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上級将校用の宿泊室にたどり着いて息をつく。
明日の昼にはもう出航だが、揺れる船内とくらべれば天と地の差だ。
ロシナンテもセンゴクの付き人の扱いになっているので、雑用身分のくせに今晩は個室に泊まれることになっている。
センゴクもスモーカーと取り付けた会議の予定時間までは腰を落ち着けるつもりらしく、コートを脱いでハンガーに掛けていた。
自分もスカーフを外してベッドに腰掛ける。
センゴクが水を飲みながらロシナンテに話しかける。
「スモーカーと知り合いだったのか、知らなかったな」
「兵学校時代のときに、ちょっとの間縦割り班の後輩だったんですよ。名前見てびっくりしました」
「積もる話もあるんじゃないか?」
「いやァ、あいつがおれの名前覚えててくれたのもびっくりしたくらいですけど……、いやでも聞いときたいことはたくさんあります」
ロシナンテは呟いて手のひらを見つめた。
スモーカーたちの傷跡。
丁寧に手当をされていて、かさぶたが残るだけに見えるが、あの傷跡をロシナンテは知っている。
剣よりも細い鋭利な何かで切りつけられた独特な傷跡。自分に分からないはずがない。
「……ドフラミンゴ」
ロシナンテの呟く低い声に影が滲んだ。
細い糸で傷つけられた傷跡だ。潜入中に幾度見てきたと思っているのだろう。イトイトの実の能力ならよく知っている。
ぐっ、と手を握りしめて睨み付ける。
「どうした。どこか辛いか」
「い、いえ!」
センゴクが心配する声に慌てて否定する。結局自分では何一つ、なにも防ぐことが出来なかったことだ。
センゴクにこれ以上心配かけることなどしたくない。怪訝そうなセンゴクの視線から逃れるようにそそくさと自分も水差しから水を汲む。
「なあ、ロシナンテ」
「はい?」
水を飲む背中に声が掛かる。振り返らずに返事をする。
「私に言っていないことがないか?」
「え? な、何のことです?」
淡々とした声に、ロシナンテはいやな汗が垂れるような気がした。
「お前の、身体のことだ」
ロシナンテの背中が硬直する。黙り込んでしまっている時点で、それはもう明らかなことだった。
静かな声が、静かな部屋に響いた。
「は……はは、そっちかァ」
「ロシナンテ」
「いやぁてっきり……センゴクさんのおかきをこっそり食べたことかと!」
「ロシナンテ。私にもう嘘はよせ」
「……あはは、適わねェなあもう」
ロシナンテは笑いながら振り返る。
しかしセンゴクに笑みは無く、ロシナンテの笑みもぎこちなく、変に引きつっている。ロシナンテは相変わらず作り笑いが下手だった。
「……おれの命の期限のこと、知っちまったんですね」
センゴクは沈黙をもって肯定し、ロシナンテを手招いた。ベッドに二人で並んで座る。
「本当に今は大丈夫なんです」
「ああ」
「あと一年くらいは普通の海兵として仕事が出来るって、聞きました。それ以上は内蔵機能が低下して、そう長くは……。撃たれた場所が良かったのか、悪かったのか」
「……ああ、そうきいた」
「おれが生きているうちに何ができるのか、わからなくて」
結局何もなせぬまま、また全部放り出して死ぬかもしれぬ身だった。
だんだんと下がる肩を、センゴクが正面から抱きしめた。
「ごめんなさい……」
結局この優しいひとをまた苦しめることになる。
「謝るな。あと、一年か……」
「……はい。……運が良ければ」
ロシナンテは頷いた。肩を抱く力が強くなる。
心臓が握りつぶされてしまうほどに心が痛んだ。再び苦しめてしまうために、生き返ったのではないかと思うほどに。
それでも、ロシナンテに見せたセンゴクの喜びは本物だった。生きていて、目が覚めてくれて嬉しいと言ってくれた気持ちは本物だった。
だから、生き返ったことを後悔はしたくなかった。
「いい。──生きている内にしたいことをしたら良い」
そう言われて、ロシナンテはぐ、と息を詰めた。
ロシナンテは生きている。
コビー艦での航海の中、若い海兵たちにそれを教えられた。
したいこと、と言われて一番に浮かぶのは二つ。
一つはあの子にもう一度会いたいということ。
そしてもう一つ──あのとき、ロシナンテの目の前に差し出された封筒が胸を突く。
──あれは、ロシナンテが放り出して死んだロシナンテの任務だった。
「おれは……」
センゴクの肩を掴み返して、ロシナンテは俯きながら歯がみした。
「もう一回──、海兵としてできることを、やりたい……!今度こそ、ちゃんと、最期まで」
ロシナンテの肩を掴む手が引かれ、ロシナンテは顔を上げる。
センゴクは笑っていた。
「──お前はそう言うと信じていた。ロシナンテ。あんなに嬉しそうに入隊書類を書いたお前なら」
「センゴクさん……!」
「G-5の艦は明日、とある島へ向かう。航路を無理に変更させたのは私だ」
「まさか……!」
センゴクは含み笑いで見覚えのある封筒を取り出した。
「次の島の名は花の島と呼ばれるエルガニア列島、お前ならこの意味は分かるだろう?」
ロシナンテは目を丸くして、それから天を仰いでため息を吐いた。
「おれが怖じ気づいたらどうするつもりだったんです……」
涙は零さないまでも、赤くなった目元を押さえて呻くロシナンテに、センゴクは悪戯っぽく笑った。
「信じていたよ」