ぱたぱたと地面を打つ音で目を覚ます。
うっすらと目を開けば、薄暗い庭が見えた。宵か明けか暮れも分からぬような灰色に翳っている。
太陰暦よりグレゴリオ歴に替わって以降、牽牛は織女に会えぬ年が多いという。文月よりも葉月の方が晴れ間が多いのでさもありなんと言えるだろう。
陸奥守は寝起きでぼんやりとした頭で罠博士から雑学博士にでもなろうという昔なじみの新々刀の言を思い出していた。
「雨かえ」
陸奥守は声を潜めて囁く。
雪見障子から覗く庭はまだ薄暗く、たださあさあと小雨の降る音ばかりが聞こえている。これは確実に雨である。現世の天気を遷しているこの本丸では、いつかのどこかの日の本の天気がそのまま表れるという。
さて、今日は七夕だというのに。
──七夕くらい景趣を使えばえいろうが。雨ばあぜよ。
と、何年か前に主に文句を言ったことも忘れて、陸奥守はうっそりと口元を緩めた。
いつもの賑やかさが嘘のように静まりかえった本丸に、聞こえるのは雨のそぼ降る音と──体温を分け合える場所から聞こえるすうすうと規則正しい、穏やかな寝息。
雨などつまらない。天の川を眺めるにも晴れなければ甲斐が無い、と。確かにかつて不満をもっていたはずだというのに。
今はただ嬉しい。
陸奥守は寝ている間に布団の端に蟠った薄掛けをそっと持ち上げて広げる。
その動きに反応し、暖かな塊が僅かに眉を寄せる。
「ん……」
「寝とってえいよ。今日は雨じゃ。……肥前の」
むずがるような声に陸奥守は囁く。おなじ一枚の薄掛けを分け合う暖かな塊が目を閉じたまま夢うつつのまま呟く。
「あめ、かよ」
お互いに寝起きが悪いことを陸奥守は知っている。まだ彼はほとんど眠りの中だ。
「おん」
「ざんねんだったなぁ」
「ん?」
くく、と半分夢の中に居るままで愛しい脇差しが笑う。そのままぬるい体温の足が陸奥守の足に絡みつく。肩口に黒と朱の髪が埋まる。
「まいとしたのしみにしてんのになあ、おまえ」
ぼんやり、のんびりとした口調の彼が珍しくて、陸奥守は彼のつむじに顎を乗せてくすくすと笑う。
「ほうかえ」
「『ひぜんのとせんせえがきちゅうがに、天の川もみせられんち、ほんまるのなおれじゃあ』とか……」
「そがあなこと言うちょった?」
「ゆうちょった。いられがよ」
まるで芯のない口調で、ぽやぽやと紡ぐ会話に、陸奥守はとろとろと鋒から溶けてしまいそうな幸福に目を細めた。
ついばむような口付けが戯れのように贈られる。
(……かわえいにゃあ……)
雨の日の朝、肥前忠広が、酷く寝ぼけることを知ったのはいつのことだろう。
雨の日を心待ちにするようにさえなったのはいつのことだろう。
つい最近であるような、遠い昔であるような。
ほんの四半刻もすればすっかりいつものしゃんしゃんとした脇差になる彼が、こんな朝はすっかりぼんやりとする。
眠る前、共に同じ鐵に熔けてしまいそうな熱を向けてくる彼とも、戦場を血しぶきと共に駆け抜ける彼とも違う。これは彼も知らぬ、陸奥守だけが知っている彼だった。
この一刻にも満たないわずかな朝が、陸奥守は愛おしくてならない。涙が出そうになるほどに、このかりそめの身体に愛おしさがあふれてくる。もう、彼に会う前のことが遠く思えるほどに。また別れる日が何よりも恐ろしく思えるほどに。
「──明日を隔てて年は長けむ……」
うっすらと開かれた、いっそ不機嫌そうに見える目が陸奥守を見上げる。
「……やまず通わむ、時待たずとも──だろう、おまえは」
くあ、とあくびを漏らした彼はため息を吐いて陸奥守の背に腕を回す。
「もうちょい寝とけよ、まだ早ェだろ……」
とんとんと背中を叩かれて陸奥守は目を閉じる。
「……横着な牽牛じゃにゃあ……」
「うるせえなあ、でけえ織女がよお……寝ろねろ」
陸奥守はふは、と吹き出すように笑って肥前を抱き寄せた。もうすっかり二度寝に入った刀の額に口づける。
「……惜しむ空なき朝ぼらけ……らあて」
完
2025/07/06 #ひぜむつ版真剣60分一本勝負 参加作
お題:天の川/身を焦がす