Back to the Once Upon a Time - 2/6

 「目ェ覚めたか!」
 う、と呻きながら目を開けた若い海兵にチョッパーが声をかける。
 海兵はぼんやりと周りを見回した後、はっとして身を起こし、痛みに呻いた。
「だめだじっとしてろ!」
「仲間は……! 二人は無事か!」
「ああ。二人はお前よりも傷は浅かったし、体の温度も戻った。今は寝てる。お前が一番危なかったんだぞ」
 チョッパーが海兵を落ち着かせながらそう告げると、彼はほっと肩の力を抜いた。
「そうか……良かった……。ありがとう、たぬきの先生」
 海兵は深々と頭を下げる。
「おれはトナカイだ!」
 憤然と鼻を鳴らすチョッパーに海兵は歯を見せて笑った。
 と、地鳴りのような勢いで海兵の腹の音が鳴る。
「腹減ってるのか?」
「三日間泳ぎっぱなしだったんだ。途中、雨飲んだり海王類をかじったり魚をかじったりしたんだが、昨日から何も食い物がなくてな」
 短い髪を搔いて照れくさそうに笑う海兵に、チョッパーはぎょっと目をむいた。
「三日間!? 二人を担いで!?」
「あいつら泳げんからな!」
「えっ」
 チョッパーはぎょっと目を見開く。海兵なのに泳げない?
 つまり彼らは――。
 彼の話から推測できる可能性をチョッパーが口にする前に、海兵はあっと頭に手を当てた。
「っと、これ言ったら怒られるやつだった。やっぱなしで!」
「えええ……!? で、でもまァいいよ。まずはサンジに言ってご飯作ってもらう。暖かい物食べたいだろ?」
「ありがとう。二人に会いに行っても良いか?」
「うん。でも一人で歩き回らせるのはダメだ。危ないし」
 サンジに飯を頼んで、起きてたら二人を連れてくるから待ってて、と言い含めてチョッパーが医務室から食堂の方へ出る。
 もう既に胃袋をくすぐる香ばしいにおいが医務室に流れていた。

 一人医務室に残された海兵は、チョッパーが部屋をでたその瞬間にブランケットを剥いで甲板に出るだろうドアに手をかける。
 こっそりと開くと、すぐさま横から声がかかった。
「……ヨホホホ、いけない子ですね」
 ドアから顔を出した途端、階段にもたれているブルックが静かに声をかけた。
 急に骸骨に声をかけられた海兵は、拳を握って振り返り、ぎょっと目を丸くした。
「生きた骸骨ぅ~!?」
 声をかけられた驚きから、ブルックの容貌への驚愕に変わる青年の顔をブルックは笑って見守る。
「ヨホホホ」
 「すげェ~~!! アフロつけた骸骨がしゃべってる!!」
 驚愕から恐怖に変わるはずの目は輝いてブルックを見上げていた。
 キラキラした顔でブルックに詰め寄る海兵にブルックは眼孔をきょとんとして呆気にとられた。
 すげェ!と子供のようにはしゃぐ海兵に毒気が抜かれてしまう。
「ヨホホホ、その反応まるでルフィさんみたいですねェ」
「ルフィ?」
「おや、言ってませんでしたか。我々は海賊ですよ、若い海兵さん」
 ブルックの視線に合わせて海兵は上を見上げる。白い霧は未だにサニー号から離れていないが、凪の海で張り直した帆と、メインマストのてっぺんにたなびく黒い旗はここからはっきり見えている。
 麦わら帽子を被った髑髏の海賊旗ジョリーロジャー
 世の中に知らぬもののいない、三十億の賞金首麦わらのルフィ率いる一味の旗。
「海兵さんならもちろんご存じでしょう?」
 ブルックの問い掛けに、海兵はじっと帆を見上げる。
 数秒の沈黙の後、海兵はがくっと首を傾げた。
「知らねェ」
 きっぱりと言い放った海兵に、ブルックはガクッと滑る。
「し、知らないんですか……」
「悪ィ、知らねェ。おれの仲間なら知ってるかもしれないけどよ」
「あなたそれでも海兵ですか……?」
「悪ィって……」
 驚くブルックに海兵は気まずげに頭を搔いた。
 しかしそう引きずる質でもないらしくぱっと顔を上げてブルックに尋ねる。
「あ、その仲間に会いに行こうと思ってたんだ、お前案内してくれよ」
「ヨホホホいいですよ」
「ありがとな、ガイコツ!」
「医務室では手狭だったので、女海兵さんには女性部屋で、もうひとかたはアクアリウムでお休みいただいてます。サンジさんのご飯ももうそろそろ出来ますよ」
「そりゃあ、ありがてェ!」
 こちら、と案内しようとしたブルックについて行こうと海兵は歩き出す。
 しかし二歩も進まぬうちに甲板二階のドアが激しく開かれる。飛び出してきたのは、包帯だらけの女海兵だった。シーツを纏っただけの姿で、髪は下ろされて肩に流されている。
 甲板の手すりを飛び越えようとしたところで、眼下の海兵に気が付いて目を丸くした。
「──っ! 伍長!」
 ギロリと鋭い眼光で海兵を睨み付ける女海兵に、伍長と呼ばれた海兵はぱっと顔をほころばせる。にこにこと顔を綻ばせたまま女海兵に手を振る。
「お! おつ……」
「伍長!」
「あっ、そういうことか!」
 伍長の言葉を再度語気鋭く遮られて、伍長が手を打つ。
「ハイ、軍曹ちゃん! 良かった目を覚ましたんだな!」
「良かったじゃないよ! なんで海賊に助けてもらってるんだい!」
「悪いやつじゃねェから大丈夫だ!」
「海賊だよ!? 何の根拠があって……」
「見捨てても良かったところを救われた。それじゃ足りねェか?」
 伍長にそういわれ、彼女が息を詰める。幾瞬かの逡巡のあと、軍曹ががっくりと肩を落とした。
「アンタはたまにそういう……」
 軍曹が諦めたことに気がついたのだろう、伍長は朗らかに笑って別の話を始める。
「それよりも、セン──いってェ!」
「曹長!」
「ハイ、曹長」
 軍曹に拳骨を落とされて頭を抱えた海兵は呻きながらも素直に名を隠す。
 ブルックは骸骨の顔ににこにこと笑みを浮かべながら彼らの様子を観察する。随分と仲がいい様子だった。
 軍曹は腰に手を当てて、背の高い伍長を叱りつける。
「勝手に飛び出して船沈めて遭難、その上海賊に助けられたなんて知られたら降格ものだよ。名前さえ知られてなきゃなんとでもあたしと曹長で誤魔化せるんだから」
「おれは別にいいよ」
「あたしらは困るんだよ。さっさと上に行かなきゃならないんだから」
「あのときは軍曹ちゃんだって飛び出したじゃねェか!」
「だってあれは……!」
 きゃんきゃんと噛みつきあっていた二人の会話が途切れた一瞬を狙い、ブルックは声をかける。
「ヨホホホ、曹長さん」
 軍曹はそこで初めて目の前の長身の紳士が骸骨であったことに気づき、ぎょっとした顔をする。けれどすぐに気を持ち直して背筋を正した。
「はい」
 生真面目な美女にブルックは腰を折って丁寧に陳情する。
「パンツ見せてもらってよろしいですか?」
「見せるかい!」
 風を切る鋭いアッパーカットがブルックの顎骨を狙う。ヨホホホとブルックが彼女の掌底を避ける。
 彼女の触れる寸前に軽やかに躱され、軍曹は柳眉をよせた。
 ほほー、と伍長が感心した顔をする。
 避けられた掌底を信じられない顔で見つめ、ブルックとその背飲むこうに見える帆の海賊旗に口を引き結ぶ。
「……この強さで、あたしが知らない海賊……?」
「な? 船長も、──周りも」
「……わかったよ。もう抵抗しない。だからその殺気をしまっておくれ」
 軍曹はため息をついて肩の力を抜いた。
 ふっとサニー号に張り詰めていた空気が緩む。
 鯉口に手をかけていたゾロが刀の柄から手を離し、物陰から目を離さずにいたロビンがひらりと構えを解く。

 

 ふっと空気が緩んだところに、威勢の良い声が二階から降ってくる。
「居たっ! ちょっと目を離した隙にいなくなるなんて油断も隙もないわ!」
 女性部屋から飛び出してきたナミが軍曹を見つけて拳を振り上げる。
 狼狽えた軍曹の腕を掴むと、手に持ったブランケットをほとんど下着のような薄着にシーツ一枚を羽織っただけの彼女の体に巻き付ける。
「ほらまた冷えてる!アンタ氷みたいだったのに、すぐ動いたら危ないじゃない! 風邪引いちゃうわよ!」
「わ、あ、ありがとう、お嬢さん」
 世話を焼くナミの勢いに押されてなすがままになる伍長がよほど珍しかったのだろう、伍長は目を丸くした後にぶふっと吹き出した。
 腰に手を当ててのけぞるように笑う。
「ぶわっはっはっは!鬼軍曹もかたなしだな、軍曹ちゃん」
「若くて可愛い女の子なんて海軍にほとんどいないんだ。仕方ないだろ。お風呂にも入れてくれたし……。服も貸してくれたし」
「可愛いなんて♡ もっと言って♡」
 気が緩んだことで寒さも戻ってきたのだろう、ブランケットに身を包んだ軍曹は軽くくしゃみをする。
 可愛いと褒められたナミは相好を崩して笑った。お風呂に入って手当てを受ける間に少し話をして打ち解けていたらしい。
 軍曹は息をついてマストのベンチに腰掛けた。そのまま伍長を見上げる。
「伍長、アンタにも礼を言わなきゃね。ありがとう。もう大丈夫だよ」
 うっ、と伍長が肩をすくめる。
「伍長」
 軍曹がさらに畳み掛けようとしていると、二階の通路から二つの声がかかった。
「あーっ! お前ェ! 動くなっていっただろ!」
「二人とも無事だったか」
 ヘビーポイントのチョッパーに肩を借り、それでも二人の海兵を見てほっとした顔をするのはアクアリウムで寝かされていたもう一人の海兵だった。
 チョッパーが介助しながら階段を降りると、軍曹が彼の様子をみてほっと息を吐いた。
「曹長、無事で良かった……! あいつに吹っ飛ばされて海に落ちていたから、もしかしたらと」
「そんなにやわじゃないさ。船医さんのおかげで五体満足だ。トナカイの医者は初めて見たが、すごい医者もいたものだ」
「おれは海賊だぞ。かっ、海兵に褒められても嬉しくねーんだからなこのやろが!」
「すっごく嬉しそうね」
「ヨホホホ!」
 チョッパーがくねくねと照れ隠しをしているのを、ナミとブルックは呆れながらも微笑ましく見守る。
 からからと笑う曹長と呼ばれた海兵に、軍曹は心底安堵した吐息を漏らした。
「よかった……」
 マストのベンチに腰掛けながらも張り詰めていた軍曹の背筋が緩む。
「伍長!」
 曹長は芝生の甲板におりると伍長を呼ぶ。ブルックが振り返れば伍長は唐突にぼおっとした様子で甲板に立ちすくんでいた。
「伍長さん?」
 思わず様子を訊ねたブルックの言葉に彼は慌てて頭を振る。
「お、おう」
 曹長が呆れた顔で伍長の肩を叩く。
「伍長」
「おう」
「助かった。ありがとう。もういいから、ちょっと休め」
「あ? おれァへい……き……?」
 曹長のねぎらいを聞いた瞬間に、ぐしゃり、と膝の力が抜けた伍長が頽れる。
 ぎょっと目をむいたブルック、ナミとチョッパー、離れたところで見守っていたゾロ達も目を丸くして腰を浮かしかける。
「無茶をする……」
 一方で曹長は慌てるでも無く、くずおれた伍長を肩で支えて苦笑した。ばたばたとチョッパーが声をかけながら近づく。
「大丈夫か! だから安静にしてろって言ったんだぞおれは! 脱水に極度の疲労、低体温、それに腹の傷! 生きてたのが不思議なくれェなんだ!」
「大丈夫だドクター」
「寝てるだけだよ、まったく……」
 曹長と軍曹が声を揃える。
 それでも心配だったチョッパーが伍長の様子を診察し始める。
 それをどこかうれしそうに見つめて、ごほん、と曹長が咳払いをした。
「飯になれば起きてくるだろう。その間に、この船の船長に挨拶できるか。礼を言いたい」
 サニー号の船首に座っていたルフィが船長と呼ばれて飛んでくる。
「ししっ、気にしなくていいぞ」
 芝生の甲板に大の字に眠る伍長をそのままに、曹長が膝をつく。
「そうはいかん。海賊とはいえ命を救われた以上、筋は通すさ」
 軍曹も頷いて芝生の甲板に居住まいを正す。
「おれたちの命を救ってくれてありがとう。あのままならおれたちは三人とも溺れて死んでいた」
 深々と頭を下げる海兵二人に、ルフィは麦わら帽子の下の笑みを深めた。ナミが照れくさそうに頬を染め、ブルックが朗らかに笑う。ふふ、と笑うロビンは懐かしい誰かを思い出しているのだろうか。チョッパーは驚いた顔で二人の海兵を見つめ、ゾロは愉快そうに降格をあげていた。
 海兵は顔を上げるときっぱりと補足する。
「だが、もし海賊行為を行うならばおれたちも容赦をしないのでそのつもりでいてくれ」
「そうか! わかった!」
「わかったってアンタね!」
 曹長の言葉に、ルフィは心底愉快そうに同意し、ナミが額に手を当てる。
 そのあっけらかんとしたルフィの同意に唖然とした二人は顔を見合わせ、それから肩の力を抜いて苦笑した。
「どこかの誰かを思い出すな」
「全くだ」
 ちらりと海兵たちに視線を向けられた男は鼻提灯を掲げてぐっすりと眠りこけていた。