これから紡ぐおれたちの

 

 さて、一度焼けて再刃された刀は一部の思い出を落としてくるのだという。もちろん全てに適用されるものでは無いが、多くの再刃の刀はどこか記憶が欠落している。
 陸奥守吉行という刀剣男士は、本来しっかりと付喪神の頃の記憶を抱えて顕現するはずだった。
 数多の本丸のほとんどはそうだろう。
――この本丸の陸奥守吉行がそうではなかったというだけで。

 

「播磨屋橋についたのう」
――よう覚えちょらんけんど。
 そう呟く陸奥守に仲間は静かに刀を構える。彼らは陸奥守に薄情だなどと言うような絆ではなかった。
「陸奥守さん、僕らもついてますよ」
 鯰尾が背を叩く。歌仙が視線で微笑む。それに勇気づけられて陸奥守も銃を構える。
「まぁ、戦うがはいつものとおりじゃ!」
 この陸奥守吉行は、付喪神であったころの思い出をほとんど釧路の地に落としてきてしまった刀剣男士だった。刀剣男士としての知識しか無い刀。坂本龍馬の最期の一振り――その物語以外は空っぽである。それ以前の来歴を、実感として持たぬ刀であった。
 顕現異常として政府には報告されているが、特段それ以外に問題は無いとされる。第三類顕現異常認定だかなんだかと証明書おりがみ一枚で記されたそれが、陸奥守が刀剣男士として生きることの出来る唯一のよすがであった。
 覚えていないことがあっても、主の為、本丸の仲間のために戦い、生きることはできる。かつて鯰尾藤四郎と拳を合わせてそう約束したこともある。
「きたなぁ」
 播磨屋橋の遡行軍を倒せば、先行調査員と邂逅する。
 血を被ったように一部の朱い髪、昏い夜のような朱殷の瞳。小柄ながらも均整のとれた体躯に、ぼろぼろの装束。
 ぱちぱち、と胸の奥に火花が散るような感覚に陸奥守は慌てて首を振る。
 かの名は肥前忠広、岡田以蔵の脇差。坂本龍馬にとっては旧知の仲であったのだろう。陸奥守はにっこりと笑って手を差し出した。
「よろしゅうなあ、肥前忠広。わしゃあ陸奥守吉行じゃ」
「……あ?」
――その脇差の朱殷の瞳に雷のように一閃した驚愕と深い悲しみは、まるで、刃のように陸奥守を貫いた。

 

 特命調査を終え、本丸に帰還した陸奥守は一振りで居室にたどり着くとずるずると戸に背を預けて座り込んだ。
「――陸奥守!」
 本丸にやってきた先行調査員の脇差の物言いたげな視線と、呼ぶ声から逃げるように背を向けた。
 中傷に近い傷を負っている。手入れをしなければならぬことも、主や仲間が心配そうな視線を向けていたことも分かっていながら、陸奥守はその視線に晒されることを恐れた。鯰尾に手入れを後回しにしてもらうことを言付けられただけで上出来だと思う。それよりも、今は誰からも見られたくなかった。
 ぎゅう、と胸元を握りしめて拳を額に当てる。
「どういて……」
 覚えていなくても大丈夫だと思っていたのだ。記憶が無くても、思い出が知識だけでも、陸奥守は刀剣男士だ。いままで一振りも陸奥守を知るという刀は顕現しなかったのだから、このままで問題ないと思っていた。新撰組のような知り合いなんて顕現するまいと思っていた──してほしくないと、思っていたのかもしれなかった。
 ぐっと目を閉じる。呼吸さえ意図せずに合わせることのできた脇差。二刀開眼をはじめの一太刀で合わせられた。彼の剣筋も、刃文も、拵えも、面差しも何も思い出せない。記憶をたどっても、彼の姿はどこにもない。
 なのに、なぜ。ただ、ひたすらに郷愁が止まらなかった。懐かしいと、ああ、会いたかったと胸にあたたかな火花がぱちぱちと散る。その懐かしさの源泉を、陸奥守は覚えていないのに。
「どういて、こがあにわしは……」 
胸が痛くて痛くて仕方が無かった。悲しい顔をさせた、あの一瞬の眼差しが酷く胸をかき乱す。見捨てられたような目をしていた。
 あんな目を、彼にさせたくなかった。
「すまん……すまんちや……」
「――謝るな」
 呻くような声を遮る低い声に、陸奥守ははっと振り返る。
 すこし息の上がった脇差しが陸奥守の居室の障子の向こうに立っていた。西日が差し、シルエットだけが障子に浮かんでいる。
「ここが部屋だと……。おい……逃げるな」
 一瞬距離を取ろうと動いた陸奥守を静かな声が制する。
「主から聞いた。記憶を欠損して顕現したんだな」
 ぐ、と喉が詰まるような気持ちがして頷く。
「……珍しいバグじゃねえ。おれも、すまなかった。事前にいるとは申告を受けていたんだが……てめぇだとは思わなくて」
 彼の影がしゃがみこみ、声が近くから聞こえる。
「すまねえ。お前にあんな顔をさせるつもりはなかった」
「おまさあを傷つけたのはわしじゃ。わしのばぐの所為で、えずい思いをさせちゅうろう……」
 かぶりを振る陸奥守に、肥前忠広は穏やかな声を返した。
「お前はなんも変わっちゃいねえ。記憶があろうと、なかろうと。お前は”陸奥守吉行”だった。特命調査でよくわかったよ」
「……けんど、わし……」
「おれは肥前忠広。坂本家の宝刀で、かつてお前とおなじ蔵にいた。そのあと坂本龍馬の脱藩に伴って土佐を出国。暫く後に岡田以蔵の手に渡り、暗殺に用いられた。物打ちから一度折れ、刀工南海太郎朝尊の手で脇差しに打ち直されて今に至る。──おれのことはそれくらいだ」
「──え」
「──顔を見せてくれよ」
 優しい声で乞われ、陸奥守は障子を開けた。昏い夜の瞳は、西日の元で柔らかに緩んでいる。
「今から覚えてくれりゃあいい。おれのお前の仲だろう?」
 その瞳だけで、全てが許されたような気がする。
「なんの仲じゃあ」
 ぼろ、と零れた涙に肥前忠広はふはっと笑う。
「これから作る、おれとおんしの仲やか」

2025/06/22 #ひぜむつ版真剣60分一本勝負 参加作 

お題:忘れても、ずっと/邂逅


おまけ

刀剣男士顕現異常個体認定登録分類一覧

一類:顕現した身体の異常(目の色髪の色が違う、性別が違うなど、励起体の異常)

二類:本体かたなそのものの異常(擦り上げ前の姿で顕現する、集合体においては刀剣男士として登録されていない姿など)

三類:中身ものがたりの異常(未登録の刀剣男士として名乗る、集合体においては本来主軸のはずの刀とは別の刀が軸として顕現する、記憶がない、“諸説”の不採用面を軸に顕現など)

ただし、認定は刀剣男士として運用可能な場合に分類するものに限る。運用不可のものについては政府の指示に従うこと。