現代史資料集B - 3/3

【過激派歴史修正主義勢力による主だったテロ事件】

備前国第一次大規模襲撃事件(俗称/第一次霜月事件)
2208年11月3日
備前国初の大規模襲撃事件。
備前国支部の複数の本丸に対しての同時多発襲撃事件。
実行組織:『歴史解放軍』(『真・守護会』)
備前国支部の56の本丸に対しての襲撃。本丸に在する刀剣男士に対して、精製度の低い溯行軍による襲撃を同時多発的に行った事件。被害は本丸の損傷・審神者及び刀剣男士の負傷、数個の本丸での刀剣破壊数振りにとどまった。
実行組織は声明の会った過激派歴史修正主義者組織『歴史解放軍』によるものと考えられていたが、1年後の備前国第二次大規模襲撃事件時の声明により『真・守護会』の関与も認められた。

備前国第二次大規模襲撃事件(俗称/第二次霜月事件)
2209年11月7日
備前国二度目の大規模襲撃事件。対策本部開設より最悪の被害となった本丸に対する襲撃事件。
実行組織:『真・守護会』
備前国支部の当時のほぼ四割に当たる本丸に対しての同時多発的襲撃事件。
第一次は実験的な襲撃で有り、本隊での襲撃がこれにあたるとされる。
襲撃を受けた本丸のほぼ半数が壊滅状態に陥り、100人近い審神者が死亡となり、数十人が未だに行方不明である。
事件の余波:第一回の合同葬儀が行われたが、その際に審神者の喪主を務める刀剣男士がメディアに激写され、話題を呼んだ。”喪主の燭台切光忠”。
また、当時審神者同士での結婚ブームが起こっており、第一次ベビーラッシュの時期でもあった為、戦災孤児が多数生まれた。その中で審神者能力を有するとされた子どもたちは他の本丸預かりとなったため、人権団体より抗議が相次いだ。

相模国審神者及び本丸同時多発襲撃事件(俗称/”神隠し”事件)
2205年12月3日
対策本部発足初の襲撃事件。相模国支部所属の審神者の国民管理番号ナショナルナンバーが流出し、位置情報が把握され、過激派歴史修正主義団体による審神者拉致・殺害事件が相次いだ。
また、本丸から外出していた審神者のほぼ全員に襲撃がおこなわれ、36人の審神者が行方不明となった。
事件の余波:審神者の氏名から国民管理番号が流出したため、本丸に通称号コードを設定し、国民管理番号との紐付けを解除した。以後の就任者は通称符制度となる。

石見国支部本丸座標コード外部流出事件(俗称/カモミール騒動)
2224年4月18日
実行組織:『LOS教会』
反歴史保守派を掲げる教団による石見支部へのクラッキング事件。本丸座標が流出し本丸への直接襲撃が計画されていたが、石見イー0487号”加密列”本丸の審神者及び刀剣男士により未然に防がれ、実行組織は正式に反社会的団体として登録された。
しかし、本丸座標流出を重く見た本部は大規模な支部間異動を発令。対策本部開設より初めての大規模支部間転属が行われた。

加賀国支部第4研究所刀剣男士虐遇事件(俗称/カレンデュラ事件)
2215年5月15日
加賀国支部第四研究所の所長及び研究職員の一部、及び加賀国支部職員が過激派歴史修正主義へ転向し、加賀国支部の本丸より刀剣を略取、強化実験と称して非人道的な行為を数週間にわたって行った事件。
実行組織:『マトリカリアの子供たち』の関与を目されている
加賀国支部の成績上位本丸より、本部命令として刀を略取し、実験として非人道的な行為を数週間にわたって行った。刀剣男士によっては最長20日に渡る拷問を受けた。集められたのは刀種問わず49口。生き残ったのは19口で、5振りは救助後に自壊した。
事件の余波:捕縛された政府職員、研究所職員のうち幾人かが「悪魔からの解放」を口にしたことから、反刀剣男士団体の関与が目されている。生き残った14振りには深刻なPTSDが診断され、今なおカウンセリングが続けられている。

 

 

後略