三章 前を向いて - 6/8

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 時は進み、ここは秋島に向かう艦の上。
 風は南南西、カモメは愛らしく膨らみ、順風満帆で素晴らしい。艦は穏やかに秋島、エルガニア列島に進んでいる。あと一両日もなく到着するだろう。
 思い出し笑いをスモーカーに睨まれ、艦橋に呼ばれた彼が風に乗って去るのを見送った。
 ロシナンテは一人黙々と数時間前の白馬波に手綱をかけたせいでほつれたロープの補修を続ける。
「ロシナンテさん、お一人ですか?」
「たしぎ大佐」
 声をかけたのはこの艦の副艦長でもあるたしぎ大佐だった。
 彼女が姿が見えなくなるほどに抱えていたリネン類はあっというまに船員たちの手で甲板に張られたロープに干されてぱたぱたとはためいている。この天気ならすぐに乾くだろう。
「ロープの補修任されていたひと、もう一人いましたよね。まったくもう、すぐサボるんだから!」
「おれァ雑用ですから。これくらいお手の物ですよ」
「役目は役目です。ちょっと待っててくださいね!」
 今リネンを干し終わったところだろうに、ぱたぱたと忙しなく甲板を駆け去っていくたしぎ大佐にロシナンテは思わず笑みを浮かべた。働き者でよく気が付いてよく動く、なんて良い子なんだろうか。
「雑用てめェ今大佐ちゃんと何話してやがった」
「うわっ」
 がばりと甲板のハッチが開き、じっとりとした目つきの荒くれ海兵がロシナンテを凄む。
 今にも胸ぐらを捕まれそうになってあわてて顔の前で手を振る。
「良い子だなって思っただけですよ!」
「当たり前だろうが! 大佐ちゃんに色目使ってみやがれ、海賊どもと一緒に火あぶりにするからな!」
「船首にくくりつけるからなァ!」
「おれたちの大事な大佐ちゃんなんだぞ、雑用!」
 囲まれた海兵たちに睨まれ、ロシナンテは苦笑した。流石は名の知れたG-5の柄の悪さだ。目つきも口調も海賊とそっくりで、けれど彼らの懸念は大事な上司の安否だ。
根は良い男達なのだろうということが分かる。
「見つけた! あなたたちまさか新人イジメなんてしてないでしょうね!」
 一通り見て回って帰ってきたらしいたしぎ大佐が恫喝されているのを見つける。
 ぎろり、と強い視線で睨まれた海兵達は、ロシナンテに対するものと打って変わって蛇に睨まれた蛙か、教師にいたずらがバレた子どものように肩をすくめる。
「そんなことしてねェよ大佐ちゃん! な、雑用!」
「な!」
「ええそうですね。今日の夕飯のおにぎりをおれに譲ってくれるって話をしてました」
 しれっと嘘をついたロシナンテに海兵達がだらっと汗を流して、ロシナンテを睨みつける。ロシナンテは平然とした顔でまじめにたしぎ大佐に頷いてみせた。
「優しいですよね」
 たしぎ大佐は目を丸くして不思議そうな顔で海兵たちを見た。
「……本当ですか? だってあなたたち、おにぎり大好きなのに」
「そッ……」
「それは……」
「梅干しも付けてくれるそうです」
「にやにやしやがってこの……!」
「コラ!」
 たしぎ大佐に一喝され、海兵達はがっくりと肩を落としてロシナンテの言うとおりだと肯定する。
「仲良くしてください。もうそろそろ次の海域ですから、それまでにロープの修繕! あと、ごめんなさい、リネンの回収もあとで手伝ってくれますか」
「はーい、もちろん!」
「わかったよ大佐ちゃん」
「できたら褒めてね!」
 海兵達は微笑んで背を向けるたしぎ大佐ににこにこと手を振る。
と、彼女の姿が見えなくなった瞬間に彼らはロシナンテの胸ぐらをつかみ上げた。涙目で睨み上げられてもあまり怖くはない。
「てめェこのやろう! 海賊より悪質だぞこのやろう!」
「おにぎり絶対あげねェからな!」
「じゃあおれァたしぎ大佐にいじめられてるって言うけど、いいんだな?」
「う゛っ……卑怯だぞ……!大佐ちゃんには良く思われてェんだおれたちは! てめェそれでも海兵か!」
「海兵です~」
 ベロベロと舌を出して揶揄うと、カッとなった海兵達が地団駄を踏んで、甲板がみしみしと鳴る。それほど悔しがるくせにたしぎ大佐の言葉が聞いているのか手を出してこない。海賊ならばここで一発戴いていたところだ。
──スモーキーがかわいがるわけだよなァ……。
 ロシナンテはにやっと笑ってロープを持ち上げた。ほつれた古いロープをほどいて新しいものに撚り直すのには人手がいる。
「ロープの修繕しようぜ、センパイ方?」
「「すげェ燃えてるけど!?」」
「ドジったァ!!?」
 持ち上げた拍子にほつれた部分に火がついて燃え上がる。ついでにスカーフにまで燃え広がってロシナンテはひっくり返る。
「自分で火あぶりになるとはなんだお前良いやつだな!」
「おれはドジっ子なんだ!やばい!帆に燃え移る!」
「スモやん助けてー!」
 大騒ぎの甲板に、賑やかな声とスモーカーの呆れ声が届く。
「燃やすなっつったよなァ!」
「熱ッッッい!!」
「バカどもが…!」
 結局その晩、そこに居た海兵たちからロシナンテは無事におにぎりを分けて貰い、自ら火炙りになった男として不名誉な一目を置かれることになったのだった。

 ワッチ前にセンゴクに呼ばれたロシナンテは遊戯盤を指しながら愚痴る。
「で、センゴクさん。おれ火炙りにいい思い出ねェんですけど!」
「まあ、打ち解けていてホッとしたよ私は」
 センゴクが肩をすくめて笑う。ロシナンテも本気で怒っているわけではないので同じように笑い返した。
「いい奴らですよ」
「みたいだな。基地の准将たちのことは黒馬に報告してある」
「ありがとうございます。……王手」
「ん! 甘いな」
 潮騒の響く船室にパチンパチンと駒が動く。
「王手は私だ」
「……参りました」
 相変わらずの智将ぶりにロシナンテは頬を緩めた。
「少し手が変わったな」
「そうですか? 昔からあんまりセンゴクさんの相手にはならなかった気がします」
「愚直なばかりじゃなく、強かになった。成長したな」
 ロシナンテを見上げるセンゴクの目元は優しい。
 どうにも気恥ずかしく、ロシナンテは頭をかいて誤魔化す他になかった。