六章 今を生きていく - 6/6

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 軍艦が離れていくのを街の角からこっそりと見送って、ロシナンテは漸くトランク一つ分の荷物を担いで港を離れようと踵を返す。
 その瞬間にふわりとロシナンテの海軍帽がロシナンテの手元を離れて浮き上がった。
 ぎょっとして帽子を追いかけた視線の先に、黄色い鉄の艦が白く輝く波の間に姿を覗かせていた。
 男心をくすぐる黄色い魚のような潜水艦──ポーラータング号。
 その船尾の尾びれのてっぺんに座った海賊が、にやにやと笑ってくるくると指先で帽子を回していた。
「お困りのようだな、海兵さん」
「ロー! お前もう出航したんじゃ」
「数百メートル潜航したら海軍にも補足できねェらしいな、いいことを知った」
 ローはそのまま指を動かすとロシナンテのトランクがふわりと浮き、いつの間にか船尾の下甲板に現れていたシャチとペンギンがキャッチする。
「ああッおれの荷物!」
 ロシナンテの悲鳴もものともせず、ローは帽子を回している。ハンドレールから身を乗り出したペンギンがロシナンテに声を掛ける。
「次はどこ行くんだ?」
「ええ、次は……」
 一応候補に入れていた島の名前を告げると、二人がにんまりと顔を見合わせる。
「じゃあ、おれたちの航路と被ってるなァ。な、ベポ」
「うん!」
「お、じゃあまた会えるかもしれねェな」
 嬉しくなったロシナンテに、三人とその後ろに鈴なりになったクルー達ががっくりと肩を落とす。
 シャチがそうじゃねェよ!と笑った。
「違うぜコラソン! うちの艦に乗ってけって言ってんの!」
「おれは海賊にはならねェぞ」
 ふん、と尾びれの上のローが鼻をならして指を鳴らす。シャンブルズ、とオペオペの実の能力の呪文が聞こえたかと思えば、潜水艦の甲板に足を滑らせてドジる。ひっくり返った視界の中で、青空を背負った大海賊がいたずらが成功したガキのように笑っていた。
「いいからおれの艦に乗ってけよ、コラさん」
 かなりの高さから軽々降りてきたローが尻餅をついたままのロシナンテに手を伸ばす。
 ローを見上げて、ロシナンテは眉を下げた。
「おまえなァおれは海兵だぞ」
「今頃何言ってんだよ。そんな事とっくに知ってるよ。あんたが海兵でもなんでもいい。甲板で制服着て海兵体操しててもいい。あ、でも艦内は禁煙しろ」
「潜入捜査が得意の海兵を艦に入れる海賊があるか。センゴクさん呼んじゃうかもしれねェんだぞ。情報すっぱ抜くぞ」
「そんときは戦争だな。あんたの心臓を人質にしてやるから安心しろ」
 うんと言わねェと帽子とトランクは返さねェぞと脅迫を掛けてくる。
 なァコラさん、次の島までの足が欲しいんだろ? 提供してやろうって言ってんだ。ありがたくうんと言え、とローは全く三十億の賞金首とは思えぬほど悪知恵の働くガキの顔をしてあくどく口角を上げた。
 ロシナンテは手のひらを額に当てて天を仰ぐ。
 口元が緩んでることなど、きっと彼にはお見通しなのだろう。
 自分のやりたいようにする。そのための障害をこの男は軽々と超えていく。
 なにしろ彼にはもう、鉄条網の国境も、身を切る鳥籠も、寿命の枷もない。
 その代わりに、背を預けてどこまでも共に進む仲間と、何ものにも遮れぬ海を飛ぶ艦を持っている。
 いつか──ロシナンテが願ったように!
 ロシナンテはもうたまらずにくしゃくしゃに笑って吹き出して、差し出されたままのローの手を音を立てて握った。
「──なんって自由な海賊団だ!」
 ロシナンテがローの手で力強く引き上げられる。
 よっしゃァ!とクルーが盛り上がって、放り出されたロシナンテのトランクが甲板の空を舞った。
「アンタの所為だよ、コラさん! おれも愛してるぜ!」
 ローの台詞が、いつかの言葉の返事だとロシナンテには分かった。
 キャプテンおれたちも愛してる!とクルーたちがどっと沸いて盛り上がる。
 おう、とクルー達の愛を受け取った船長はは当然だという満足げな顔をしていた。

 海軍本部ロシナンテ軍曹は海賊艦の甲板でこの波瀾万丈の新世界の新たな海原を目を細めて見渡した。
 隣にはローが航路の先を見据えている。
 ロシナンテもまた、その先を見つめる。
「ロー、次の島は?」
「ああ、この島でログは取られてねェからワノ国の次の島だ。名前は──」
 島が見えたとクルーが叫ぶ。
 そこに待つものをこの世界の誰も未だ知らぬ。
 それは大海賊時代という時代の中、今もなお未来へうねりをあげて進んでいる。

 目覚めたら全てが終わっていた。
 全てが終わるのをまっていたかのように目が覚めた。
 新しい世界に目を開いて、息を吸って、立ち上がって、歩き出す。
 そしてロシナンテは今、この世界に生きている。

或海兵ロシナンテより愛を込めて 完