三日月ブルーの煩悶 下 - 3/8

#12

──梧堂あおぎり兄さん?
 本丸を護る結界がひび割れる。
 それは即ち、本丸の防衛ラインの一画が崩れたということ。通常であれば、何重にも敷かれた防衛ラインの一画が崩れたところで直ぐに直せば問題は無い。
 しかし、本丸に鳴り響くのは警戒サイレンだった。第一級警戒警報に本丸の刀達は文字通り押っ取り刀で審神者の執務室に駆けつける。
「主!」
「どうしよう、ごめん、私のせいだ。入ってきちゃった」
 顔を真っ青にしている主を支えながら、蜂須賀が声を張り上げる。
「結界の緩みに乗じて、何かが入り込んだ!」
 その言葉に一瞬にして刀達の緊張が張り詰める。
「何か、の詳細は分かりませんか」
 平野藤四郎の問いかけに蜂須賀が主に目を向ける。
「……刀のようなもの。刀であって、もう刀でないものがきた。そのあとから、穢れたモノが」
「ようなもの?」
 真っ青な顔ながらも、気丈に主は頷く。
「よし、夜警班は手分けして直ぐに武具を運び込んでほしい。浦島は打刀と松明を準備してくれ」
 是、と蜂須賀に指示をされた刀が散開する。残されたのは外を警戒する太刀や大太刀といった大ぶりな刀たち。
 彼らは主の言葉を待っている。
「主、貴方が指揮を執るんだ。できるだろう?」
 蜂須賀に背を押された主が、息を吸って顔を上げる。
「ごめん、私が動揺した所為で厄を呼び込んでしまった。もうしない」
 その目の光に、残された刀達は目を疑った。いったい、一瞬のうちに彼女になにがあったのか。
 つい半刻前までのいっそヒステリックな混迷が嘘のように、少女は晴れ渡った夜空の月の如く、澄み渡った目でまっすぐ前を見ていた。
「陸奥守!」
「おん」
「着替えたら直ぐに乱と秋田、日向を連れて刀装を運び込んで!」
 陸奥守がにこりと笑って短刀を連れて去る。
 主は、拳を握りしめて立ち上がった。
「訓練通り手入れ部屋を本陣とする。力自慢は資材を運び込んで! 蜂須賀、移動しよう。手入れ部屋を四部屋を四部屋ぶち抜けたよね。後藤、武具はそっちに運ぶように指示して。……私が全員、手入れする」
 手入れすら、血の臭いがすると恐れる主であった。
 それでも、この有事に際して主がこの本丸の最高責任者としての責任を果たそうとしていることに、感銘を覚えぬ刀はいない。
 大太刀も面食らった動揺を一瞬で切り替え、すぐさま身を翻す。
 蜂須賀が先導し古備前が両脇を固める形で隣の棟へ向かう。幾筋もの鞘から抜かれた白銀が、さやかな月明かりに冴え冴えと輝いている。
 どこからか、冴えわたる鋼の打ち合う音が聞こえている。
「──主、三日月がいない」
 鶯丸の囁きに、主は驚く様子もなく頷く。
「……大丈夫。あの刀は、多分……あれを追っていった」
 主は苦しげに呟く。
「兄さんの刀だったら、きっと自分でケリをつけるのかもしれない。でも、大包平、鶯丸。助太刀にいってあげて」
 古備前の二振りははっきりと頷いて身を翻す。
「……三日月宗近と話をしないと」
 浦島達の手で松明に灯が点る。誰かが気を利かせて、室内の電気も全て爛々と光り始める。
 本陣となった手入れ部屋に主が入る。そこには既に太刀や大太刀の武具が運び込まれていた。
「蜂須賀、主を頼んだ」
「任されたよ。命に代えても、主が俺が護る」
 金襴の装束で蜂須賀虎徹は優雅に微笑む。
「本丸を守ろう!」
 主は襷を掛けて打ち粉を振りかざす。
 古備前の二振りが手入れ部屋を飛び出す。他の刀達もそれに続いた。

 松明の明かりで、本陣の前は昼間の如き光明である。入り込んだ時間溯行軍は夜陰に乗じて手入れ部屋を狙っていた。本丸の刀たちに蹴散らされながらも、数は減らない。
 その中でも一際大きな剣戟の音の先に、異彩を放つ大柄な太刀が居た。瘴気のようなものに覆われ、姿は判然としない。だが、その強さは他の時間溯行軍とは一線を画していた。三尺はありそうな、大太刀めいた刃をしている癖に、振り抜く動作には軽やかさすら感じる。それを、大包平はどこかで見たことがある。
 それを一振りで押さえ込んでいるのがまだ寝間着姿の三日月だった。額に脂汗を掻き、苦しげに防戦している。肩口からだらだらと血が流れていた。
 大包平が口を開く前に、鶯丸が地を蹴る。
 三日月の前に割り込んで、その大柄な太刀の刃を受け止める。
「────ふざけたことをしてくれる」
 地を這うような低い声に、三日月も大包平も目を丸くする。その細い背中から、ごうごうと燃え立つような怒気を感じる。
「三日月、ここは我等が押さえておこう。お前はさっさと着替えてこい」
 三日月はあまりに激高している鶯丸に気圧されたように頷く。
「よくも、ここまで壊してくれたな」
 鶯丸の低い怒声に、大包平ははっとその太刀をみた。
──健全無比に残った長寸に見合わぬ軽さ。身幅広く、腰ぞり高くふんばりのある姿。
 地金は見るも無惨に穢れ、錆に塗れて刃文さえ見る影もないが、その唯一無二の姿は間違えようもない。
 なにより、自分よりも自分を知っているような鶯丸の怒りがそれを後押ししている。
「俺か……」
 大包平は眉をひそめて呟く。
 しかもおそらくは、三日月の元の本丸の“自分”であろうことは想像に難くなかった。