二章 顔を上げて  - 2/5

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 偉大なる航路後半の海──今では新世界と呼ばれる海の航海は島と島を渡ることでさえ命がけだ。それは海軍艦とて例外ではない。
 そのため、海軍では基本的に緊急時以外は艦橋ブリッジに設えられた数多くのエターナルポースを利用して島の気候海域をなるべく出ないように航行する。必要があれば都度島に寄って海賊への牽制を行うのが常だった。
 時には商船代わりにはならなくとも軽く島民の御用聞きなんかもする。どうしても移島する必要がある民間人を乗せて航行するなんてこともある。
 その道筋を極めるのが航海士の腕の見せ所であり、実際に決断する艦長の実力の見極めになる。
 その点でコビー艦はなかなかに腕のいい航海士がいるらしい。
 今まで乗った艦と比べてもかなりの速さでG-5支部まで艦は進んでいる。あと5日も無く到着するだろう。
 そんな日に飛び込んできた速報は、偉大なる航路のサイクロンよりも激しくロシナンテの心をかき乱した。

 四皇の二角、墜つ。

  乾いたぼろ布で砲丸を磨いては棚に戻しながらロシナンテはただぼんやりとしていた。
「……三十億かァ……」
 ぽつりと誰も聞かれぬように呟く。 今日の朝にニュースクーから飛び込んできたニュースで艦は沸いた。センゴクの隣で朝ご飯をゆっくりと咀嚼していたロシナンテがびっくりして椅子ごとひっくり返るくらいにどっと沸いた。
 客分である大目付がいなければ一層盛り上がっていたかもしれないが、なんだか好意的な盛り上がり方にみえたのはロシナンテの気のせいだろうか。
 海軍の伝書バットが運んだのは〝死の外科医〟トラファルガー・ローとその同盟相手ユースタス〝キャプテン〟キッドと麦わらのルフィによる四皇カイドウとビックマムの撃破の報。そして新たに更新された新たな四皇とその同盟相手の手配書。
 十三年近く眠っていた自分に叩き付けられるには動乱過ぎる情報にくらくらとしながらも、その運び込まれた手配書の一枚に息を呑んだ。
 どこか懐かしい柄の帽子の下で険しい顔をした青年の下に刻まれた、忘れるはずのない名前。
「うわァ~! ル──」
 茫然としていたロシナンテは、感極まったような声に我に返る。
 声の方に視線を向ければ、コビー大佐がめがねを下ろしてまで手配書を食い入るように見つめていた。
 ヘルメッポ少佐が慌ててコビー大佐の頭を押さえつけて手配書を取り上げる。
 その真っ白い姿で大笑いしている手配書は、ロシナンテも入院中に調べ上げた大海賊、麦わらのルフィのものであった。
「ばーかッ! 声がでけェ!」
「でもヘルメッポさん!」
「ダメ!」
 感極まったのか何か喝采のようなものを上げようとしたのをヘルメッポ少佐が後頭部をたたき落とす勢いで黙らせる。
 クルーたちは馴れているのか優しさなのか見ない振りをしていた。
 二人の喧噪に吹き飛ばされて、一枚の手配書がロシナンテの前に滑り込んだ。
 死の外科医と呼ばれるようになった元王下七武海の一画さえ担った大海賊の三十億の賞金首。
──ああ。
 その面差しは間違いなく、その間に隠された名前さえ知っている子供だった。ロシナンテが知っている病に冒された13歳の頃よりもずっと逞しく、健康な、海賊の姿。
──ローだ。
 戦ってるところか。怪我とかしてねェだろうな。余裕のねェ顔だ。でも、生きてる。
 とりとめも無く胸中にどっとあふれ出す感情に、ロシナンテの手がぴくりと動く。
「もー、コビー大佐。他の書類まで落とさないでくださいよ!」
 ロシナンテの向かいに座っていた新兵がロシナンテよりも早くローの手配書を拾い上げた。
 ロシナンテは一瞬伸ばしかけた手を押さえ、テーブルから立ち上がった。
「ロシナンテ?」
「ごちそうさまです。砲丸磨き行ってきます」
 三十億の賞金首といえばもうドフラミンゴよりも上だ。ロシナンテがよく知る中なら、それこそ四皇のカイドウ、ビッグマム、白ひげ、金獅子、銀斧と並ぶではないか。
 それほどの大海賊として悪名を轟かせている相手に対して、やはりどうしてもわずかな嫌悪も不快も浮かんでこなかった。
 初めて〝死の外科医〟の二つ名を持つ大海賊トラファルガー・ローの手配書を見たときもそうだった。
 海賊となったことはロシナンテの海兵の部分が多少なりともショックを受けたものの大きな驚きはなかった。あの幼さですでに一端の医師を凌駕していた才能を知っていた身としてはその才能がもったいなくも感じたが、それだけだった。
 3年もの間海賊として英才教育を受けていたのだから選択肢としてはいるだろうという納得もある。世界政府への憎悪も知っている。
 それよりもロシナンテに浮かぶのはもっと暖かなものだった。
――どれくらい大きくなったのだろうか。あんなに小さかったのに。
――しっかり飯が食えているのだろうか。心配だ。
――あれからきっと病は治ったんだなァ。うれしい。
――それからはもう病気はしていないだろうか。
――楽しく生きてくれているのだろうか。自由に生きているのだろうか。
 そして――たまには自分を思い出してくれたりするだろうか。
 そんな海賊に対するものとは思えない感情がロシナンテの胸いっぱいに広がるばかりだ。
 かつてのロシナンテは海の屑たる海賊に対してそんなことなど考えなかった。
 実の兄の手配書を初めて見たときに感じた絶望や焦燥感とは全く違う。海賊へ感じる苦々しさや軽蔑や焦燥とは違う。
 何もなせぬまま、ただ蘇ってしまったこのドンキホーテ・ロシナンテは、かつての海軍本部ロシナンテ中佐とはあまりに違ってしまっていることをその瞬間にはっきりと自覚した。
 海兵でありながら、海賊を案じ、その生を心から喜んでしまっている。
 ロシナンテは未だそれをどうにも飲み込みきれずにいた。
 食堂を去るロシナンテの背を視線が一つ追ったことに、手配書に気を取られていたロシナンテは気付いていなかった。

 それからというものいつもの三割増しでドジが続いた。
 ついにつるりと磨いていた砲丸が手元を離れる。
「…ドジった!」
 間一髪で砲丸を足の甲に落とすのは免れたが、ごろごろと波に揺られて倉庫から出て行ってしまう。あーあーと見送っても戻ってくるはずもなく、頭を?きながら向かいの棚で砲丸磨きをしている相手を呼ぶ。
「悪ィ、取ってくる」
「気をつけてください!」
 転がった砲丸を追いかけるが、波に揺られるせいでなかなか砲丸は止まらない。
 追いついたのは艦でも船尾の角にあるリネン室──今は人の居ない場所だった。
 やれやれと砲丸を持ち上げたところで、ロシナンテの耳がひそひそと囁く声を拾う。
「……あんなところで大声だすやつがあるか」
「だ、だって……ヘルメッポさん」
ヘルメッポ少佐と話をしているのはコビー大佐だろう。
「大目付がいたンだぞ!」
「大目付はそんなこと気にされませんよ」
「分かんねェだろうが! 連れてきたあのでけェ雑用だって本当に雑用なのかなんて──」
「ヘルメッポさん」
「っ……だってよ……」
 まさか自分の話題になるとはつゆ知らず、思わず離れようとした足が止まる。
 気まずい沈黙が二人の間に流れる。彼らは気付いていないかもしれないがもちろんロシナンテもずいぶんと気まずかった。
「大丈夫です。あの人は」
 リネン室できっぱりと声がする。ロシナンテが想定するよりずっとはっきりとした肯定にロシナンテが驚く。コビー大佐は続ける。
「ぼくとヘルメッポさんの他にもう一つ、深い感情の|声《・》があったんです。……深くて優しい、誰かを心から案じる声だった。初めは誰か分からなかったけど今は分かります。ね、ロシナンテさん」
 開かれたリネン室の扉の中には、ぎょっとした顔のヘルメッポ少佐と、したり顔のコビー大佐がいた。
 ヘルメッポ少佐は気づいていなかったのだろう、気まずそうに顎を?きながら顔を逸らす。
「ヘルメッポさんだって分かってるでしょ?」
 ヘルメッポ少佐が眉を下げてぐっと息を詰める声がする。何か言ってやろうと思う前に、どこかからヘルメッポを呼ぶ声がする。
「……呼ばれてるから行く」
 踵を返して去って行ってしまった少佐を引き留め損ねたコビー大佐が申し訳なさそうな顔でロシナンテを見上げた。
「……ヘルメッポさんがすみません。心配してくれてるだけなんです」
「おれのほうこそ立ち聞きしてすみません。ドジっちまって」
「いえ、ぼくは気づいていたので」
 そんな気はしていたのでロシナンテも驚きはしない。
「その年ですごい見聞色の覇気ですね、大佐」
 思わず褒めると、コビー大佐は少年らしくはにかんで照れる。
 コビー大佐の噂はリハビリの最中で聞き知っていたが、噂以上に鋭敏な見聞色の使い手なのだろう。
 だが将校に成り上がるにはあどけない少年らしさが残っている。腹芸の似合わないまっすぐさがあった。
 なにしろ、彼の手の中には大事に抱きしめられた麦わらのルフィの新規手配書が抱えられている。
「まァ、海軍将校が賞金首の手配書を宝物みたいにもってたら、不安になりますね」
「えっ、あっ……! いやそのこれは……」
「ははっ、冗談ですよ!」
 笑って彼の桃色の髪をかき混ぜると、彼はきょとんとしたあとにふふっと含み笑った。上官に対して失礼な気もしたが、彼が気にしていないので今だけは気にしないことにする。
「……昔のおれなら進言したかもしれないが、今は……少し気持ちが分かりますから」
「……やっぱりあなたの声だったんですね。ルフィさんに会ったことが?」
「いやーははは、麦わらには感謝してるけど、直接は会ったことねェんです。海賊だって好きじゃねェし」
「じゃあ、ルフィさんじゃなくて……」
「コビー大佐、麦わらのルフィがそんなに好きなのに、どうして海兵に?」
 話を遮るように質問をする。コビーはきょとんとした後、照れたように後ろ頭を掻いた。
「いやーあはは、僕本当に昔はダメダメで。でも、ずっと本当は海兵になりたかった。──そんな僕の背を押して、変えるきっかけをくれたんです。ルフィさんは恩人なんです」
「麦わらは海賊なのに?」
 ロシナンテの言葉に、コビーは大きく頷いた。
「はい。ルフィさんは海賊で、僕は海兵です。もっともっと彼にかなうくらいに強くなって、いつか戦う日は、僕がきっと彼を捕まえます!」
 えへへ、と少年は頭を掻いて照れくさそうにはにかんだ。
「全然かなわないんですけど。でも、必ずまた〝新世界〟で会うのを楽しみにしてるんです。彼のおかげで、僕は僕の正義を見つけられました」
 大事そうに抱えられた麦わらの手配書と、まっすぐな目で正義を背負う少年を幾度か見比べて、ロシナンテはふと相好をくずした。
「そうか……、おれの正義、か」
 首を傾げるコビー大佐に敬礼をし、ロシナンテは辞する。
 途中すとんと廊下を転がったものの、今度は砲丸を抱えたまま起きあがって足早に廊下を進む。
 ローの手配書を一枚、誰かに融通してもらえないか頼もうと考えるロシナンテの足取りは軽かった。

5
 翌日は明け方から波が高く風が強い日だった。嵐になりそうでならぬ海に焦れるうちにあっという間に昼が過ぎる。
 コビー大佐の指示で昨夜から悪天に備えっぱなしだった船員たちに班ごとの休息が言い渡されロシナンテと同じ班の他数名は諸手をあげて喜んだ。
 すっかり打ち解けた新兵たちがロシナンテを誘う。
「ロシナンテさん、メシ食ってキャビンでトランプしません?」
「行く、一服してからな」
「帆を燃やさないでくださいね!」
「燃えてんのはおれだけだよ」
「それもそれで。人がいるときに喫ってくれよ」
「ドジって海に落ちないように気をつけて」
 けらけらと笑う海兵に手を振って別れ、ロシナンテはいそいそと船尾の回廊に足を向ける。
 驚くべきことにこの艦では喫煙所が設えらていた。甲板で煙草を吸っている海兵が少ないなァと思えば喫煙所を案内されてロシナンテはぎょっとするほど驚いた。
 ロシナンテが〝死ぬ前〟は下士官から艦長に至るまで大体の海兵はあらゆる場所で煙草を燻らせていた。紙巻き葉巻の区別はあれど、大体が吸っていて、凪で停滞した日などは艦橋が煙で充満して火事かと大騒ぎになった記憶もある。潜入捜査時も海賊船でそんなことを気にするものは居なかったのでドンキホーテ海賊団でも喫煙に気兼ねはしなかった。
 十三年という短くない期間は海軍という大きな組織さえも変化するらしい。なんて健康的!と思いながら酒保で漸く買い付けた安い煙草と、無理を言ってもらい受けた手配書をポケットから取り出す。
 喫煙所になっている船尾回廊に回って、ロシナンテはあっと立ち止まった。思わず手配書をポケットにしまい直す。
 金色の長い髪をまとめた青年将校が回廊の端で肩身が狭そうに身を屈めて煙草を燻らせていた。
「うげ」
 彼はロシナンテを見上げてぎくりと肩をすくめ、きょときょとと周りを見回して慌てて胸を張る。
「ヘルメッポ少佐」
「雑用のおっさんかよ」
「おっさん……」
 そりゃあもうおっさんだが、とがっくりと肩を落とすロシナンテに、ヘルメッポはひぇっひぇっと笑う。ロシナンテは灰皿に灰を落としに近づく。
「……ご一緒しても?」
「コビーに言わなきゃいいよ」
「あれ、禁煙中ですか」
「通算五回目の。明日から六回目の禁煙だ」
「そりゃ頑張ってください」
 ヘルメッポの口元が変な形に歪む。何かを言い出そうとして、言いにくそうに言いよどんでいる。
 ロシナンテの視線からは、サングラスの下の垂れ目がうろうろとさまよっているのが見えた。眉がへにゃっと情けなく八の字を書いている。
──腹芸が下手なのはこの子もかァ。なるほどサングラスがいるなこりゃ 勝手を思いながら彼が口を開くのを待つ。なんだか懐かしい気がするのは、素直じゃないのに素直なあの子を思い出すからだろうか。
 ヘルメッポ少佐の煙草がちりちりと巻紙を焼く。
 ちらり、とサングラスの下の視線がロシナンテを横目で見上げて、ぎょっと見開かれる。
「ぎゃあ! 燃えてる!? バケツ!」
「あッっつァ!!」
 互いに肩で息をする。ロシナンテは灰皿の横に置かれたバケツの水でびしょ濡れである。
 燃えたスカーフはあとで繕っておこうとポケットにしまった。
「なッ、なんなんだあんた……」
「おれはドジっ子なんだ」
 真面目に応えると、ヘルメッポ少佐はがっくりと肩を落とした。それから口をとがらせる。
「……悪かったよ」
「へ?」
「疑うようなこと言って。再任用、なんだろ」
「聞いたのか」
「事情までは聞いてないけどよ。世界徴兵の雑用にしては海軍式に馴れすぎてたから変だと思ったんだ。敬礼とか……。本部とか政府からきた監査とかのやつかと……、あいつ目を付けられててもおかしくねェし……」
 ヘルメッポ少佐がぼそぼそと言い訳する。それがひどく気まずそうで、ロシナンテは思わず吹き出した。
「コビー大佐が心配だったんだろ? 見てれば分かる」
「そんなんじゃねェよ!」
「はは、艦に極秘で監察に入るときは大体雑用じゃなくてそれなりに階級つけて入るさ。雑用だと動きにくいし、准尉あたりをよく使ったかなァ」
「は?」
「……おっと、これはあんまり言っちゃいけないやつだ」
 ごまかしにウインクをして煙草を吸い込む。ぐっと肺が変な風に軋んだ。
「……っゲホッ、ゲホゲホゲホッ!」
「お、おい……!」
 むせかえる自分の背中を叩くヘルメッポ少佐に甘えて呼吸を整える。
「そ、それもドジか?」
「おれはドジっ子なんだ」
 ヘルメッポ少佐の視線がいぶかしげな顔になる。
「久しぶりに吸ったからかなァ」
「じゃあもう吸うのやめとけよ、おっさん」
「おっさんって言わないでくれるか? 心はまだ20代なんだ」
 ひえっひえっ、っと今度は素直に明るい笑い声が響いた。
「おっさん、おれと違って真面目そうだからすぐ雑用から昇進しそうだなァ」
 もう彼の中で自分はおっさんらしい。ロシナンテはがっくり肩を落としながらも、まぁいいかと切り替えた。彼なりの親しみだろう。
「いやァ、コビー大佐とヘルメッポ少佐には及びませんって」
「コビーはそうかもだけどさ。おれァたまにこれが重い。おれなんかが背負ってていいか迷う。でも、あいつが……」
 ヘルメッポ少佐の声が少しづつ小さくなり、彼は黙って煙草の煙を吸い込む。
「ヘルメッポ大佐も、麦わらのルフィに恩が?」
「はァ!?」
 ヘルメッポは目を向いて煙草を取り落としかけた。サングラスを持ち上げてロシナンテを睨み上げる。
「なっ、何だってあんなやつら! 別に、別に! コビーがバラしたのかあの馬鹿!」
 大慌てで否定しているものの、どうにも否定し切れていない。
「そういうのは軽々しく人に言うなっつってンのに」
 ぶつぶつと文句を呟きながらヘルメッポ少佐は細い煙を吐く。
 ロシナンテはポケットに折りたたんである手配書を思い出しながらヘルメッポ少佐に笑いかける。
「──おれも、そういう海賊がいるんで、ちょっと分かりますよ」
 少し緊張しながら告白すると、ヘルメッポは大きなため息を吐いた。
「分かってるよ。別にコビーを疑ってるわけじゃねェ。それで誤解されンのが嫌なだけだ」
 ロシナンテの緊張などつゆとも気がつかないヘルメッポ少佐は、目を丸くしているロシナンテに慌てて手を振った。
「──あ、おれが! おれがな!」
「……いい友達なんだな」
 そんなんじゃねェと、とヘルメッポ少佐が口を尖らせる。サングラスをかけた耳が赤い。
 その様子に、ふと後輩を思い出す。互いに切磋琢磨して上を目指していて、お互いの正義を大事にしていた。
 監査が入るんですって。あることないこと貶められないか心配。と相談されて、こっそり手回ししてやったことも思い出した。少しでも気に食わないとすぐに上官だろうと噛みつく後輩にロシナンテは内心ハラハラしたものだ。
 彼らの姿がヘルメッポ少佐とコビー大佐に重なって見える。
 彼らはずっと正義を背負って駆け抜けている。
 ロシナンテは含み笑いながら、目を細めた。
 誰もが別の正義を持ち、海軍という組織はそれをひとまとめにひっくるめている。
 ヘルメッポ少佐と話して初めてそのことに気づく自分に呆れる。
 ヘルメッポを呼ぶコビーの声に、彼はやれやれと首を振りながら月歩で喫煙所を去った。
 ロシナンテはポケットからローの手配書を取り出してもう一度煙草に火をつける。
 やはり、どれだけ眺めても彼への嫌悪なんてロシナンテの中にはどこにもなかった。
──おれにできることは、まだあるだろうか。
 ふわりと浮かんだその思いをロシナンテは今までとは違う気持ちで受け止めた。
 立ちすくんでいた足を、動かさなければならないような気がした。海の底に沈んでいても、水面に手を伸ばしても良いような気がした。
 フゥーと咽せないようふかしただけの煙は、強い風にあっという間に散る。ロシナンテは回廊の壁に長身を預けた。
「……そっか」
 生きているということは、いくらでもやり直せるということ。
 ロシナンテは初めてそれに気がついたような気がした。
 初めて目を開けたような新鮮な心地で内ポケットから折りたたんだ紙を取り出す。ぐしゃぐしゃになったそれをロシナンテはそれをびりびりに破いて空に放り投げた。空っぽになったその場所にこっそりと別のものを忍ばせた。
 清々した気持ちで笑う。
「おれは生きてる。つまり――まだ死ななくて良いってことだ」