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偉大なる航路の最後の海、誰がいつから呼んだものか人呼んで新世界。
ワノ国に近い秋島列島への航路へ舵を切る軍艦が一隻。
数ヶ月前に激しい戦いを経たG-5の海兵たちの療養後の肩慣らしも兼ねている。
その所為か、ロシナンテの知るG-5支部──15年前からロシナンテも知っている海賊以上の荒くれ部署──にも関わらずこの艦の雰囲気はどこか柔らかく、カモメは風を孕んで白い帆を膨らませている。
サイクロン二つと熱々海と崖海と白馬波も流石に危なげなく乗り越え、死者はなし。
新世界の航海としてはやはり順風満帆のうちである。
「やっと落ち着いたなァ」
ようやく見えた晴れ間。
たしぎ大佐の指示で甲板には大急ぎで洗濯されたリネン類がはためいている。自ら腕一杯に洗濯物を抱えて走り回っている大佐に、G-5支部の荒くれが強面を嬉しそうに緩ませて我先に手伝っている。
「おれァ大佐ちゃんの手伝いしてくるからよ! 雑用! これ頼まァ!!」
「お、おー。了解」
ここもまたずいぶんと仲の良い支部だなァというのが感想であり、コビー艦の規律正しいお手本のような海兵たちを見た後の彼らに、人の多様ささえ感じる。
そういうわけで数時間前の崖海登攀でほつれたロープの修繕をどっさりと押しつけられ、前甲板の砲台の横で座って補修しながらのんびりと煙草をふかしていた。
ありがたいことにこの艦は艦内喫煙可能であり、ロシナンテはこれ幸いと心置きなくぷかぷかと煙草を燻らていた。
昔のように肺まで吸い込むと咳き込むのでふかすばかりだが、それでもあるとないとでは大違いだ。
そろそろ島でも見えないかと水平線に目をこらして見つめていると、後ろから煙に灼けた呆れた声がかかる。
「……何サボってんスか、ロシー先輩」
「サボってねえよ、スモーキー。ほら、ロープの補修」
ロープを掲げながら振り返ればいまや自分の肩書きを飛び越えた後輩が葉巻を燻らせて難しい顔で立っていた。
「……スモーカーだ。部下の前で若ェ頃のあだ名で呼ばんでくれ」
「じゃあお前もおれを先輩って呼ぶのは止めろ。今は雑用だぜ」
制服の背中の「雑」の字をわざわざ指差して見せれば、素直にぐっと詰まる男は、最後に見たときより随分と立派になっている。
海軍本部中将〝白猟〟のスモーカー。
ロシナンテの兵学校時代のわずかな間の後輩であり、いまやG-5支部の基地長となった将校だ。
「な?」
「じゃあ、ロシナンテ……先輩。ロープを燃やすな」
「了解、スモーキー中将どの!」
至極真面目に敬礼を返せば、スモーカーの葉巻に歯形が付く。
「……止めろ」
居心地の悪そうな顔で肩を落とすスモーカーに、ロシナンテは堪えきれずに吹きだし、煙草をロープに落としそうになってひっくり返る。
煙に火の付いた煙草を握りつぶされて、あーあーと残念な声を上げた。雑用の薄給ではなかなか買えない安煙草だというのに。
「あんた、死んでも治らねェのかそのドジ」
「おれァドジっ子なんだ!」
ロシナンテはけらけらと笑う。
スモーカーとはゼファーの主導した海軍兵学校でほんの一年先輩後輩だっただけの間柄だ。
海軍に入隊してすぐからその目を見張るべき才覚でもって有名であったし、ロシナンテも彼の熱い正義と不器用な優しさが好ましかった。ちょっと目をかけた後輩の一人だ。
けれどまさかスモーカーが自分を覚えているとも思わなかった。
あの時、センゴクの後ろに居る雑用が自分だとわかった時のスモーカーの顔ときたら!
にやにやと笑うロシナンテが何を思いだしているのか察したスモーカーがそれはもう不機嫌そうな顔でロシナンテを睨み付けていた。