三日月ブルーの煩悶 下 - 7/8

#16

「いいか、おとなしく座っていろ」
「分かったといっているだろう」
 言い含める三日月宗近にベンチに座るのは大包平。目を引くのは大包平の手にある杖だった。
 ちらり、ちらりと審神者や刀剣男士の視線が気遣わしげに向けられる。
「三日月、出れるか。そろそろ……」
「ああ。すまぬ」
 声を掛けたのは鶯丸。その後ろから顔を覗かせるのもやはり大包平だった。
「こちらは準備できたぞ」
「ああ。ありがとう。今行こう」
 鶯丸の後ろの大包平を振り返り、三日月が相好を崩して背を伸ばす。
 その背をにやにやと笑った目が追いかけて、三日月は眉を寄せた。ベンチの大包平を睥睨すれば、想像通りの顔にぶち当たる。からかってやりたいと顔にでかでかと書かれている。
──同じ大包平だというのに、このかわいげのなさは一体何なのだろう。
「何がおかしい」
「いや? 何も」
「ではそのだらしのない顔を引き締めておけ」
 むち打つように言い捨てて狩衣を翻す。それでもどうしても一言釘を刺したくて横目に言い含める。
「……いいか、くれぐれも大人しゅうしておれよ」
「何度目だ。この足でそうそう動けるか。さっさと行け、勝ってこんと許さんぞ」
 追い払うように手を振った大包平に不安になりながらも振り返ってこちらを待つ古備前の兄弟を追いかける。
「すまぬ、待たせたな」
「いや、……お前が楽しそうで俺たちは嬉しいよ」
 心外だと目を丸くすれば、鶯丸がけらけらと笑う。大包平もそれに頷いて口元を緩めた。
「それほど心配せずとも、修復は順調だそうだぞ」
「それは心配しておらぬよ。だが、あれは手入れ部屋脱走の常習犯でな……」
「そうなのか」
「うむ……いや、それはそれ。今日はまた聯隊長殿の部隊との演練だったな」
「ああ。腕が鳴るな!」
 ゲートに向かえば既に三日月を待つ第一部隊が戦支度を調えていた。古備前の兄弟と三日月、浦島虎徹と蜂須賀虎徹、そして秋田藤四郎。
 前回の演練より、幾度も戦に出て強くなった。今や阿津賀志山とて踏破して久しい。

──あの夜、主は血を畏れながらもそれを克した。三日月の前の主の真実を知り、そして畏れを知りながらも乗り越えていく強さを思い出した。
 青山の主に託された鏡がお守り代わりになったのか、蘇った大包平。赤穢にも黒穢にも塗れた大包平をその手一つで浄化し、破損した器さえ救い上げた巫女姫は、本丸の主としての自覚に目覚めてしまった。
 それが良いことなのか、悪いことなのか、今の時点では三日月には分からない。
「さて、給料分は仕事をするか」
 煩悶は頭の隅に置き、三日月はゲートを出る。
 戦場を模した空間だが、ドーム状に展開した空間の向こうには観戦席も見える。主の隣に杖を突いた大包平が控えている。
「主さん!」
 浦島と秋田が主に大きく手を振り、主はそれに控えめながら嬉しそうに答える。
 向かいに整列する聯隊長の部隊に目を向けて三日月は目を細めた。
 相も変わらず仏頂面の三日月宗近と、その脇に控える鉢巻きをした山姥切国広。姫鶴一文字と日光一文字、先日と同じく泛塵と大千鳥十文字槍。
──狙い目がわかりやすい。
「これは……この前と同じ作戦をしろと言われているのか?」
 鶯丸の問いかけに三日月は首を振る。
「いや、あの本丸に同じ作戦は通じない。はじめの刀までいるとなると──そうだな。秋田」
「はい!」
 素直な短刀に顔をほころばせながら三日月は秋田に耳打ちする。そのまま蜂須賀たちにも。
「この前は戦線崩壊にはいたらなんだ。今度はかの無敗の戎馬の一振りくらいは組み伏せてやろう」
 好戦的に笑う三日月に、つられたように部隊の肩の力が抜ける。
「派手に暴れたらいいんだね」
「任せて!」
 人工太陽に照らされる戦場へ足を踏み入れる。
 主が固唾を呑んで見守り、演練が開始された。

──結果は敗北。
 それでありながら、聯隊長の部隊は悔しげな顔と驚いた顔を織り交ぜており、三日月達はそれはもう清々しい顔でフィールドを出る。
 途端にシミュレーションで負った傷は癒え、秋田などは一目散に主に飛びついていく。
「まさかあの山姥切国広に一太刀浴びせることができるとは!」
「俺たちがあの本丸の刀を下す日が来るとはね」
 興奮しながら話す大包平に、蜂須賀も顔を明るくさせながら応じる。
 負けは負け。
 しかし遙かに格上の相手の一振りを戦線崩壊させ、その上かの本丸の初めの刀の刀装を剥いだ上で一太刀浴びせ掛かることができた。
 おそらく他の刀たちは気がついていないが、山姥切国広への一太刀で火が付いた相手方は少々本気を出してきた。桁違いの経験差のある相手に本気を出させて負け戦。演練であればこそ、それは素晴らしい戦果だ。上官の見る目が変わっているのを三日月ははっきりと認識している。
「──上々」
 三日月はぽつりと呟いて、口元を引き結ぶ。
 秋田達を迎えた主はやはり戦場の血の気にすこし怯えている。それでも己が刀の健闘を心から讃えて笑っていた。
 主からの賞賛は何よりの誉れになる。刀として何よりの喜びを得た刀たちは、今や清廉な霊力と充実した気力で輝かんばかりだ。
 そのひとかたまりの部隊を眺めて、三日月は目を眇める。
 主が怯えるから──と戦に消極的だった刀たちもまた少しづつ変わっていくだろう。
 この優しい本丸に強くなって欲しい。何にも負けぬくらいに。決して壊れぬくらいに。
 だが、それだけをすべてにして欲しい訳ではない。人の身を楽しんで生きて欲しい。
──逝ってしまった主のように。
 得てほしいのは身を擲つ強さではなく、己と仲間と主を共に守れるような──。
 コツ、と杖を突きながら歩く音と己を呼ぶ声が聞こえて三日月は思索を止めて振り返る。
「三日月、また悩み事か」
 凪いだ鋼色の視線を受け止めて、三日月は苦笑した。
「大包平。この本丸は強くなると思うか」
「強くするのだろう、お前と、俺で」
「ああ……」
 それが正しいことなのか分からぬまま頷けば、大包平はため息を吐いた。
「お前はいつでも何かに悩んでいるな。本丸のこと、主のこと、飯のこと、任務のこと、俺のこと、仲間のこと──よくもまぁ尽きんものだ」
 呆れた顔で大包平が杖の先を胸の防具に当てる。杖を払い、三日月は肩を竦めた。
「性分だ。あの主に励起された時からな」
「……ならお前は延々悩んでいればいい。俺はお前の悩みごと先へ連れて行ってやろう」
──大包平さん、三日月さん。
 新しい主が手招いている。新しい本丸の仲間が三日月を、そして大包平を待っている。
「俺が生きてて良かったな?」
「抜かせ」
 少し先を行く大包平が三日月を振り返る。
 三日月は世迷い言を鼻で笑いながら主の元へと歩を進めた。
「お前が生きていて良いところは今夏の戦隊映画の連れができたことだけだ」
「十分だろうが!」
 背に掛かる声を無視して三日月は主の元へ向かう。

 悩みは尽きねど、それでも進むのだと──いつかのトウケンレッドが言っていたので。