15
横殴りの突風が時折吹く薄曇りの空の下、メインマストの望楼で見張りをしていた海兵が歓声を上げる。
「野郎ども三時の方角に海賊船だぞヒャッハー!!」
海賊船が見えたという歓声にデッキ掃除をしていたロシナンテが顔をあげる。丁度右舷に居たので三時の方角に目をこらすと、岩礁の近くにマストが見えた。
Mの文字と悲鳴を上げる子どものジョリーロジャー。ロシナンテの現役時代にはみなかったが、新世界に来て早々にこの艦に見つかるとは運のないことだ。中将と大目付と大佐が乗り合わせている船も中々ない。
「はしゃがないの! 報告はちゃんとしてください」
「あの旗、〝トラッパー〟・ケビーのだな」
「ほー、ついに楽園を出てきたか」
甲板に出てきたたしぎが踊り出しそうな勢いではしゃぎまわる海兵たちをたしなめ、目をこらしたスモーカーがその海賊団の名前を呟く。センゴクも顔をだしている。
「スモやん! あいつら捕まえるだろォ!」
「あいつらちゃんと悪党の海賊だしなァ! な!」
「海賊を見逃すつもりはねェ。だがあれでも賞金総額三億の海賊団だ。油断はするな。あっちはまだこっちに気づいてねェ。岩礁にかくれて背後に回り込め」
「任せろスモやん! 野郎どもスループを畳めェ!」
「雑用何やってんだ、ブレースにつけ! 弾丸主砲に運べェ!」
「イエッサー!」
岩礁を回り込むとなれば海兵達が総出で動かす帆はまるで生き物のように動く。ロシナンテも声をかけながら、艦という生き物を動かすひとつの歯車になる。
斜めに受ける風を器用に帆に当て、舵を切れば丁度良い突風も合わさって海を軍艦が滑るように進んだ。
流石に熟練の海兵ばかりで、ロシナンテでも中々みたことのない角度で急ターンを決める。
ロシナンテも指示に合わせてヤードを引き、ブレースを回した。幾度かドジって転んだが海に落ちなければ問題は無い。
岩礁がある浅瀬を避け、カモメをたなびかせて現れた海軍の軍艦に、にわかに海賊船が騒ぎ出す。
「気づかれたな。主砲撃て!」
「イエッサー!」
スモーカーのかけ声で大砲が放たれる。
見事に命中した砲丸は海賊船のフォアマストとメインマストをへし折り、そのまま帆を破る。これでもう海賊船は動けないだろう。
それを確認し、腰を溜めて敵船に飛び移ろうとしたスモーカーを、海兵達が慌てて止める。
「スモやんはじっとしてなよ!」
「おれたちが首とってくるからよォ!」
「あ? 何言ってやがる。相手は億に近い賞金首だぞ」
「だってスモやん、怪我治ったばっかりじゃねえか!」
「それがどうした。たいしたことァねェ」
「そうですね。私とみんなでいきますから、スモーカーさんは見ていてください」
スモーカーの顔が不機嫌そうにしかめられる。怒鳴りつけようとしたところに、ロシナンテが声をかける。
「たしぎ大佐、おれも行くよ」
腰に下げた拳銃嚢を叩いて手を挙げれば、たしぎ大佐がきょとんとめがねの奥の目を丸くした。
「えっ、でもロシナンテさん雑用なのに、戦闘なんて……」
「雑用でもほら、実戦経験つまねェと。な? スモーカー中将どの。万が一があっても中将と大目付がいるんだから大丈夫でしょう」
スモーカーはそれでも何かを言いつのろうとしていたが、たしぎ大佐とG-5の海兵達のまっすぐな視線を受けて、がっくりと頭を押さえた。
「馬鹿しかいねェ」
「あなたの部下ですから」
たしぎ大佐がさらりと答えて、スモーカーが煙の息を吐いた。諦めたらしい。
「さっさと行け馬鹿ども。大口叩いて逃げられたらぶん殴るからな」
スモーカーが頭を押さえたまま手を振る。たしぎ大佐と海兵たちが得意げに顔を見合わせて笑い合い、拳を挙げた。
「行きますよ!」
「おー!」
林のようにサーベルが突き上げられるなか、ロシナンテも海兵達より頭4、5個ぶんほど高い場所で愛銃を振り上げた。
逃げようと帆を動かす敵船だが、そもそも既にメインとフォアの二つのマストを折られている。苦し紛れの砲撃をたしぎ大佐が居合いで切り落として海に落とす。海兵たちの野太い悲鳴にも眼鏡をあげて照れくさそうに笑うのが可愛らしかった。
「切り込みます! 接舷!」
逃げ切れないことを察した海賊の行動は一つだ。
「野郎ども、迎え撃てェ!」
船長らしい若い声が聞こえて海賊船の戦闘員達が一斉にいきり立つ。 なるほど、新世界に殴り込みをかける海賊らしく、海軍にも物怖じしないようだった。
相手から鉤が投げ込まれる。ロシナンテはそれを見てぎょっとした。太い柄一杯に溝があり、そこに黒い水が通っているように見える。
「あれ……油か?」
「ぎゃはは! 行くぞォ!」
その鉤を渡って進もうとした海兵の首を、ロシナンテは咄嗟に引っ張ってつり上げて下がらせる。そのまま船縁に掛かった鉤を蹴り上げた。
「危ねェ!」
折れた瞬間に火花が散り爆発的に燃え上がる鉤。踏み込んでいれば海兵の体中が海の上で燃え上がっただろう。
「なるほど、トラッパーってこういうことか」
「あ、ありがとう……」
「気をつけろ。無駄に命落とす気か」
「お、おお……」
思わず睨み付けるとこくこくと頷かれる。ふゥ、と煙草の煙を吐くと、頭が切り替わっていくような気がする。あちらから掛けられているロープにも仕掛けがあるだろう。
「みんな、あちらからのロープ、鉤を全て外して海に落としてください! 私が行きます!」
「おれも行こう」
たしぎ大佐が船縁を蹴り上げ、そのまま空を蹴る。ロシナンテもそれに続いた。
あちらに一つ残ったミズンマストの後望楼にたしぎ大佐と共に降り立つ。たしぎ大佐の声が甲板に響く。
「船長以下、投降すれば手荒な真似はしません! 無駄な抵抗はやめて投降する気はありませんか!」
たしぎ大佐の顔の横に銃弾が過る。それが答えだった。たしぎ大佐の顔つきがきりりと変わる。
「──いきます!」
刀を構えて望楼から飛び降りる。そのあざやかな刀捌きはロシナンテも目を引くようなしなやかさがあった。力に劣る分、柳のようにしなやかな刀筋はまるで舞を踊るようだった。 甲板に満ち満ちる海賊では相手にならず、あっという間に倒れ伏す海賊たちで甲板が埋まる。
ロシナンテは望楼からじっと海賊達を眺めていた。
「女に見惚れてンじゃねェぞでくの坊!」
「ああ、悪ィ悪ィ──忘れてねェよ」
マストをよじ登ってきた海賊がサーベルを振り回しながらロシナンテを恫喝する。ざっと見て一〇人がヤードやマストの横木に登ってロシナンテに襲いかかろうとしている。
ロシナンテはふっと煙を吐いて、銃を向けて引き金を引いた。
銃声は二つで十分だった。
一発は数人が登っている横木を的確に折る。二発目はヤードの結び目を滑車ごと吹き飛ばして海賊を二人甲板にたたき落とす。
たった二発でほとんどの海賊は甲板に叩きつけられて気を失っている。
「なんだその威力……! ピストルじゃねェだろ……!」
熟練の海兵でも肩が外れるほどの威力の拳銃も、ロシナンテの体格で扱えばただのピストルだ。
「てめェ! よくも!」
なんとか横木にとりついた男がロシナンテに引き金を引く。ロシナンテは横目でそれを確認して煙を大きく吐き出した。
「──ッ!?」
しかし、そこに居たはずの〝デカブツ〟は忽然と消えていた。
ただ煙草の煙だけが取り残されて漂っている。
「な、なんで」
困惑する海賊の背後にぬっと影が立つ。
本能的な恐怖で振り返るより先に、大きな手が海賊の首根っこをつかんだ。まるで子どものようにぶら下げられ、そのまま甲板に叩き付けられる。あっという間に制圧された甲板にはもうたしぎ大佐とロシナンテの他に立っているものはいない。
ロシナンテが最後に甲板に叩き付けた男と、たしぎが首に切っ先を突きつけている男が泣きべそ声を上げた。
「ぎゃァ! 船長ォ助けてェ!」
「たすけて船長!」
「マーヴとハリー兄弟ですね。……船長がいない」
手際よく副船長格を捕縛しているたしぎが周りを見渡して呟く。
「ガキみたいなやつ?」
「ええ」
ロシナンテが観察していた中にそれらしい海賊がいたことを思い出して頷く。
「初めに下に降りていったやつだな。おれが行こう」
「はい。お願いします」
拳銃の弾を詰め直して甲板をたしぎ大佐に任せて船内に潜る。入ってぎょっと目をむいた。
倉庫の中には花のような甘いにおいが充満している。
いくつもの樽が甲板下の倉庫を埋め尽くしていた。そのほかのものが入らぬほどに。
その中を開いて、ロシナンテは鋭く息を詰めた。
「──〝凪〟」
咄嗟に自らに凪を掛け、気配を探る。倉庫の奥から声が聞こえる。身を隠しながら耳を澄まして近づいた。
電伝虫で誰かと話をしているようだった。
──なんで海兵が居るんだよ! このルートは大丈夫なんじゃなかったのか! 助けに来てくれ!
電伝虫で何やらわめいているのが船長だろう。
「四皇に次ぐといわれたアンタに言われたから従ったんだ! 捕まったんじゃ割に合わねェ! そうだろう、〝外科医〟」
『その名で呼ぶんじゃねェよ』
低い男の声が電伝虫から聞こえる。
ひゅっ、と息が止まった気がした。凪をかけていなければ声が出ていただろう。
「積み荷はもうだめだ! 海軍にバレた。は……? 無理だそんなことしたらみんな死──」
ぞくりと肌が粟立つ。ロシナンテにも分かるほど、有無を言わさぬ男の声が電伝虫の向こうからする。目つきの悪い電伝虫は誰に擬態しているというのだろう。
『誰が四皇より格下だ。いいからそのまま積み荷を燃やせ。船ごとだ』
ぶつりと電伝虫が切れる。ロシナンテが呆然としている間に男の姿は消えていた。
鼻に焦げ臭く、甘ったるいにおいがしてロシナンテは舌打ちする。
「……まさか、な」
ドジったと誤魔化す余裕もなく、噛み締めた煙草のフィルターが潰れる。誰にも届かない声が虚しく溢れた。
直後に足下が揺れる。爆音が響く。
ロシナンテは舌打ちして甲板に飛び出した。