都市伝説ってたまにマジ

 陸奥守吉行は激怒した。──激怒というほどでもないが、語呂が良いので自身そういうつもりでいる。怒るのが苦手な刀である。
 必ず、かの邪智暴虐のべこのかあをぎゃふんと言わせねばならぬと決意した。
 陸奥守は初めの一振りである。
 主の信頼も厚く、極めて以来結い上げた後ろ髪を尻尾などと呼ばれては多少浮かれるくらいには主のことも好いていた。
 けれどもこの日、陸奥守のちょっとばかり手入れもしていた尻尾はまるで蜥蜴の尻尾の本体の方の如くうなじの上の隅っこにちょろりと小指の先ほどが残るばかりであった。
 すっぱり、と美しいほどに切られている。犯刃はんにんなどわかりきっており、また陸奥守が刃を向けられて寝転けていられる相手などそのべこのかあの他に居ない。
 結えるわけもなく、すうすうする首筋を摩りながらも、陸奥守はかの邪智暴虐の恋刀こいびとが布団にいないことに更にイラッとする。枕に彼にしては少し長い朱殷の髪が落ちているので、先ほどまではここに居たくせに。などと、怒りながら、陸奥守は一振りで食堂に駆け込んだ。

 

 朝餉の終わりがけに駆け込んできたふくれっ面の陸奥守吉行極(後ろ髪なし)という大変面白い──否珍しい姿に、好奇心の強い刀は目を輝かせて無駄に偵察力を発揮し、触らぬ付喪神に祟りなし、と避ける刀はそそくさと食器返却口に盆を返して逃げ去った。
「肥前のにわしの尻尾斬られたがじゃけど!」
 と、陸奥守は盆をどん、と置く。目の前の和泉守兼定は祟りなし派の筆頭であった為、絶望的な顔をして周りを見回す。隣にいたはずの長曽祢虎徹は親指を立てて食堂を後にしている。午後の手合わせでその指を逆にしてやろうと思う。歌仙兼定謹製の小鉢を味わって食べていたのが機動の差である。
 しかし、そんな新選組刀の攻防など目に入らぬ陸奥守は、珍しくかっかとした口調で和泉守に愚痴る。
ひとの髪を勝手に斬る刀があるかえ!? 何考えちゅうがか! わしの尻尾!」
「お、おお」
 和泉守は小鉢の小芋を突きながらそわそわと相づちを打つ。
「手入れしてもらえよ」
「その資材がもったいないろうが! それでもおまん蔵番長ながか! おおの、うちんくの蔵見てきとおせ! 底が見えちゅうがで!」
「オレに当たるなよ……」
「ええ!? おまんが何が何でも来てほしいちいうたがやぞ! 蔵の底まで掬ったがやけんど!」
「でも来なかったじゃねェか、孫六兼元」
 ぐっ、と陸奥守が喉を詰まらせ、はあ、と重たいため息を吐く。来んかったがやけんど……と呟いてしじみ汁を啜る。
 ようやく燃えさかっていた炎が鎮火したらしい様子に和泉守も小さく安堵のため息を吐いた。
「で? 斬られたのが首じゃなくて良かったなって言えばいいのか?」
「べこのかぁ!」
 ぱくぱくと茶碗のご飯をかっ込みながら陸奥守は和泉守に文句を付ける。
下手刃げしゅにん本人に文句言えよ」
「……知らん。めったにゃあ、わしの尻尾……主が褒めてくれたがやに……」
 陸奥守は落ち着かぬ様子で時折うなじを摩る。怒りが落ち着いてしまうと、すっかりしょぼくれてしまったらしい。
「──どういてじゃろう……、肥前の」
 あーあ、なんとかしてやんなよ、と隣の卓で聞き耳を立てる好奇心の塊のような昔なじみの二振りが視線を寄越す。
 けれどまあ、しかし──この和泉守と陸奥守は、これでも本丸のはじめのはじめの第一日目から共に頑張って本丸を切り盛りしてきた仲でもある。
 陸奥守とかれの尻尾を切り落としたという下手人──彼の恋刀こいびとであるおとこ──とがわりない仲になったと知ったときは、心配していた仲間達と酒盛りをして酷い宿酔いになったほどである。仲違いするのは本意ではない。
 和泉守は、ごほん、と空咳をした。意を決して箸を置く。
 戦場でも見ぬほどの精悍な表情である。陸奥守はその迫力に押されてぱちぱちと瞬きをした。
「あのな、陸奥守」
「ん?」
 おっ、ついに言っちまうのか! という空気に食堂が染まった。残っている刀は好奇心の塊ばかりである。
「そういやさァ、まあ、あくまで? 噂なんだけどな? ほら、あるじゃねェか」
 なんなら廚の奥の刀も皿洗いの手が止まっている。巨大食洗機に食器を詰めている堀川国広はこちらを見ていないが、和泉守は彼がわくわくして耳をそばだてているのを知っている。相棒なので。
「……あのさあ、オレは別にいいと思うぜ? 結構似合ってたし。割と洒落ててアリだと思う。あれだよな、いんなーからーってやつ?めっしゅ? 主も良いじゃんって言ってたし」
「は?」
「……まぁ、でも、うん。あいつは嫌だったかも……悋気とか独占欲とか表に出すやつじゃないから余計に……? ほら、その、わかりやすいからよ?」
「なんの話じゃ?」
「……いやその、その……その髪な……?」
 この本丸の和泉守は実のところ、とても心優しく、ともだち思いな刀であった。そしてとても、もう本当に、女性にモテたという元の主の物語をどこに置いてきたんだ?と自分で思うほどに初心な新々刀であった。
 がんばれ!と隣の加州と大和守が同じ顔で拳を握る。切腹しろ、と和泉守は思った。
「さて──床を共にして、霊力が深く混じり合うと、その相手の色が移る──と言うね。噂だと思っていたけども」
 淡々と落ち着いた声が脇から差し込まれる。陸奥守はきょとんとした顔で自分の隣を見上げた。
「へっ?」
「特に先端から、染まりやすいようだよ。黒髪は黄金こがねに、金が銀に……。君の場合は──彼の色に」
 アルカイックスマイルを浮かべた南海太郎朝尊がそっと陸奥守の瞼を突く。和泉守は気がついてしまった。
 ああ、意外と長いまつげが朱いなあ。
「──ふふ、興味深いけれど。これ以上は野暮かな。許してあげておくれ、下手刃はこれ以上見せたくなかったんだよ。後朝きぬぎぬ朱殷あかに染まったきみをね」

 陸奥守は走った。
 長谷部よりも、豊前よりも早かったかも知れぬ。
 理由はもちろん、かの邪智暴虐の、愛おしいべこのかあを見つける為である。
 決して、恥ずかしすぎていたたまれなくて、食堂に居られなかったとかではないので、勘違いしないように。

 

 

 

 嵐のように駆け去った陸奥守を見送った刀たちの万雷の拍手の中、南海太郎朝尊ゆうしゃは和泉守に熱く抱擁されていた。
 あー面白かった、若いっていいねえ、お熱いねえ、とがやがやと賑わう食堂で、和泉守は熱く抱擁している南海太郎朝尊の背をぽんぽんと叩いた。
「──頑張ったな、朝尊。ありがとう、すまねえ……今度、喫茶店でぱふぇ奢ってやるからよ……」
 余談であるが、武市半平太は妻と睦まじく、送りつけられた女中にも手を出さない堅物で有名である。
 そして、年長の風体で忘れられがちであるが南海太郎朝尊はこれでも新々刀。そして祖と前の主によく似てとてもとても責任感のある刀であった。
「切った髪をどうしたらいいかなんて知らないよ……、うっかり切っちまったじゃないよ。……流石にこんなことでよそ様に迷惑、かけられないじゃないか……なんで黙って切ってしまうんだい……喧嘩したいのかい……」
「今頃喧嘩してると思うけどねー」
「陸奥守のあの勢いならそのまま肥前にばっくどろっぷかけてそう」
「お前らは黙ってろよ」
 和泉守と茶を用意している沖田総司の二振りにしか聞こえないようなぼそぼそとした声で、泣き言を漏らす。肥前忠広に相談されて、慌てて陸奥守のフォローに飛んできたらしい。
 ふふ、じゃあ懐紙にでも包んでおきたまえ、とでも彼の前では飄々と告げたのだろうなあ、と和泉守は心底彼に同情した。
「……べこのかあはおんちゃんらあじゃ……」
「身内のそういう話、恥ずかしいよな……、ありがとうな……」
 南海太郎朝尊は彼らの前では決して見せぬ真っ赤な顔で頷いた。

2025/05/25 #ひぜむつ版真剣60分一本勝負 参加作 

お題:やきもち/独占欲

おまけ

「いやー、陸奥守のあの顔! 驚きだったな」
「俺のは違うからな……」
「伽羅ちゃんのは自前だもんね」