ある冬、城址にて

日は高く崩れる様子はない。雪の気配のない冬は大倶利伽羅にはどこか不思議な違和感をもたらした。
天草と島原から集められた三万七千の一揆衆は此処を拠点と──最期の地と決めた。
幾度かの小競り合いを経れば兵糧もそう持つものではなく、鶴丸もそうそう保たせるつもりもないようで女子どもを中心に兵糧をばらまいていた。
大倶利伽羅もその一端として、こうして握り飯を詰めた盥を抱えながら腹を空かせたものに施している。いくつか、大凡村々で別れている集団の中には拝み倒すように握り飯を頬張るものもいれば、自分たちは良いから他のものに分けてくれと頼むものもいる。
大倶利伽羅は盥の中の最後の一つをその村の子どもに渡して息を吐く。
子どもたちはもう無いことを嘆くでもなく、まじまじと大倶利伽羅を見上げていた。
幾人かが顔を見合わせ、頭領格らしい、赤子を背負った子どもが小さな手で大倶利伽羅の裾を引く。
「に、兄さん、いつでん四郎様とおらす人やなかと?」
大倶利伽羅の肩にも届かぬほどの少年が丸い目を向けて決死の様相で問いかける。
「四郎さまのおそばにおっとらしたのを見たとばい」
周りには年頃の似た子どもたちが暖を取ろうと集まっている。母親たちや姉たちは子どもたちの近くで寄り集まって包帯や旗指物の繕い物をしている。大倶利伽羅を助けに口を挟む様子はない。
辟易としたが、裾を握る手は思いの外に強い。振り払えば子どもを転ばせるだろうと思えば、無体を働く気にはならなかった。
何しろ、大倶利伽羅は”神の子”の近習の一人だ。
「いまは四郎様と一緒に居らんと?」
「おいも四郎様と会うてみたかぁ!」
大倶利伽羅が無理に裾を払わぬのを見て取ると、子どもたちは笑みを浮かべてぐっと輪を縮める。

「四郎様は神の子ちおっ父が言っとうばい。兄ちゃんも神の子?」
一様に頬が痩けているせいで大きく見える丸い目を輝かせて矢継ぎ早に尋ねてくる子どもの問いに、大倶利伽羅は一つ溜息を吐いて答える。
「……神の子は四郎様だ。俺は違う」
「そぎゃばってん、兄ちゃんは四郎様のことよう知っとーとやろ? どぎゃんな人やとね?」
「叔母ちゃんは、優しい太陽みたいな人っち言うちょったとばい! 」
「知っとうよ! 天使様みたいな御方げな。お姉が言うちょった。真っ白なお顔で、指が細うて、夢みたいにみじょか方なげな」
マリアと名乗っていた少女が寒さだけでなくぽうっと頬を染め、浮かれた表情で笑う。それに負けじと子どもたちが声を上げる。
「お歌も上手なげな!」
「おいは祝福してもろうたばい。優しいお手やったとよ」
「こすかぁ!」
鶴丸か、日向か浦島のいずれかに触れられたのだろう頭を押さえてはにかみ笑う少年の胸元には木製の十字架クルスが揺れている。
見れば、この周りに居る子どもたちは皆、胸元に丁寧に作られたメダイユや十字架が下げられていた

──キリシタンの村の者か。
一揆の参加者の半数に少し足らぬ程は、やはり弾圧されたキリシタンだった。その村から家族に連れられてきたのだろう。頬は空腹に痩けているにも関わらず瞳だけは無垢に輝いている。
「よかったな」
それに大倶利伽羅は胸が閊えるような気持ちになった。
裾を引かれるままに子どもたちの輪の中に座らされて遊び相手にされる。
「四郎様と一緒に居らすなら、兄ちゃんはぱらいぞってどぎゃんとこだか知っとっと?」
「マリアはお母とパライソば来っとばい」
「いつでん腹一杯白いまんまが食えっとよ!」
「そぎゃんこつ誰でん知っとうばい!」
わあ、と子どもたちが甲高い声を上げて口々に天国ぱらいそを語りはじめる。
「あんね。おいのおっかあも兄ちゃんも先にぱらいぞ行っとうけん。おいも来ったらおっかあと会えっとじゃ」
ようやく立って歩ける程の子がそう笑う。
「四郎様がお連れくださるっとばい」
「ぜぜす様が褒めてくれるっさ」
「早う来っとよかね、ぱらいぞへ」
子どもたちに袖を引かれた大倶利伽羅は、何対もの目に囲まれて身じろぎもできなかった。
眩しいものを見る目をした子どもを、大倶利伽羅は見知っていた。
「吾兵……」
やせぎすで、懸命に、生まれた時代を地に足を付けて駆け抜ける人間の目だ。
初めに声を掛けてきた少年が屈託なく笑う。
「おいはペテロ弥二郞ばい!」
ねえ、もっと四郎様のお話をして、と土に汚れて指先の硬い気弱な少女の手のひらが大倶利伽羅の手の甲に触れる。寒さに冷えきった死人のように冷たい指先。土に汚れて固く、一生懸命にこの時を生きている手のひらだった。
殆ど反射のように、かつてそうしている仲間を見続けていた大倶利伽羅はその手を温めるために包み込んだ。大倶利伽羅の無骨な武人の手にすっぽり包み込まれてしまう程の大きさだった。
かつて己が剣術を教え込んだ手のひらのいくつかを、それは思い出させた。
この子どもと同じ年頃の子どもたちは、もっともっとふくらしい指をしていた。百姓上がりの弟子はもっと大きな手をしていた。
頬は餅のように柔らかく、髪は女房の手で整えられて艶やかで、継ぎなど一つも無い着物に当然のように袖を通していた。
笑って土いじりをしながら、大きく固くなっていった手。筆肉刺を作りながら伸びた指先。
花が綻ぶように笑う物知らずの面差しばかりが彼らに似ている。
ここから先決して大きくなることのない手のひらが、似ていない。
「分かった。わかった……」
大倶利伽羅は、観念して子どもたちの真ん中にどかりと腰を据えた。子どもたちが大倶利伽羅の膝や背中や周りに纏わり付く。
「長くは無理だ。何の話が良い」
手を伸ばしたら白い鳩が止まった話がいいと気弱げなマリアみつが囁く。水の上を走った話がいいとアレクシス平作が声を上げる。手のひらから湧いた水が、盲いた目に光を与えた話がいいとペテロ弥二郞がはにかむ。
大倶利伽羅に輝いた目を向ける子どもたちの視線を、大倶利伽羅は受け止めて口を開いた。
「あれは四郎様が湯島へお渡りになったときだ」
周りの娘や母親たちが微笑ましいものを見るような目でこちらを見つめ耳を傾けている。
その向こうの誰かが何を思ったか、こちらに十字を切っていた。
大倶利伽羅は瞳を伏せる。
祈る神を持たぬただ一振りの戦刀に何が願えるだろう。かつて愛しんだ子どもと同じかたちの子どもたちは、再び春の日差しを浴びることはない。

 

堆く積み重なる肉の山、十字架が寒風に揺れていた。
大倶利伽羅が血濡れた指先で幼子の瞼を落とし、頬の血を拭う。荒れてかさついた頬は、それでも未だ温かく柔らかな弾力をまだ保っていた。

 

ある冬、城址にて  終