三章 前を向いて - 2/8

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 数日前──G-5基地。
「すまないな、また忙しいときに」
 一番最後にタラップを降りたセンゴクが出迎えの海兵に手を上げる。コビー大佐とヘルメッポ少佐たちも、もう基地に入っている。
 その先でセンゴクを迎える基地長はロシナンテの知っている相手だった。
 彼は葉巻を銜えたまま肩をすくめる。全くもってふてぶてしいが、それこそが彼らしさでもある。
 だが、彼の体についたまだ生々しい傷跡は、彼に降りかかった災厄を想起させる。胸に重苦しいものが溜まった。
「わざわざ出迎えてくれたのか」
「アンタのことだ、ウチを選んだのも織り込み済みなんでしょう」
「まァそう噛みつくな」
 センゴクも承知しているようで特段気にした様子もない。ロシナンテも、かわらないなと思うばかりだ。
「スモーカーさんったら!」
 生真面目そうな部下の女海兵だけが、目をつり上げてスモーカーを叱りつける。スモーカーは馴れた様子で叱責を受け流し、二人の関係の気安さを感じた。
「うるせェよ、たしぎ。それくれェで目くじらたてるような人でもねェでしょう」
「ははは、褒められたもんだな」
「わざわざアンタが来るとは」
 葉巻を噛むスモーカーの視線がぎろりと疑い深いものにかわる。
「……何を知ってる?」
「何のことやら」
「あの島に何がある」
 スモーカーの言葉にたしぎもこくりと頷く。
 スモーカーの剣幕にロシナンテはぎくりとする。上官だろうが誰だろうが噛みつく男だが、センゴクにまで殺気を向けることがあっただろうか。
「あの島に急に航路が変わったのは──」
「それくらいにしておけ」
 スモーカーが口にする前にセンゴクが口を挟む。
 ずんと腹が重くなるような声は、久しぶりに聞く海軍将校としての命令に近い声音に、流石のスモーカーも口を閉じた。
 スモーカーの表情が険しくセンゴクを睨む。今にもその十手を振りかざしそうなスモーカーに慌てて一歩前に出ようとして、センゴクの手がロシナンテを止める。
 海軍将校としての顔を、苦笑でゆるませてセンゴクは肩をすくめた。
「こんな場所で話すような話ではない。……そう怖い顔をするな」
「……少々にあったもので」
「そのことの報告もお前の口から聞きたい。子ども達のこともな」
 センゴクがタラップから降りる。ロシナンテもそれに次いで降りる。
「……信用に足る理由なんでしょうね」
「ああ、何よりも信頼できる〝情報〟だ」
 センゴクのはっきりとした肯定にようやくスモーカーの殺気が収まる。
 ちらり、とセンゴクの視線がロシナンテを向いた。
 スモーカーの横で慌てながらもいつでも刀を抜けるように構えている女海兵もまた肩の力を抜く。
「あんたほどの人がそこまでいうなら、信じましょう……」
 ははは、とセンゴクが陽気に笑う。ロシナンテも同じように肩の力を抜いた。
 たしぎと呼ばれていた女海兵がタラップを降りてくるセンゴクを案内しようと前に出る。
「明朝コビー艦を見送ってからの出航になります。むさ苦しいところですが、ゆっくりしてください!」
「ああ、ありがとう。たしぎ」
「いえ! ……きゃっ!」
 センゴクがタラップを降り、その後ろでロシナンテが降りようとしたときだった。
 たしぎ大佐がボラードにかけたロープに引っかかって躓く。
「危ねェ!」
 咄嗟にたしぎ大佐に手を伸ばそうとして、つるりと足が浮く感覚がした。
 伸ばした手がたしぎ大佐を支えるはずが、そのままタラップを滑り転けたらしい。港の揺れる海面が目の前に迫って血の気が引いた。
「……?」
 海に落ちるかと思った瞬間、たしぎ大佐ごと、柔らかな白い煙が港へ連れ戻す。流石に海に落ちるドジは洒落にならない。
「あ、ありがとうございます」
「た、助かった……」
「大丈夫か、二人とも」
 たしぎ大佐に頭を下げられ、センゴクに呆れた顔をされる。
「何して……ん……だ」
「スモーカーさん?」
 スモーカーは目を大きく見開いてロシナンテを見つめていた。
 ロシナンテはひらりと手を上げて、絶句しているスモーカーに礼を言う。内心の驚きも緊張も隠すように大げさに笑ってみせた。
「危ねェ、ドジって死ぬところだった!! 助かったよ、スモーキー!」
 スモーカーは口から葉巻を落としかけて慌てて葉巻を抑えて口元に手を当てる。見開かれたままの彼の目がロシナンテをまじまじと観察して、茫然と呟いた。
 その顔に驚愕と困惑がありありと浮かんでいる。
 スモーカーにしては珍しい素直な驚きに、部下のたしぎ大佐がきょとんとする。
「……ロシー……ロシナンテ先輩……?」
 なんだ知り合いか、とセンゴクが驚いた声を上げた。