山鳥毛盃事

 いつもの通り、盛装で整えた刀たちがずらりと並ぶ様は壮観である。三間ほどの襖を取り外した大広間に跪座にて列をなし、居並ぶ刀剣男士。白紙にて作られた道の奥、祭壇を背にして主が座し、その前に朱塗りの盃が据えられている。
――そろいもそろったり、か。
 主役を待つざわめきに耳を傾けながら、陸奥守吉行は皆を眺めた。向かいには歌仙が似たような感慨を目に浮かべながら皆を見つめている。
 もうそろそろ、本丸にうち揃う刀剣は百振りを越えるだろう。この結縁固めの儀も、何十回となく繰り返されている。
 当時顕現していたのは十振りで、三間も抜かず、桜の見える奥の一間だけで行った。初めの一振り、陸奥守吉行を筆頭に主と交わした固めの杯が喉を滑るあの感覚を今でも覚えている。それから一振り一振り、刀が顕現する度にこうして盃を交わしてきた。緊張しているもの、悠々としているもの。共に酌み交わしたもの。こうして並んで顔を眺めれば、彼等の口上が直ぐに脳裏に甦る程だ。
 ふと山姥切国広と目が合う。彼はにやっと笑うと隣の加州と何かひそひそと囁いている。加州が吹き出すのを堪えていた。彼とその隣に座る加州清光は共に来て、同日に盃を交わした。加州は緊張に身を固くし、山姥切国広は五虎退よりも小さな声で口上を述べた。それが今や何振りもの刀の兄役として頼られている。立派になったものだ。
「……くくっ」
「何なが」
「手前ェはいつも、そういう顔をしやがるなァ」
 急に笑う隣の和泉守に囁けば、彼も同じような囁き声で返す。
「『盃の時に吉行と目が合うと、父親みたいな顔されるよな』って清光が言ってたぜ」
「む……」
 もしや先ほどの山姥切国広と加州の会話はそういう話だったのだろうか。いたずらっぽい光を宿して和泉守が続ける。
「知ってるか、新参の刀どもの間で盃の時の手前は”近寄りがたい”らしいぜ」
「ないでじゃ?」
「さあな? でもまあ……お前のその顔みてたらなんとなく分からァ」
 首を傾げると、彼はやっぱり面白そうに笑うだけだ。
「長曾祢さんの時覚えてるか?」
「おん。蜂須賀が兄役やったにゃあ。しょうまっこと立派じゃった」
「膝丸と髭切、明石の時は?」
「三振り同時は初めてじゃったきね。よう覚えちゅうちゃ。同じ山城伝らあて三日月が兄役じゃったにゃあ」
「貞宗兄弟の時は覚えてるか?」
「ああ……」
 横並びの貞宗兄弟を眺める。
「山姥切ラッシュじゃ」
「はは」
「結局燭台切も譲らんかったき、燭台切と相州伝の日向が勤めたじゃいか。格好は似ちゅうがに、全然口上が違うてたまげたぜよ」
 ひそひそと囁き合っていると、陸奥守の向かいの歌仙が笑う。
「あはは、よく覚えているね」
「そりゃ忘れんろう」
「そういうところだとよ。な、二代目」
「そういうことだね。鏡があるとわかりやすいんだろうけど」
 兼定派のしたり顔に陸奥守は眉を寄せる。彼等があしざまに言っているわけではないのは分かるが、もう少し直裁的に言って欲しい。
「良いことさ。今となっては少し面はゆいけどね」
 歌仙がそう締めくくり、ふっと庭の方を見る。
「そろそろかな」
 そういってふっつりと黙り込む。
 す、と音もなく姿を現した刀剣の横綱に大広間に張り詰めた空気が漂う。
 大包平の先導に従い、続くのはつい先日顕現した福岡一文字一家が長にして越後の軍神が愛刀。上杉三十五腰の一振りである。
 広間の前の縁に跪座し、大広間にうち揃う八十以上の刀の視線を前にして気の一筋も乱れを見せぬ。何百対もの視線をすべて受け止め、見返すようにして彼は大包平に促されて顔を上げる。
 時は年の瀬、澄み渡った雪の夜。凜と冴えきった越後を思わせる寒風を背負い、雪明かりの中かの太刀はやってきた。その近くで、待ちわびた南泉一文字が誇らしげに彼を迎えている。
 彼は大包平の後ろから堂々と主の前へと歩を進め、主の前に跪座する。
 主と山鳥毛の間、盃を手に持って大包平が居並ぶ刀に告げる。
「さて、只今より執り行うは結縁盃の儀に候えば、まずは主従固め、次いで同胞固めの盃を交わす次第に候」
 大包平の良く通る声が、三間を朗々と響かせる。南泉一文字は己が一家の長の兄役は辞退し、古備前の宝刀が兄役を務めることと相成った。大包平は生真面目な表情で媒酌の口上を述べる。
「山鳥毛、前へ」
 促され、山鳥毛が主の前に膝行り寄る。朱塗りの大盃に御神酒を注ぎ、大包平が主の前に捧げる。捧げられた杯を受け取り、主がそれを飲む。その盃を大包平が受け取る。
「見届ける剣槍薙刀の者々よ。此は我等が主より従となる山鳥毛へ渡される盃である。委細よしなにお頼み申す」
 陸奥守に渡された両手に余るほどの盃を微かに呷って隣へ渡す。つぎつぎに回される盃からこの場の全ての刀が酒を呷り、最後に歌仙より大包平に渡される。
「同じ主を頂く以上、我等は家、刀派、時代の別なく同胞であり朋輩である。同じ時代同じ本丸に集いし縁を、この盃を以て固めとする」
 そう締めくくり、大包平が盃を呷る。
 山鳥毛へ向き直った大包平が口を開く。
「心得よ。この盃は我等が主との主従固めの盃であり、我等総勢八七振りとの結縁固めの杯である」
 張り詰めた空気の中、大包平の凜とした口上が響く。
「我が手の盃飲み干したらば、主命に背くこと罷り成らぬ。その身折れるまで勤めを果たせ。己が忠義を示し、身命賭して武威を示せ。備前福島一文字が長にして、上杉三十五腰がひとつ、号して山鳥毛。覚悟を確かに決めたならば、一息に飲み干し幾久しく己の刃に武勇を飾れ」
 大包平に渡された盃を、彼はしっかりとうけとった。大きく頷き、主をまっすぐに見つめる。
「了解した」
 彼は悠然と応え、その盃を一息に飲み干した。大包平が盃を振っても滴は垂れず、見届けた刀太刀は膝を立てる。刀を手に手に、鯉口を切る。
 大包平が視線を寄越す。
「一文字が長山鳥毛と、我等が本丸、そして主の一層の武運長久を願い奉る!」
 陸奥守がいつの間にやら堂に入った口上で彼を言祝ぐ。
「貴殿の刃文に誉れあれ」
「その地金に武勲あれ」
「その号に誇りあれ」
「その青史に忠義あれ」
 激励と誓言の唱和が鯨波となって本丸を揺らした。
 それを一心に受け、山鳥毛は深々と頭を下げる。
「本日よりこの本丸にて力を尽くす所存。備前福島一文字の長にして上杉三十五腰がひとつ、号しまして山鳥毛。名高き名刀名槍に引き比べましても若輩の身。我が一文字の刀たち、そして上杉が軍神の下で共に鎬を削った友に恥じぬ様、お仕えする所存。これより貴殿が我が小鳥あるじ。誠心誠意、我が号、我が刃にかけ、この身折れるまでお仕えいたす」
 主は真摯な彼の視線をまっすぐに受け止める。
「名高き一文字が長にして越後の軍神の愛刀たる貴殿を率いるには、お見かけ通りはなはだ若輩の身。至らぬ点も多々ございます未熟者故、忌憚なくご意見述べられよ。今後とも、なにとぞ我が一振りとして武勲を立てられよ」
 主が満足げに息を吐き、にこりと微笑んだ。
「一同、礼!」
 陸奥守の号令に皆が山鳥毛に深々と頭を下げる。
 これを以て酒礼は幕である。

 

 ゆっくりと頭を上げ、主がパン、と手を叩く。
「以上、無礼講!」
 わっとその号令に場が沸き立つ。
 膨らみきった風船が破裂するような勢いでわいわいと広間が声で満ちる。
「よぉーし、宴だ宴だ!」
 次郎太刀がわくわくと拳を振り上げ、愛染が祭りだ、と喝采した。
「着替えてくる子は早く着替えておいで!」
 主が自分もそそくさと着替えに行きながら声を掛けていく。
「主さんも早く来てね!」
 と、浦島が返事をし、蜂須賀を引っ張る勢いで着替えに走る。その勢いに釣られて幾振りかが自室に駆け戻る。
 目を白黒させている山鳥毛にさっさと防具だけ脱いできた同田貫が声を掛ける。
「新入りも着替えてこいよ。盛装で飯食わねえだろ?」
「あ、ああ」
「だなー」
 通りがかりの御手杵が両手に酒樽を抱えながら同意する。
 刀の波に呑まれ、南泉がなかなか山鳥毛の居る場所までたどり着けていない。お頭あ、と呼ぶ声だけは聞こえていた。
 酒足りる? と蛍丸が聞いている。「石切さん、机を頼むよ!」とにっかり青江が石切丸を手招いている。「はいはい、今行くよ」と防具を片付けた石切丸が駆け寄る。
「ご飯炊けてた?」
「あと三分だそうだ」
 とすれ違いざまに話しているは、燭台切と歌仙である。その両手には山と積まれた料理ののった皿がある。
「ははは、流石の一文字の長も驚いたか」
 ぎょっと山鳥毛が見上げれば、背後から覗き込むように鶴丸国永が悪戯っぽい目をして笑っている。
「あ、ああ。固めの盃の後は無礼講になるとは聞いていたが、これほどとは」
「だよなあ。最近は新入りも年に数振りだから年々豪華になるのさ」
 さあ着替えてこい、ここは任せて。と引きずり出されたさきに、謙信景光が待っている。
「やっとでてこれた! まってたぞ山鳥毛!」
 彼に手を引かれるようにして山鳥毛が退出した。

「あああっ、誰! おせちの残り全部食べたの!」
 堀川の声に、ぎくりと肩をすくませる二振りに、じっとりとした目が向けられる。
「国広ォ、忠広と吉行だぜ」
「あっ、おまん裏切り者!」
「これだから新々刀は!」
「関係ねーっつの!」
「二振りはこれのお代わりなしね!」
「おおの!」
 
「松前漬け、上手く浸かってるかな」
「うん。ばっちり! 美味しくできたよ! おせちで買いすぎた数の子、こんな使い方できたんだねえ。……ちょっと摘まみ食いされてるけど」
「そこで怒られてる初めの刀に聞いてみようか」
「わしじゃないちや!」