横を見る。
「おいこら! 先生は飲むな! 舐めるだけにしとけよ」
 隣の肥前が朝尊を叱りつけ、朝尊は残念そうに酒を舐めていた。
「さあさあ肥前さん!陸奥守さん はいどうぞ!」
「お、おう」
「陸奥守ィ! 飲めおらァ!」
「おぉの、もう酔うちゅうがかおまんらあ!」
 土方の刀から、新選組の刀が引っさらってきた孫六兼元と一文字則宗に絡まれてどんちゃん騒ぎが始める。新々刀同士で気があうらしい和泉守と長曽祢が朝尊に酒を勧め、飲もうとするのを止めるので肥前はてんやわんやである。肥前がみんなと打ち解けている様子に陸奥守の心のふっと暖かくなる。
 どんちゃん騒ぎに積極的に巻き込まれていきながら、陸奥守はふと思う。
──これ、いつ、抜ければええがじゃ……?
 そもそも、まだ場所も伝えてない。二降りで抜けて桜を見ようと言ってもいないのである。
 見計らって伝えようとして、機を逸している。
 かぱっ、と盃を空ける。
 美味しくてかぱっ、ともう一杯。
 肥前忠広が潰れた朝尊と和泉守を座敷に戻して呆れたような柔らかい顔をしているのでもう一杯。
 歌仙兼定があれ?という顔をしているのでもう一杯。
 いつの間にか、陸奥守の知っている良い仲の男士たちの姿がないのに気がついてしまってもう一合。
 
 
「はぁ……つっかれた」
 ため息が聞こえて、陸奥守は隣を見る。すこし視線の下がった先に、黒と赤のつむじが見える。
 大好きな脇差しの色である。
 こちらを見てくれんかな、と念じていれば思い通り朱殷の瞳がこちらを向く。
 うれしいこともあるものである。
「……おまえなあ」
「んん?」
「……おまえ、何合呑んだ?」
「たるばあ!」
「なるほど合じゃきかねえな?」
 肥前は一瞬ぽかんとしたあと、陸奥守の横に並ぶとっくりと酒瓶をみてくつくつと笑う。
「楽しいか? 一人でこじゃんと呑みやがって」
「楽しいぜよ、肥前も先生も楽しそうやきねえ!」
「そうかい」
「東の四番櫓に行かんといけんがやけんど、めったにゃあ」
「……へえ。だれと行くつもりだったんだ?」
「肥前のと!」
「……はあ?」
「肥前のと二振りで花見しとうて準備したがよ。皆殺しの道明寺と、酒と、あとつまみ……」
 たいみんぐが、どうにもえいように誘えん……と肩を落とせば、肥前が吹き出す声が聞こえる。
「ふ、ははっ」
「わらわんでもえいろお……」
「なるほどね、これがこの本丸か。この見栄っ張り」
 でん、と額を小突かれて腕を引かれる。
 見上げた肥前は、苦笑と微笑の混ざったような顔をして桜の下で陸奥守を見下ろしていた。
「このべこのか」
 それが何よりもうつくしくて──陸奥守は言葉を失う。
「今度は……俺と桜を見に行くか?」
 

3/31 #ひぜむつ版真剣60分一本勝負 参加作

お題:桜散る/美しい景色