#10
──ああ、またみんなでトウソウジャー観たかったなあ。夏の映画も、みんなでさあ、映画館、借り切ってさァ。
腕の中で、息も絶え絶えに主は笑う。笑みの口の端から、命の欠片がだらだらと垂れて零れてゆく。
それを止めることは出来ない。
「司令官……」
三日月もまた、満身創痍の中、もはや立っていられぬ主をかき抱いて微笑んだ。
「ああ……あちらでみんなで共に観よう」
青い顔で、主はにやりと笑う。表情に死相がありありと浮かびながらも彼はいつものように能天気に笑っていた。もう、彼が長くは持たないことをお互いに知っていた。
──ただの、意地だ。今この男が必死に息をつないでいるのは。
三日月のもっていたお守りは、とうに二三個砕けている。数十個あったはずのお守りはもう一つも残っていない。
奮戦の跡の残るリノリウムの床に植うる幾振りもの剣たち。月明かりではなく明滅する蛍光灯の無機質な明りが彼らに寄り添うだけ。
荒い息を吐きながら、片腕に微かに息を残すばかりの主を抱き、もう片腕で刀に縋って前を向く。
禍々い赤い目が何対も、屍肉を喰らう禿鷹の如く、じわじわと三日月を狙っていた。彼らが牙を剥く時が、三日月と主の最期の戦である。
ふと、主が目を細めるだけで笑う。ふわりと橘の香りが匂い立つ。パキン、と主の胸元で小さな鏡が砕ける音がする。
──ああ、やってくれた。
吐息のようなそれを最期に、主はそのまま目を閉じて、二度と開きはしなかった。
「────ッ!」
弾かれるように刎ね起きて、三日月は夢の名残に己が刀を求めた。手の中にあるはずのものをかき抱こうとして、そこには布団しかない事に心臓が恐怖に震える。
──ああ、守れなかった。
「三日月宗近」
落ち着いた聞き慣れた声に、三日月ははっと声の方を向く。怪我一つ無い、寝間着姿の鶯丸が三日月を怪訝そうに見つめていた。文机に向かっていた大包平が此方を振り返っている。
二振りとも傷はない。腕も、足も付いている。血の臭いもどこにもない。ただきよらなる月の加護の厚い本丸の中だ。
「────鶯丸、大包平」
「ああ、起きたな」
急速に冷えていく心臓と頭が現状を伝えてくる。主の命に逆らうのは、刀剣男士にとって禁忌に等しい凶行だ。言霊の強制力に逆らうのは、さしもの三日月にとっても骨が折れることだった。
「ひどく魘されていたから起こしたぞ」
鶯丸が起き上がった三日月の肩を押して布団に戻そうとする。そのうぐいす色の瞳が、優しげに三日月を案じていて、三日月は胸を突かれるような苦しさを感じた。鶯丸の腕をやんわりと避けて座り直す。
「……聞いておったのだな」
「まあ、あんなところで口論していてはな。うちはそう大きな本丸じゃあない」
「すまぬ。……すまぬ」
言葉はそれしか出てこなかった。
「俺がどうこう言うことではないさ。三日月、お前は主や、この本丸を害そうとはしていないんだろう?」
「ああ。信じ切れぬかもしれぬが、どうか、それは本当だ」
「ならいいさ。なあ大包平」
大包平は眉間に皺を寄せながらも、それでも頷く。
「万が一お前が主に害を為すというならば、差し違えてもお前を殺す。そうでないならいい」
「うむ」
鶯丸が茶を淹れた湯飲みを三日月に手渡す。ふわりと立ち上る茶の香りに、三日月はようやく息を吐く。
「さて、“青山”についてなんだが……」
三日月は茶に噎せそうになるのを必死にに堪えて、平然を装う。
「そこまで聞こえておったか」
主にだけ聞こえるように伝えるつもりの暗号府が鶯丸の口から当然のように出てきたことに思わず動揺するが、どうにかそれを表情にだすことは止められたようだった。
「石見の英雄というのは、誇張でもなんでもなかったのだな」
大包平が文机で見ていたのは戦闘詳報アーカイブだったらしい。
「石見合同庁舎同時襲撃事件、第七号館の英雄か……。凄まじいものだ。千近い遡行軍相手に、生き残ったのは三日月宗近が一振り」
三日月は頬を掻く。
「俺たちも必死だったのさ」
大包平の冷静な鋼色の瞳が三日月の腹の底を見透かそうとじっと見据えている。
「お前の前の主は、第四群術使用許可をとっていたのか。主と同じだな?」
三日月は応えずに茶で喉を潤す。
審神者に許可の下りる術の類いは大体四つの群に分類される。
一群は陰陽系、二群は仏教系、三群は神道系で、四群はそのどれにも属さぬその家のみに伝わる秘術や、その人間のみが使える体質のような術である。そう多いものではない。
「──青山殿と、我等の主になにかつながりがあるのだな?」
三日月は黙って、既に空になっている湯飲みを傾けた。
「……言いたくないか」
三日月はただ頷いた。鶯丸と大包平は複雑な表情を浮かべて三日月を見る。
「主には余計な心労をかけることになるな」
三日月はやるせない思いで苦笑した。
──彼女が全てを知ったとき、自分は刀解されても、やむを得ぬだろう。
(俺はただ、新しい本丸で、新しい主や仲間と共に、ちゃんとじじいとしてのんびりしたかったのだがなあ……)
そんな些細な願いさえ、どうしてか叶わない。
二振りの次の言葉が恐ろしくて、三日月は立ち上がって逃げるように足早に部屋を去る。
登り切った月は頼りない針金となって闇に浮かんでいる。
「今更そちらに行っても、間に合わぬよなぁ……」
ぐ、と息苦しい胸元を握りしめる。
答えはない。当然だ、彼らは皆、主と供に幽冥の境を渡りきってしまった。
自分一振りがこうして、儘ならぬ世の中で足掻いている。
身体の一部がもぎ取られ、冷え冷えとした風が吹き抜けてゆくような淋しさを抱えても、まだ三日月は歩みを止めるわけにはいかなかった。
何しろこの身は一つの墓だ。
──誰も覚えていない、あの男の意地と想いを一振抱える、青い墓だ。