聖者の焚刑 ばらのさく街 - 2/3

ばらのあるまち

「ポールんちのテレビで見て行きたくなったんだよな」
「この程度ならお前の庭の方が……」
ルーマニアがトランシルヴァニア地方、カルパチア山脈の谷間、山間の小さな街は愛と薔薇で満ちている。
吸血鬼との共生を謳うだけはあって夜でも街の半分は起きている。吸血鬼にも明るすぎないライティングで照らされているあらゆる薔薇は馥郁たる甘い匂いを漂わせ、街中がむせかえるようだった。
テラスには何組かの吸血鬼のカップルがグラスを傾けており、ロマンチックなムードがある。
「ミラさん連れてきたら喜んでくれるかなぁ」
「デートの下見くらい一人でいけ、馬鹿ウス」
「たまにはいいだろ。それに懐かしくないか?」
ノースディンはやれやれと肩を竦めて、それでも帰る様子はない。そういう面倒見が良く、優しいところが彼の良いところだとドラウスは知っている。
吸血鬼向けのホテルに荷物を置いて、街を歩く。見かけた女性を人も吸血鬼も構わず口説き始めるノースディンを横目に薔薇の道を歩く。ホテルまで持ち帰ろうとし始めたら泣いて止めよう。
古い石畳は、数百年は変わっていないのだろう。滑らかではない歩き心地は懐かしくも不便を感じる。
薔薇の街を名乗るとおり、道の端の花壇には立派な薔薇が開いている。
ドラウスの横を通り抜けた吸血鬼の少年が薔薇の花弁を摘まんで口にしていた。
「うちに無い品種もあるな……。持って帰れるかな、ノース」
「関税に引っかかるだろ。女性ならなんとかしてやるが。ん、教会の裏が一番目玉らしいぞ」
いつの間に調べたのだろう。口説いた女性にでも聞いたのだろうか。
「教会はこっちだな」
ドラウスは道を曲がって家の隙間の細い道を行く。電灯がめっきり少ないところに吸血鬼への配慮が感じられ、それでも人間でも足下が見えるくらいには明るくなっている。
「こっちなのか」
観光地図を片手に見ていたノースディンが首を傾げる。
「近道になってんだ」
ノースディンが一瞬立ち止まる。賢い彼の目が怪訝そうにドラウスを覗き込む。
「……こっちだよ」
笑ってドラウスはノースディンを手招いた。
曲がりくねった小道を通り抜ければ、すぐに街の中心の広場に繋がる。
こじんまりとした教会の前に広がる広場は、吸血鬼や人やダンピールで賑わっていた。
中心なだけはある観光地の賑わいに、ドラウスはきょろきょろと周りを見回した。
「あ、こんな所にもタピオカ屋があるぞ。イシカナのとどっちが美味いだろうな」
「タピオカはもう良い……。ワインとかないか」
「あるだろう。久しぶりにトカイとかどうだ」
「いいな」
せっかく母国へ帰ってきたのだから、懐かしいものを楽しもうと拳をつきあう。
「ノース、良い店を調べてきてくれよ。俺ちょっと……」
「教会に?」
「よく分かったな」
広場に出た時に一番先に見たのがそこだった、とノースが呟く。
「ドラウス。本当はどうして此処にきたんだ?」
「大した用じゃないさ」
ドラウスは肩を竦める。
「私も行く」
「本当に気にしなくていいぞ? 美味い血を出してくれる店とか探してくれよ。そういうのはノースの方が上手いだろ?」
「上手い血を出す店なんて、すぐ見つかる」
こうなってしまうと彼が引かないことをドラウスは彼との長い付き合いの中でよく知っていた。それが彼の心配の現れであることも。
「分かった分かった」
根負けして頷くと、少しばかり安堵した顔をする。ドラウスがこの親友の友情を疑ったことがないのはこういう所だった。
――気を遣わせてしまった。
これでも吸血鬼としても古き血になるドラウスだが、気心の知れた相手にこの手の誤魔化しが効いたためしがない。
街の中心広場に面したレンガ作りの教会は街のコンセプト通りに吸血鬼にもあまねく開かれていた。
小さめの作りだが、厚い壁や堅牢さはトランシルヴァニア地方に散見される要塞教会のものだった。ビエルタンの要塞教会あたりと同系統の建築だ。素朴だが凝らされた後期ゴシック式の聖堂は、古き良きヨーロッパを思い出させるものだった。
ガイドらしい若い吸血鬼が入り口になっている階段の前でにこやかにドラウスとノースディンを迎える。
「ようこそ、焚刑の教会へ」
「名前が物騒だな」
ノースディンが思わず呟く。本当の名前は聖アンドレ云々教会らしいのだが、古くからの伝説で通り名ができているらしい。
ノースディンが首を傾げるので、ガイドの青年がかいつまんで説明する。渡された冊子に目を通して、ふと彼の赤い目が剣呑な色を孕んだように見えた。
「あー、きみ」
説明の合間を縫ってドラウスが咳払いをして話しかける。
「裏手の墓地にあるのかね、リ、磔刑の聖者とやらの墓は」
「ええ。はい……、あ、いやええと……」
青年は頷いたかと思えば、困ったように耳を下げる。
「お二人のような、古き血の同胞には。全く無関係かもしれない些事なんですが」
と、上手な前置きをして若き同胞が苦笑する。
何処かで国で放送していたのを観たのか、それとも何かで知ったのか、最近吸血鬼どうほうが、自分こそがその伝説の吸血鬼だといって遺灰を持ってくることが増えたという。
初めはそれぞれに対応して鑑定等をしていたらしいが、基本的にはただの灰。しかし、時折本物の人の遺灰を持ってくる事件もあったとか。
「吸血鬼伝説のある地域だと結構あるあるらしいんですけどねえ。僕より若い同胞で言ってくるのもいるものだからおかしくって」
「はあ……そんなことが、なあ」
ドラウスが歯切れ悪く相づちを打つ。
青年はそれに気付かずにぺらぺらと話を続ける。ガイドをしているだけあって、話し好きなのだろう。
ある吸血鬼の持ってきた遺灰が行方不明者のものだと判明し、吸血鬼退治人やルーマニアの吸血鬼対策課が総出で捕り物をする羽目になったらしい。それ以来、吸血鬼に墓地を案内するのは控えているそうだ。
「街ぐるみで共生謳ってるので、困りものです。そのあとちょっと同胞の来客減っちゃったし」
「それはそれは。もちろん、懸命なる同胞は私達には教えてくれるだろう?」
ノースディンはにこりと人好きのするように微笑んで若い吸血鬼の頬に触れる。青年は微かに頬を赤らめて頷いた。
「もちろんです!」
「ノース……」
「軽いものさ」
悪びれなく答えたノースディンは飄々と聖堂の横を通り抜ける。
「墓地は西の塔の裏だ」
幾分か楽しげに促されてドラウスは肩を竦める。止める間もなく催眠を掛けられた青年の肩を叩いて解いてやりながら親友の後を追った。

目当ての墓地はすぐに見つかった。一際大きく、綺麗な薔薇が墓地の上に被さるように咲き誇り、白い月光のこもれび````を作っている。
墓というよりは慰霊碑といった様子だった。
「で? お前は誰の灰を撒くんだ?」
興味もないだろうに生真面目に文字を確認した
「エーン違うんだノースディン! ぜんぜんまったく畏怖欲とかじゃなくてえ!」
「分かってる。だから、誰のだって言ってるだろうが!」
「し、信じてくれるのか」
信じるも何も、とノースディンは呆れた顔を隠そうともせずにドラウスに問う。
「そのためにこの町に来たんだろう?」
「流石はノースディンだ」
零れ出た賞賛に、ノースディンは鼻を鳴らす。
ドラウスは時折、この友人が自分よりも自分に詳しいような不思議な気持ちになることがある。それに甘えてしまうことも多いが、今日はとみにそれを有り難く思った。
案内するのを控えていると言っていたとおり、墓の近くに吸血鬼の姿はない。もちろん、人間もだ。
「ノース、周りに誰も来ないかみててくれ」
「はいはい」
ついでに可愛い使い魔たちに見張りを頼む。
一呼吸置いてドラウスが懐から取り出したのは、小さないくつかの薬瓶だった。手の平に収まる大きさの瓶の中には灰色の砂が詰まっている。
しゃがみこんで、小瓶をそっと墓の前に供える。名前も伝わっていない、物語の中の幻のような聖者が今こうして一つの街を変えた。
「全部持って行って悪かった。文句はジジイに頼む。すまん。骨は何処かのカタコンベに納めちまった」
愛しい妻ならば墓前に手を合わせるだろう。しかし、ドラウスはしばらく物言わぬ墓を見下ろして赤い目を伏せた。
――舌の裏に垂らす毒薬のように苦い若さの過ち。それを少しばかり思い出す。遠い記憶の中から引っ張り出した名も無き聖者の名前を呟く。覚えていたことに自分でも驚く。
「ドラウス、そろそろ人が来そうだが……」
ノースディンが振り返り、珍しく驚きを露わにする。
「ノース?」
「いや、お前今、姿と目が……」
「え、変身してる?」
手鏡を取り出して尻に力を入れてみるがいつもの自分が鏡の向こうで慌てていただけだった。鏡の向こうでノースディンが、狐につままれたような顔でドラウスを見つめている。ドラウスが困惑していると、ノースディンはふ、と口元を緩めて笑った。
「……いや。そういえば店の予約は済んだぞ」
「えっ、電話でか? いつのまに」
「馬鹿ウス。トリップアドバイヌーだ」
「なにそれインターネットの仲間?」
その夜はノースディンもドラウスも、薔薇の見える街で大いにふるさとの血と酒と美食を楽しんだ。
しらんできた東の空。朝露に濡れる薔薇の花びらに目を細めて、ドラウスは酒精で頬を赤らめながら像を指さす。
「ノース、この広場で五百年前に友達が死んだんだ。血族に迎えいれそこなった俺を一度も責めなかったし、異端審問官に俺を売らなかった」
「……そうなのか」
ワインと血が彼の口を滑らかにしたらしい。まさか話すとは思っていなかったらしいノースディンが少し意外そうな顔をしていた。
「ポールはちょっとあいつらににてたな」
あの善良なる吸血鬼退治人が居なければ、自分はこの街に舞い戻ることは無かっただろう。ひいてはドラルクが新横浜に居なければ、こうして晴れ晴れとした月夜気分で親友とグラスを買わすことはなかっただろう。
つまりは、息子が偉大だということだ。
「我が愛しきドラルクに乾杯!」
きょとんとしたノースディンが、それでもグラスを合わせる。彼が世紀をまたいで、こうして彼は自分と友誼を結んでくれる それがどれだけかけがえないものか、ドラウスは知っていた。
友と呼べること、それ自体が代えがたいのだと、この街でドラウスは知った。
「……乾杯?」
赤いグラスが軽やかに音を立てて、楽しげに赤い水面を揺らしていた。

その数日後に、墓に置かれた五百年前の”人間の灰”がまた新たな伝説として紡がれることになるなど、ドラウスは知りようもない。
ノースディンは日本に帰ってから何かを察したドラルクの鬼電に少しばかり気まずい思いをした。