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「すまんドジったァ! たしぎ大佐ァ! 退避退避!」
船底からの爆風を背中に受けながらロシナンテはハッチを駆け上がった。ロシナンテが肩に担ぐ船長は気絶している。
キールのへし折れる音、砕ける船板と破裂する樽や木箱の音、熱と爆風が甲板の下を震わせている。
船縁から板を掛けて捕縛した海賊達を艦に連行していたたしぎ大佐が急に揺れ動く海賊船に顔色を帰る。
「仲間もいるのに……!」
「すまねェ、あと一分くらいで船が沈む!」
ロシナンテは大声でそう告げると、担いでいた船長を甲板に投げ渡した。 爆発音を認めた瞬間、たしぎの表情が更に引き締まる。反射的にハリーとマーヴ兄弟を背負いあげて、たしぎが海兵に指示を飛ばす。
「皆、海賊を担いで艦に退避してください! 即刻!」
狼狽えていた海兵たちが慌てて海賊たちを放り投げる。
それでも、海賊船にいる海兵だけでは人数が足りない。
たしぎが人を呼ぼうと声を上げる前に、甲板に葉巻の匂いのする白い煙が充ちた。
「──まだまだ甘ェな」
「ああっ、スモ中将待ってェ!」
その煙はあっという間に甲板にいた海兵と海賊をひとまとめに軍艦に引き上げる。
ロシナンテはそれを認めると、煙草を噛んで身を翻した。
ごうごうと船が燃える音がする。まだ甲板にまで火の手は上がっていないが、あっというまに喫水線が下がっている。沈没するほうが先になるだろう。
「ロシナンテさん!」
「ロシやん!」
スモーカーに甲板に投げ出されたたしぎ大佐と、なぜか妙な呼び方をしている海兵の声を背に受けながらロシナンテは海賊船の船室に飛び込んだ。
スカーフを口元に当て、構造上船長室があるはずの場所に飛び込む。吸い込んだ煙に悪心がこみ上げて咳き込んだ。
「ゲホ……ッ」
噎せた拍子にスカーフが水ではないもので濡れる。舌打ちをしながら乱雑にそれを拭い、ロシナンテは船長室の机を蹴り飛ばした。大事な物は側に置きたがるのが海賊だ。
絨毯を引き剥がして、床板を剥がす。
「先輩、何を……」
「スモーキー! 〝契約書〟だ! この船の積み荷の証拠がいる! 探せ!」
声に応じて咄嗟に煙が船室に広がる。次の瞬間には霧散した煙が部屋を調べ尽くす。
激しい音がして壁面の額縁が破壊され、その下から帳面が転がり落ちる。スモーカーの実体化した腕がそれを受け止める。
「それか!?」
「他に重要そうなもんはねェ! さっさと退避しろ!」
ロシナンテの肌にも、床下が地獄の釜の蓋を開けたようになっているのが分かる。
部屋を出ようと身を返した途端、がくりと膝が崩れる。
「おい……ッ」
ロシナンテを叱りつけようと振り返ったスモーカーの目が大きく見開かれる。
彼の目に映る自分は、どう見えているのだろう。口の端を血で汚し、喘鳴を漏らす死にかけの男だろうか。この男が酷く耳が良いのを思い出す。
「……はは、ドジった!」
愕然とした顔を一瞬で隠し通したスモーカーが低く舌打ちをした。
「肩貸してくれよ、スモーキー」
「捕まってろ」
ロシナンテを煙が運ぶ。
甲板に降り立った二人をわっとたしぎ大佐と海兵達が迎え入れた。怪我ではなくスモーカーに肩を借りるロシナンテにセンゴクが駆け寄る。
「ロシナンテ……!」
「へへ、センゴクさん。見てました?」
「ああ……」
スモーカーからロシナンテを受け取ったセンゴクは、ぐしゃりと顔を歪めて笑う。
「……無茶をするな」
「でもほら、手間が省けました」
ロシナンテはスモーカーの持つ紙切れを指さし、自分のポケットから麻袋に詰まった〝積み荷〟を引きずり出す。その独特なにおいにセンゴクがぎくりと冷や汗を垂らした。
麻袋の中にあるのは、さらさらとした砂金の色をした砂。粉末状のそれをセンゴクは正しく理解した。
「〝JOY〟、まさか積み荷全てか!?」
「はい。まさかですよ。ラッキーでした」
センゴクの肩から力が抜ける。そして次に現れたのは、海軍将校としてロシナンテの報告を聞く〝知将〟センゴクの顔だった。
「現物と〝契約書〟か。よくやったロシナンテ」
「ええ。これがあれば接触もたやすいでしょう」 「そう上手くいくか?」
「あてはあります」
「信じよう……」
センゴクは深く頷いた。
ロシナンテは息を整えて立ち上がった。
──〝外科医〟
電伝虫で聞こえた名前が頭によぎり、ロシナンテは頭を振って振り払う。
その二つ名で連想してしまった少年の名は今の自分には無関係だ。この件に関わっているはずもない。
ドフラミンゴを打破した立役者であり、ドレスローザの救い主だ──そのはずだ。
それに、あの優しい子がそれほど大それた悪事を働くことなど考えたくなかった。
そうなってしまっていたら、海兵としての自分はどうすれば良いかわからない。
ぶるりと震えたロシナンテに、先程鉤を踏みかけてロシナンテが叱り飛ばした海兵が恐る恐る近づく。
「ロシやん大丈夫か? 怪我したのかァ?」
「大丈夫、ってかなんだよそんな……」
「命救われたんだからそりゃあなァ!」
「アンタのおかげで助かったよ!」
「いや、おれァドジって船爆破させちゃったし」
「アハハハ、秋島につくまで便所掃除代わってやるよ!」
「それは助かる」
ばしばしと海兵たちに背中を叩かれて、ロシナンテは思わずふは、と吹き出した。G-5の海兵たちはロシナンテを船室に追い立てる。
「ロシナンテ、ゆっくり休みなさい」
「はい、センゴクさん。またあとで」
ひらりとセンゴクに手を振ってロシナンテは船室に戻る。
カモメの向こうの空は高く、鱗雲が薄青い空を覆っている。
もう秋島の気候海域に入っていた。
→四章 立ち上がって