ふと、軍曹と雑談していたナミが、ぱっと顔を上げた。
同時期にルフィも笑みを引っ込めて海を見る。
「来る」
図らずもそろったナミとルフィの言葉。
それを後押しするように、見張り台のフランキーの声が船に響く。
──六時の方向に船影!
クルーと海兵が船の後方デッキに集まって目をこらす。
「でけェ……」
「三隻全部海賊団か?」
霧をかき分けて現れたのはボロボロになりながらも勇壮な巨大ガレオン船の艦隊だった。
多くの帆は破れ、船腹に穴が開いている。甲板は焦げ付いている。それでも三隻の主砲はこちらを向いている。
徐々に見えてくる帆のジョリーロジャーは”笛を吹くガイコツ”。
「見つけたぞォ!」
割れ鐘のような声がサニーに届く。
「ノーフォーク海賊団、”笛吹き”のビフの大船団。この目で見るのは初めてです。目! 無いんですけど! ヨホホホ」
「笑いごっちゃねェよ」
ブルックは断定し、サンジはふぅッと煙を吐きながら睨み付ける。
ナミは船団よりも上空を見上げて呟く。
「やっぱり──。ジンベエ! 舵を取って! 南東から風が吹く! 艦にぶつからないようにできる!?」
「あいわかった! フランキー、帆を!」
「アウ! 任せなァ!」
ナミの指示でジンベエが舵を取った瞬間、唐突に雷が鳴り始める。
吹きさらす突風と、風に飛ばされぬ霧。
帆を操り、舵を切り、荒れる海を滑るように艦隊に切り込んでいく太陽の船。
「あいつの相手はおれたちだ」
伍長が拳を併せて後部甲板に現れる。
「世話になった。ここでお別れとしよう」
「ありがとうね」
そんな荒海など物ともせず、いつの間にか制服を着込んが三人の海兵たちが堂々とデッキに足をかけていた。
「……探す手間が省けたな」
曹長が好戦的に口元をつり上げて笑う。
「ぶわっはっは! 追っかけてきてくれたか!」
「ありがたいねェ」
肩をならす曹長に伍長が笑い、曹長も楽しそうに微笑んだ。
戦いは風と雷と霧の中で始まる。
「許さねェ! 海兵どもォ!」
三隻の海賊船のうち中央の船から現れた巨漢が、銅鑼声を張り上げた。腰に巨大な笛を下げている。
「なんてことしてくれたんだァ……! おれの可愛い可愛いガキどもを一人残らずひっさらいやがって!! 船までこんなに少なくなっちまったァ!」
嘆く巨漢──”笛吹き”のビフに曹長が応じる。
「お前の可愛いガキどもはおれたちの仲間が保護している。もう二度と犯罪の片棒は担がせんし、まっとうな人生を送らせる!」
「プーッパパパパ! スケスケの嘘を吐きやがって! まっとう? あいつらァ海賊のガキだぞ! 生きてても死んでても”真っ当”にはほど遠い! 物好きな貴族に飼われたほうがよっぽど”まっとう”だろうが!」
「黙りな!」
軍曹が突風の中、ビフに的確に銃弾を放つ。ビフは腰のラッパでそれを退け、げらげらと特徴的な笑い声を立てた。
伍長はビフに啖呵を切る。
低く重い声。
だが、雷と突風の合間を縫ってそれは朗々と海に響いた。
「海賊の子だろうが、子どもは子ども。……泣いて頼んだじいさんにとっては可愛い孫。たとえ海賊であっても家族に違いはねェ! 」
伍長の脳裏によぎるのは、既に老境を超した海賊の老翁が涙を流しながら攫われた孫を救ってくれと頼み込む姿だった。海賊が海軍に頼み込むほどの、切実さに打たれた。
その言葉に、ルフィが麦わら帽子を押さえながら、すこし驚いた雰囲気でその背を見上げた。
三人の服はまだ海軍将校のコートではない。
けれど確かに”正義”がその背には刻まれていた。
「曹長! 私は左を、アンタは右を。伍長、ビフはアンタがやんな! 手柄はアンタにやる!」
「ありがとう! いらねェけど!」
「おおおお!」
雄叫びを上げた曹長が、光り輝きながら巨大に膨れ上がり、曹長を左の船に投げ飛ばす。
本人もサニー号を傾ける勢いで飛び上がり、右側の船に向かった。
その黄金の巨人をルフィは覚えている。忘れるはずも無い二年前の戦場で自分に牙をむいたあの巨人が脳裏によぎる。
「ええええ~~~!?」
ぎょっと目を剥いたルフィに伍長が振り返る。
「世話になった。また会おう、海賊ども! 砲弾借りてるぞ!」
一瞬振り返った伍長がルフィたちにニカッと笑いかける。
その手にはいつの間にか砲弾がいくつか握られている。サニー号からいつの間にか拝借していた砲弾をお手玉のようにくるくると回し、そのまま火薬よりも数倍激しい勢いで投げ飛ばした。
「拳・骨・流星!」
「はァ!? おい、ちょっと待てその技ッ!」
「あんたのおじいさんの技……!?」
「嘘だろ……」
「えっ!? なんで伍長がルフィのじいちゃんの技を!?」
ウォーターセブンで出くわしたあの伝説の海兵を忘れるはずも無い。
サンジが驚きの声を上げ、ゾロが絶句し、ナミとチョッパーが悲鳴を上げる。
「スーパーにとんでもねェな」
「あら……」
フランキーとロビンが呆気にとられる。
ブルック、ジンベエ以外がぎょっと目を剥くなか、伍長が船を飛び移る。
ルフィはその背をただ目を丸くしながら見つめていた。
伍長の足がサニーから離れた瞬間に、ナミもまた何かを感じる。
「──また風が変わった」
風は止む。
霧の向こうではまだ雷と突風が続いている。
霧の向こうに、三隻の海賊船と、交戦の音が消えていった。
まるで何もなかったかのように。
残ったのは深い霧だけだ。その霧もまとわりつくような奇妙さは薄れている。湿り気を払う冬島の寒風さえ流れてきている。霧はそろそろ晴れるだろう。
「……ヨホホホ、いやはや、新世界というのは面白いですね」
ブルックの笑い声に、放心したように船と海兵の消えた先を眺めていた船員達がほっと息を吐く。
気が緩んだ瞬間、西に傾きつつある太陽を遮る影がサニーの横にさしかかる。
「うェっ!?」
最も早く見つけたウソップがぎょっと声を漏らした。
霧に紛れて近づいていたのは、白い帆の立派な海軍の巨艦であった。サニー号が小さく見えるほどの軍艦がほんの一海里もない場所を航行している。思わず互いに口を押さえあうナミとウソップとチョッパーだが、軍艦はそのままサニー号とすれ違うように進んでいく。
「こっちには気づいてない…?」
「………ああ、大丈夫だ」
ロビンのつぶやきを聞きつけたルフィが静かに応じる。
そのまま、海軍の巨大軍艦は霧の向こうに消える。
霧が晴れたその先には、真っ青に晴れた明るい空と、どこまでも続く美しい水平線が見えた。
ここは軍艦。舳先で老兵たちが視線を向けているのは、遠ざかっていく太陽を模った船首の船──海の皇帝が一角の船だ。
歴戦の老将の影が霧の中で和やかに話している。
「いいのかい、アンタ。会わなくて」
「ええんじゃ、次に会ったら戦争じゃと言っといたからのう」
「あちらは何人か気づいていたようだが?」
「元気そうでよかったわい」
「ふふふ、ついさっきまで忘れていたのに、今はもう懐かしい。まさかあの子が赫足の弟子だったとは……通りで美味しかったねェあのスープ」
「このまま東の海に行くか? おつるちゃん」
「よしとくれ、ガープ。そんな暇は無いよ」
くすくすと笑う老将たちの目は優しく冬の島を目指す太陽の船を見送っていた。
「恩に免じて、見逃すのはこれっきりだからな」
「そうじゃな。また海は荒れる。──そのときにあやつらともまた会えるじゃろう」
「嬉しそうな顔をするんじゃないよ」
「縁起でも無ェ」
三人の年経た笑い声がさざ波のように遠ざかっていく。
「いずれ相見えるときまで元気でやっとれ。”麦わらのルフィ”とその仲間たちよ」
サニー号では船首に腰を据えた麦わらのルフィは冷たい潮風にも心地よさそうに目を閉じていた。
「……ししし」
潮風に麦わら帽子を押さえて、船首に横たわる。満足げな笑みを浮かべて何を思うのか。誰を思うのか。
霧の晴れた空は抜けるような水色に染まっていた。
もうすぐ仲間の声が聞こえるだろう。
「島が見えたぞォーー!」
完