ぬばたまの黒髪が戦場で翻るのが視界によぎる。黒髪を高く結い上げたかの刀が、まだ太刀であった頃、この本丸が出来て未だ三日も経たぬ頃から見慣れた光景に眩暈がしそうだ。妙に身体が軽く、動きやすい。ここに来るだろうと思った所に過たず来る太刀筋。ここに行きたいと思った場所は導くように空いている。銃口の先には敵しか居ない。頭で考えた理想の通りに戦場が動く、その心地よさ。一戦終えて刃を鞘に納めた陸奥守は、深いため息を吐いた。
「のうが悪いぜよ」
戦場に声高に嘯く。
「なァんだってェ?」
背中から愉快げな声に咎められて陸奥守はその背を叩いた。
「いってェな、隊長さんよォ」
「ほたえなや」
睨み付ければ、すこし高い位置で澄み切った空と同じ色をした瞳が笑んでいる。
「おっっっそいんじゃ、こんべこのかぁ!」
それに腹が立ってもう一度その背を平手で叩く。
「そりゃ主に言え! 俺にあたんな馬鹿!」
「あだっ! こたかすなや!」
「てめェが先だッ!」
二度目は少々痛かったらしく、和泉守が肩を怒らせ、頭を叩き落とされる。馬鹿だの阿呆だの子どものような言い合いがぽんぽんと口を吐いて出てくる。共に出陣していた新参の山姥切と南泉一文字がぽかんとしているのが視界の端に見えているのに止まらない。初めの刀として、修行を終えた刀として誂えたなけなしの威厳が崩れるのも今は構っていられない。
「おんしの居らん戦場に慣れたとこやったがに、わやじゃ」
ぼそりと低い声で悪態を吐く。
「へえへえ、甘やかした俺が悪ゥござんした」
じっとりとした視線が陸奥守を睥睨する。その癖、陸奥守の動きやすいように戦場を操ったことを否定はしない。口元がにやついている。
「てんご言いなや」
「へェ?」
「なんじゃあそんえらそうな目ェ!」
もう一度文句を言ってやろうと息巻いた陸奥守と、受けて立とうと腕を組んで胸を張った和泉守の間に、同田貫が割り込んでため息を吐く。
「ホラホラ、さっさと次行こうぜ」
「あはは、君たちが仲良くしているのを見ると安心してしまうなあ」
石切丸が戦場とも思えぬのんびりした声で笑う。
「ほじゃの、和泉守になんぞ構いゆう場合じゃないきね」
「言ってくれるぜ。俺がいて嬉しいくせに」
和泉守の軽口を受け流し、陸奥守はさっさと次の戦場への道を行く。何百回と歩んだ阿津賀志山の戦場である。迷う筈もない。
まだ本丸が出来て幾ばくも無い頃、この戦場の踏破に随分苦戦したものだった。今となっては造作も無い敵に追い詰められ、傷つけられながらも戦い続けた。本丸の黎明期の話だ。まだ市中への溯行経路も現れていなかった頃の、未熟な時分の記憶である。まだ遠くない記憶の筈なのに、暫く共に出陣しなかっただけで懐旧の念が陸奥守を苛んだ。
それからの戦場も、腹が立つほど動きやすかった。そのくせ、陸奥守だけで無く石切丸の為に敵を一カ所に誘導する。数度戦場を共にしただけの南泉、山姥切の癖を見抜いて動きやすいように戦場を誘導する。同田貫などは安心しきっていつもより周りを見ずに動いている。どんなに好きに動こうと孤立させず、フォローが入ると分かっているのだ。あの懐かしい戦場の感覚に溺れてしまいそうになる。
悔しい程に、和泉守は陸奥守の副隊長であった。周りを把握し、戦場を見極めて動く。副長気質は堀川国広だけでなく、この刀にも引き継がれていることに間違いは無い。
これだから、この刀と共に戦場に立つのはいやだった。
最後に残った大太刀の脳天を打ち抜いて陸奥守はふ、と息を吐いた。
「終わったぜよ」
「応、どうよ俺との戦場は?」
「言うたちや。のうが悪い」
柳眉を上げて、和泉守は不満げに鼻を鳴らした。
「何が不満なんだよ」
浅黄色の瞳が少し不安げに揺れているのが見えて、陸奥守はため息を吐いた。
「別に不満やないがよ」
自分の不甲斐なさに腹が立っているだけなのだ。結局の所。じゃあ、なんだよ、と言いつのろうとする和泉守をおさえ、同田貫が陸奥守の手の中の帰還装置を勝手に作動させる。じとりとした金眼に陸奥守は肩を竦めた。同田貫は喉の奥で笑いながら帰還装置のボタンを押した。
「極めたくせに変わんねェのなあ、お前等」
山姥切と南泉一文字を先に返し、次いで同田貫と石切丸が帰還する。二振りきりになって初めて、和泉守が口を歪めた。
「なんだよ、陸奥の。のうが悪ィって」
「……わしぁおんしの居らん戦場に慣れたつもりやったがよ」
高く結われた黒髪を引いて、陸奥守はその浅黄色の瞳を覗き込む。
「おまんが居らんでも、みんなを守れるし、勝てるち思っとった。けんどにゃあ」
柳眉が寄せられ、不安げに揺れる彼の眉間の皺を突く。
「おまんが居ると、手足が広がったようじゃ。わしの手の届かん場所におんしがおる。わしの見れん場所はおんしが見ちゅう。ようやっと慣れたとこやったわしの頑張りがわやじゃわや。」
「ははっ、そりゃそうだろうよ、総大将サマ? ……懐かしいな、昔言ったことがあるだろう。陸奥の」
「おん……覚えちゅうよ」
「もう一回言ってやるよ。陸奥守吉行。てめえが前を向き続けられるように、俺がお前の背中を守る。ありがたく思いやがれ、ってな」
「……まっこと帰ってきたがやね、和泉の」
和泉守はにやりと笑って陸奥守の肩を叩いた。
「より強くなって帰ってきたぜ、陸奥の。この本丸の副長様がな!」
副長の帰還 了