ひとふり虎徹 後編 - 2/2

「は……?」
 あっけに取られた長曽祢の間合いに入る直前に、その打刀が脳天気な声を上げた。
「どうじゃ! 借りは返したで!」
──狸八化けというのは、まさしくその通りだった。
「な……! 金長どの!?」
 刀箱を抱えた遡行軍の尻から、狸の尾が飛び出した。ユーモラスな顔で遡行軍の打刀が笑う。
 その顔を知っている。
 長曽祢は言葉を失った。
 打刀と思っていた一振りは、狸であった。
 遡行軍に化けた狸が彼の本身の入った刀箱を奪い取っていた。
 遡行軍の打刀に化けた金長狸は刀箱を抱えて長曽祢のいるほうへ駆けてくる。
 我に返った時間遡行軍が、狸の化けた時間遡行軍に斬りかかる。咄嗟に敵の刃を鎬で受けて弾くも、横から時間遡行軍の太刀が金長を蹴り飛ばす。
「金長どの!」
 ぽん、と彼の姿が狸に戻る。彼が悲痛な声を上げた。キャン、と鳴き声がして、刀箱が転がる。小さな体が勢いよく吹き飛ぶ。
「なんて無茶を!」
 慌てて本性に戻った狸を抱えて護り、その太刀を切り伏せて刀箱に手を伸ばす。
 その刀箱が転がった先にいたのは、眼鏡をせわしなく直す、くだんの刀剣研究家の男だった。

**

「──返せ」
「こ、これは私のものだ」
 蜂須賀虎徹の入った刀箱を抱える眼鏡の男がどもりながらも、じっとりとしたほの暗い目をして長曽祢を睨め上げた。
 黙って刀を構えた長曽祢を見る目はぎらぎらと異様な熱を帯びている。正気ではないのかもしれなかった。
 一歩一歩距離を詰める長曽祢に男は熱弁する。
「わ、わたしの栄光の第一歩だ……」
 男は熱に浮かされたように蜂須賀虎徹の刀箱を抱き寄せた。
「ほ、本当は正恒や一文字が欲しかったが、まあ虎徹でも名前は十分だ……」
「その刀は真作だ」
 声を抑えて問いかければ、男は引きつったような笑みを浮かべた。
「め、銘入りの虎徹のほぼ全ては偽物ぎぶつだ。誰も疑わん。阿波藩主の家柄でさえ見破れなかった真贋を鑑した慧眼だと……」
「後の世にその刀が残らずともか。贋作と断じられた刀の末路をお前は知らんだろう」
 近藤勇の使った贋作の虎徹じぶんは既に歴史の川の中に沈んで消えた。海に棄てられたか、鉄くずになったか、蔵で眠っているのか、刀剣男士である自分は何も覚えていない。自分はただ人に紡がれた物語にその名を残すだけの存在だ。押し形さえも残っていない曖昧模糊の刀だ。
 だが、この刀は違う。昭和名物として、蜂須賀家に伝来した真作の虎徹──蜂須賀虎徹として名物となり、確かに刀剣史に刻まれる刀となるのだ。押し型もなかごの銘も確かに残っている。
 そして、いつの日か蜂須賀虎徹は刀剣男士として長曽祢虎徹と相見えるのだ。
 優しい刀──人を愛し、仲間を慮る、自分が弟とも思う真作の虎徹。
 握る手が痛みを覚えるほどに強く柄を握る。
「その刀の物語をゆがめることはこのおれが許さん」
「お、お前は何だ……」
「その刀は、貴様などが好きにして良い刀ではない。今すぐその刀を正しく鑑定できるものに、蜂須賀のお家に返せ。さもなくば切る」
 己の鋒を男に向ける。
「ひ、ひひ……っ」
 男は薄気味悪い笑い顔で切っ先から顔を背けると、縺れる足で駆け出した。
 追いかけようとすると時間遡行軍の一部隊が足止めに掛かる。
 その部隊を切り捨てたときには、もうすでに男の姿も、彼の姿もなかった。

 

「和泉守、場所は分かるか」
 和泉守の声が懐から聞こえてきた。
『おう。山腹の神社だ。でかい楠がある』
「分かった。そちらは大丈夫か」
『大丈夫! 本丸総出で対応中だから』
 割り込んだ声は大和守だった。
──本丸総出の事態にはなっているらしい。
 しかし、運が良かったのは対大侵寇防人作戦で本丸の連絡系統あたりの見直しが済んでいたことだろう。
『その札のせいだね。こっちの蜂須賀にちょっと影響がでちゃったみたい。でもその狸のおかげでマシになったよ!』
『……アンタの弟、二振りとも怒るとめちゃくちゃ怖いよな。心配すンな。こっちは大丈夫だから、アンタはそっちに集中してくれ。勝栗もってたろ!』
「ああ」
 先行調査員として配布された勝栗を食めば損傷が回復する。これは放棄された世界と同じシステムが流用されているらしい。
『あ、あと宗近さんから伝言だよ』
 ごほん、と大和守が三日月の声を真似る。
──言いたいことはちゃんと言うのだぞ。
 意味は分かりかねたが、心にとめておく。
「金長どの……」
 彼は目を回しているだけで怪我はない。それにほっとしながら彼をそっと塀の影の藪に横たえる。
「助かった。さすがは阿波の金長狸だ」
 長曽祢は心から礼を告げると、刀を差し直して神社へと向かった。

**

 境内に足を踏み入れると、バチ、と妙な音がした。神社を汚す気配に長曽祢は眉を顰めた。先ほどまで聞こえていた通信機からの音がぱたりと消える。
──残っていたか。
 男が懐からやはり札のようなものを取り出して握りしめていた。一枚は残っていたらしい札を彼の金襴の鞘に無粋に貼り付けている。
 じわりと墨をまき散らすように彼が顕現する。乱れた髪のままうつむき、だらりと下げられた手に札の貼られた鞘を下げている。
「わ、私を守るんだろう!」
 隊長らしい大太刀が下卑た顔で長曽祢を睥睨していた。
 先ほどわずかに残っていた彼の自我ももう見えない。
 見る影もない姿となった彼に突き刺されるような痛みを覚える。
「……蜂須賀、虎徹……ッ」
 彼を呼ぶ声に苦渋が滲んだ。
 色を失った髪の間から、澱んだ光無い目がうつろに自分を見上げた。
「い、行けバケモノども!」
 男は引きつった声で命じる。
 大太刀が顎をしゃくり、それに応じて糸で操られた人形のように彼が斬りかかってくる。
 彼の刀を振り払えば、あっさりと彼は吹き飛んだ。
 それに、長曽祢はぎくりとした。
 否、それは当たり前だ。
 その刀は、平和な時代の大名道具の刀。長曽祢と違って一度たりとも生きた人間を切ったことのない。戦に出たことのないうぶの刀だ。
 名もなく、物語もなく、歪んだあり方のまま口寄せられ、どうして修行を終えた刀剣男士に打ち勝てようか。
 自分たちを囲む時間遡行軍は赤くよどんだ目で睥睨していた。彼を助けようという気などなく、このまま折れてもあちらからすれば構わぬのだろう。
 男一人が、異形の遡行軍に怯えながらもおろおろとしている。
 蜂須賀虎徹となるべき刀は、よろよろと鞘に縋って立ち上がり、再度打ちかかってくる。その剣筋は、顕現したての刀剣男士にも劣る。
 その瞬間、長曽祢の心に吹き出したのは、我が身さえ燃やすほどの烈しい憤りだった。

──ふざけるな。

 自分のどこから出てきたのかも分からぬほどの怒りが己の臓腑全てに満ちた。
 否、そうではない。見ない振りをしていただけで、自分の腹の内にはこの怒りが渦巻いていた。三日月はこれを知っていたのだろうか。腹の底に燻ったこの真っ黒い憎悪にさえ似た自分勝手な怒りを。
「ふざけるなァ!」
 猛り狂う虎の咆哮に男一人が腰を抜かした。気が触れたように頭を抱えて震え出す。頭の片隅だけでそれを理解した。
 だが、そんなことはどうでもよい。
 己の怒りは時間遡行軍だけに向いているのではない。無様に地面に転がり自分を見上げる、弱々しい刀にも牙を向いていた。
近藤勇あのひとが求めた虎徹はこんなものではない! 蜂須賀虎徹おれの弟は、虎徹の真作は、こんなものではない! 愚弄するな!」
 よろよろと起き上がって打ちかかる彼の刃を払って叫んだ。自分でもどうしようもない怒りに突き動かされて彼に鋒を突きつける。
「おれの知る虎徹はもっともっと強かった! おれの知る虎徹はもっと気高い!」
 地面に転がり、振り乱れた灰色の髪の奥で、能面のようだった彼の顔が初めて屈辱に歪んだ。
「あの人が求めた刀が、こんなに弱いわけがあるか! 素人に偽物ぎぶつと呼ばれるわけがあるか!」
 己の怒号に、彼の肩が揺れる。地を這うようなしゃがれた声が彼からこぼれ落ちる。
「……お前に、何が分かる……」
 足取りもおぼつかぬまま、よろめきながら立ち上がり、繰り返しうちかかってくる彼の刀を、怒りのままにはじき飛ばす。
 彼自身をさえ突き飛ばして、再び地面に転がった彼に吐き捨てる。
「知らん! おれはお前のことなど何も知らん!」
「ならば知らぬものが口を出すな!」
 彼の荒々しい怒声が響く。
 長曽祢の居た場所が鋭く横薙ぎに打たれる。わずかに足を動かして避け、その背を柄頭つかがしらで殴りつける。彼は咳き込みながらも地面を転がって振り返った。
 うつろだった目に怒りが点っている。
「知らぬから──知りたかったんだ! 言うべきだった!」
 贋作と疎みながら、身を挺して己を庇った彼のことも、その目に自分を映すことなく、本当は──俺は……と続けた彼の今際の際の言葉も、こうして自分に刀を向けるあまりに弱い刀のことも、長曽祢は知らない。
 知らぬまま、あの日の精算も出来ぬままここに居る。腹を殴られるような衝動に突き動かされて、長曽祢が吠える。
「お前はその程度じゃない!」
 己の心臓を狙うこじりを棟で払う。金襴の拵えから火花が散って、彼の目に黄金に反射した。
「勝手を言うな贋作が!」
 怒鳴りつけた彼の目が真っ直ぐに己を射貫く。はじき飛ばした彼の刀が、孤を描いてすくい上げるように長曽祢の首の骨を狙う。
 そのまま切り結ぶうちに、邪魔な長物をいくふりか切り捨てたような気がした。
 鋒を彼に突きつける。
「そうだ、俺は贋作の虎徹だ!」
 彼に名乗る己の声は、怒りのあまりに震えていた。
 その名乗りに、彼はぎらぎらとした目で自分を見据えながら立ち上がった。
 腰を落とし、彼の震える手が鞘を握る。鯉口が切られ、手が柄に掛かる。
「──ならば、本物の切れ味を見るがいい」
 彼の刀が抜かれる。
 彼の澱んだ気配が、刃に切り裂かれていくように澄み渡った。
金襴の鞘より、彼の白々と冴えた刀身が現れていく。二尺二寸八分の刀身はついに全ての姿を現し、彼はそれを頭上に掲げた。反りの少ない刀身に中鋒の見事な姿。
 濡れたように良くつんだ小板目肌の地金は冴え冴えと月光に輝いていた。
「たとえ──贋作と言われようとも……!」
 その刀を握る姿は、抜き去られた瞬間にかぶせられていた呪いを脱ぎ去って変化する。
「俺は虎徹だ!」
 刀を高々と掲げ、彼は──真作の長曽祢虎徹は凜と張り詰めた声で名乗りを上げる。
 その姿は、まさしく蜂須賀家に伝わる真作の虎徹。その正真の姿であった。
「俺は最上大業物と謳われた江府三作が一角、長曽祢乕轍の打ちし一振り。その真作だ! 贋作と一緒にするな!」
 振り下ろされた鋭い袈裟懸けが己の首を狙う。それを半歩身を引いて避け、無防備な腕に刀を振り下ろす。鮮やかに身を引かれ、返す刀が肉薄する。切れ味で知られる彼の刃はわずかに触れるだけで衣を切り、肌を裂いた。
 彼の滑るような剣筋を紙一重で避け、突き、薙ぎ、払い、研ぎ澄まされた剣技が絡まり合って一つの動きになる。互いに切り結ぶ刃は凄まじい勢いで打ち出されているというのに、時間がゆっくりと流れていくような奇妙な感覚。
 一振りの刀剣男士である己と、刀の付喪神つきものそのものである彼との剣戟はまるで神楽のように競い合うなかで混ざり合っていく。己の方が彼に剣術指南を受けているような気分でさえあった。
 今、この世には彼我の境すらもなく。切り結ぶ二筋の白銀の刃ばかりがただ世に残りうる全てであった。
 我を忘れるほどに燃えあがっていた怒りが徐々に静かに凪いでいく。
 そうしてようやく、長曽祢は理解した。

 

──おれは、お前が分からなくなったようで恐ろしかったのだ。
 彼が身を投げだして自分を庇ったことが許せなかった。庇わせた自分が情けなかった。どうして庇ったのかも分からなかった。
 自分が実戦刀で彼が飾られた刀だから──昨夜そういった彼に苛立ったのも、その理由に納得がいかなかったからだ。
 彼がそんなことで身を捨てることがあってなるものか。
 もしそうならば、どうして恨み言を言ってくれなかったのだ。恨み言の一つでも言ってくれれば、自分は腹を切ってでも彼にわびることができたのに。
 否、蜂須賀虎徹がそんなことを言うわけがないのを知っているからこそ、たまらないのだ。
──彼は最後に、自分を許した。だから、この怒りの行き場はどこにも無くなった。
 真作の虎徹と切り結ぶ中で、長曽祢は呟く。
「……お前に、謝りたかった。お前に礼を言わなきゃいけなかった。だが、どうしておれに言えよう。おれのせいで、あいつは苦しみ続けていたのか……?」
 己の刃に映る真作の虎徹の瞳は、穏やかに長曽祢を見つめて笑ったようだった。
「苦しむことは悪いことかい?」
 踊るように切り結ぶ中で、長曽祢は漸く思い出す。

 

 静かになった心の中で、彼の言葉が蘇る。
 目をそらし続けて、忘れたふりをしていた、彼の本当の言葉を漸く思い出す。
 彼は、あまりに穏やかな声で呟いていた。
──贋作とか、真作とか、どうでも良かったんだ……、本当は、俺は……。
 今際の際にしか告げられぬ彼の思い。あまりに高い虎徹の誇りと矜持。
 あの戦場で感じたのは、贋作の自分が彼を苦しめ続けていたことを突きつけられた恐怖。
 長曽祢の腕の中で、吐息のように彼は微笑んだ。砕け散る前の彼の笑顔が苦しかった。
 自分の弱い心が、彼がはき出した本当の心を知るのが耐えられなかった。
 自分の存在が彼をこうまで縛り付けたかと思えば、彼に合わせる顔などどこにあるだろう。自分贋作が居るが故に、彼はここまで苦しんだ。
──それを言ってしまったが故に、彼の歴史は攻撃を受けた。
「そうか……、だからおれがここに来なければならなかったのか」
 穏やかな彼が怒るのは、自分がその名を汚すことだ。
 贋作とか、真作とかどうでも良い──ただ、その名を背負うならば。
 この怒りは、彼の思いと同じだ。きっと、それは同じなのだ。
──そういうと、あいつはきっと嫌がるだろうが。
 自分たちはよく似ている。
 共に、ひとふりの虎徹ほんものを目指してひたすらに追いかけているのだ。

 

 

 一合切り結ぶ度に、彼の姿が色づいていく。
 色褪せた髪は鮮やかな紫雲に。
 襤褸の装束は金襴の戦装束に。
 うつろな目は、冴え冴えと阿波の海を写した碧色に。真っ直ぐに自分を射貫いてる。
 刀剣男士たる蜂須賀虎徹とはわずかに異なり、後光が差すほどに神々しいのは、刀に憑く付喪神つきものとしての正真の姿だからだろう。
 ようやく取り戻した彼の姿に、自分の頬に冷たいものが伝い落ちて、動きの中で空に散っていくのが分かった。
──これぞ虎徹だ。
 あの、美しく高潔な蜂須賀虎徹本物の虎徹の姿が目の前に戻り、自分はこれほどに喜んでいる。
──おれは、ただ、虎徹でありたかった。これからも主の虎徹で在り続ける。あの人の求めた虎徹が、あまりに眩しかったから。
 紫雲を翻して己の平薙ぎを避けた彼が、ふっと口元を緩めて笑った。自分も笑っているような気がした。
 ひときわ大きな鋼の噛み合う音が鳴る。それは余韻となって境内に響き渡った。
 一瞬の硬直のあと、長曽祢は細く長く息を吐きながら刃を離して納刀する。
 彼も正真の付喪神の姿を取り戻し、地に足を付けぬまま刀を鞘に納める。
 顕現して以来初めての感覚に、足下がおぼつかない。彼我の境目が熔け果てて、時がなくなってしまったかのような不思議な高揚感がゆっくりと落ち着いていく。
 そんな奇妙な心地にふわふわとしていると、背後から唐突に声が聞こえた。
 すっかり忘れていたが、遡行軍はどこにもおらず、男が一人残っていた。
「美しい……」
 男が、地面にへたりこんだままぼんやりと彼を見上げていた。恋する乙女よりも熱っぽい瞳が真作の虎徹の持つ彼自身に吸い寄せられている。
「この世にこれほどにうつくしいものがあったのか……」
 赤子のように膝行いざり寄る男に、彼は慈しみ深くほほえみかけた。
 手を伸ばそうとして、畏れのあまり幾度かたじろぐ指に、彼は自らを差し出す。
「おい」
 思わず咎めると、彼は鷹揚に笑った。
「構わないよ。彼の目はようやく開かれたようだから。さあ、よく俺を見るといい。真作の虎徹の姿を」
 蜂須賀が諭せば、うやうやしく刀を受け取った男が赤べこのように頷く。
「──これが虎徹……」
 男の吐息混じりの呟きがこぼれおちた。
 長曽祢もその視線の熱っぽさに納得する。
 まこと刀を愛する人の目をしていた。
 先ほどまで「虎徹」というブランドだけをみていた目とは全く異なっていた。真摯な色で刀身を見つめる目は、名高い刀剣研究家にも劣らぬほどだった。審神者が自分たちを見ているときや、前の主の視線とどこか似ている、くすぐったいような心地良いまなざしだった。
 真作の虎徹の刀箱を抱えたまま、ふらふらと立ち上がった男はどこかへ向かう。
 その先はもう分かっていた。

**

 彼が神社をでるや否やで、鳥居を潜ってきたのは目を回していた金長狸だった。
「金長!」
「虎徹、えっとぶりじゃ!」
 真作の虎徹が駈け寄って抱き上げると、ぴんぴんしている狸は満足そうに胸を張る。
「どうじぇ。さすがは阿波の金長じゃろう」
「ほなけんど、あんな無茶したらあかんじょ……」
 本当に気の置けない仲なのだろう。一振ひとりと一匹の聞き慣れないお国言葉のやりとりにくすぐったい気分になる。
 会話が途切れたほどで、狸に話しかける。
「助かった。それに無事で良かった、金長どの」
 自慢げにヒゲを立てる狸は、構わないかんまん構わないかんまんと笑う。
 二振ふたりと一匹で話していると、ふと懐が震えた。
『──ちゃん、兄ちゃん!』
 切羽詰まったような浦島の声が聞こえて、長曽祢は慌てて懐中時計型の通信機を取り出した。
 完全に付喪神つきものの姿になり、地に足の着いていない真作の虎徹がきょとんとした。
「弟の声だ」
「しってるのか」
 それはもちろん、知っているのだろうが、彼の口から浦島虎徹他兄弟のことが出たのはこれが初めてだった。
「同じ虎徹の兄弟だ。わすれないよ。え、どうして弟の声があなたからするんだ?」
『長曽祢兄ちゃん! 蜂須賀兄ちゃんが元に戻ったあ!』
 懐中時計を開けば、べそべそと泣きながら報告する浦島が写る。
「わっ、なんだい、それ!」
 真作の虎徹と金長がそれに身をのけぞらせて驚く。長曽祢の肩から画面をのぞき込んでいるが、浦島は泣きすぎて殆ど画面が見えていないので気付いていないようだった。それともモニター越しだと付喪神の姿は見えていないのだろうか。
 モニターをよくのぞき込むと、彼の具足はぼろぼろで、真剣必殺を発動していたようだった。
「だ、大丈夫か。手入れは?」
『あとでいく! 先に報告! 兄ちゃん達も大丈夫だよね?』
「俺は平気だ。そちらも?」
『通信が途切れたって聞いたときはどうしようかとおもったけど、兄ちゃんが元に戻ったから長曽祢兄ちゃんがやってくれたんだって思って……』
「ああ、もう大丈夫だ」
 浦島は泣き笑いでようやく鼻をかむ。
『良かった……。帰ったら俺も兄ちゃんたちもたっくさん報告書作成だよ……。頑張ろうね!』
 どうやら、長曽祢がこちらで奮戦している間に、本丸でもいろいろとあったようだった。呆然としていると浦島が声を上げる。
『転送装置を起動させるよぉ』
 見覚えのある転送装置に手をかけようとする浦島を慌てて止める。
「ま、待てまだ時間遡行軍の残党が……」
『ははは、おぬしが全員切っておったぞ? そちらにおわす方々も良いものをみたからと手助けしてくださったようだが』
 顔を覗かせた三日月が笑う。彼もまた真剣必殺をしていたようで装束が破れている。それよりもその報告に面食らった。
 一体いつだろうか。
 彼を見上げれば彼も分かっていないようで首を傾げていた。金長狸が口を挟む。
「さっき二振りで全部切りょおったんじぇ。残ったんは神さんが追い払っとぉたで」
「それは気付かなかったな……」
 思い返せば邪魔なものを切り捨てたような気がしたが、集る蠅を無意識に払ったような感覚だった。それで倒せたのなら、なるほどこの神社の神様の計らいもあったのかもしれぬ。
『ついさっき、この時代のこの場所の時間遡行軍の反応は破壊消失を確認。先行調査の成功と認定。ただちに帰城せよって、本部から』
「今か!?」
『今! 先行調査完遂! 帰城プログラム起動します! 急がないと検非違使きちゃう!』
 浦島が歌うように告げてボタンを押す。
 あっという間に足下にグリーンの光が差す。それを物珍しそうに見ながら彼が長曽祢に向き直った。
「お別れかな?」
 頷く。
 この神社への礼は請け負うと金長が約す。
「そうか……、もう会えないんだろうな」
 修正される歴史の中で、この邂逅の記憶は残らないだろう。
 初めて見るような寂しい顔をされて、長曽祢は落ち着かない気持ちで彼を呼んだ。そういう顔をされてしまうとなんとかしてやりたくなるのは兄の性だった。
「おれは……、この出陣で気付いたんだが……」
 上手く言葉を紡ごうとして、喉が詰まったように何も言葉が出ない。
 本丸で再会出来るのはあと三百年ほどは後の話であるし、そのときには互いにこの記憶はない。
 彼には言えぬことを、彼に伝えることができるかもしれない。
 真も偽も越え、ひとふりの虎徹たるべくして長曽祢は顕現したのだから。
 咳払いを一つする。
「おれは、あんたの背を追っているばかりだ。……今までも、これからも」
「待って」
 なんとか絞り出した言葉に、虎徹の真作が待ったをかける。
「これは俺からの忠告だ。聞きたいことは本刃ほんにんに聞いた方が良い。俺の答えが正しいとは限らない」
 まるで頑是無い子を相手にしているように諭されて、すこし羞じらう。
「……そうしよう」
「良い子だ」
──あ、蜂須賀虎徹あいつが笑ったときの顔だ。
「ほんじゃあな!」
 狸が短い前足を振る。
 一振りと一匹の笑顔が、その任務の最後の光景だった。 

 

結へ続く