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「G-5支部が見えましたよ、センゴクさん。午前中に着いて良かったですね」
「ああ、そうだな」
遠くG-5支部のある島が見える。
ロシナンテがセンゴクに報告に走ると、センゴクは重々しく頷いた。
海軍支部の船渠にはいくつか修理中の軍艦が見えていた。
数ヶ月前、パンクハザードで勃発したという戦闘の痕跡は未だ癒えているとは言いがたいようだった。
「ロシナンテさーん!」
「今行く! ではまたあとで」
「ああ。我々はここでコビー艦を降りる。──しっかりな」
「はい」
軽く敬礼をして踵を返す。
基地への着港準備に伴ってにわかに艦上は騒がしくなっていた。
ロシナンテも雑用として砲門を閉じたり、錨を降ろす準備に取りかかる。港には幾人かまだ包帯の残った海兵が着港の連絡を受けて手伝いに来ているのが見えた。
艦長であるコビーが威勢の良い指示を上げる。
「帆を畳んでください! 艦を港に付けます。ヘルメッポさん、主砲見ててくださいね」
「イエッサー!」
渡り綱に上る海兵に巻き方を指示し、ロシナンテもさっさと港の海兵に重いロープを投げ渡す。ロープを渡って港に降り港のボラードにロープを巻き付けて繋留するのを手伝った。幾度かひっくり返ったが、手際よく出来た方だろう。
港の海兵と協力してタラップを架ければ完了だ。幾度となく繰り返した着港作業を終えれば、ほっと皆の肩の力が抜けた。
基地に艦を止めさえすれば海兵の航海はひとまずはおしまいとなる。
ロシナンテもほっと息を吐いた。
新世界の航海ではどうしても本当に気を抜く余裕はない。
ロシナンテもまた久しぶりの偉大なる航路の航海でやはり体が重くなっているのを感じた。滲む汗を拭っていると、艦橋からコビーの声がした。
「みなさん、お疲れ様です! 出航は明日のお昼|一三〇〇《イチサンマルマル》になりますので、今日はゆっくりしてください。ぼくとヘルメッポさんは基地長に挨拶してきますので、それまで待機です!」
「ええ、おれもォ?」
「来てくださいよ!」
本当に仲の良い二人は月歩で艦を降りていく。
甲板から見上げれば雨は降っていないが雲のかかった薄曇りだった。
コビー大佐とヘルメッポ少佐が基地長への挨拶を終え、船員達にG-5支部で今晩間借りすることになる宿舎を伝える。
片手に収まるボンサックを担いだ海兵たちがどやどやと降りていく。
噂通りの荒くれのG-5支部の海兵は、扱いに慣れたベテラン海兵があしらっている。彼は元々ガープ艦の甲板長だったらしいのでさもありなんというべきだろう。
センゴクも既に艦を降りる準備を整えていた。
ロシナンテは知り合った友人たちに別れを告げてセンゴクの荷物を共に持って艦橋に向かう。
額を付き合わせて着港許可書や停泊、宿泊許可の書類をまとめていたコビー大佐とヘルメッポ少佐が振り返る。
「センゴク大目付、ロシナンテさん!」
「急に二人も乗り込んでしまってすまなかったな。コビー大佐、ヘルメッポ少佐」
「いえ、むしろロシナンテさんが来てくださって助かりました。ぼくが若輩すぎて、目の届かないところが多くて……」
「ガープ中将のところから来てくれた伍長たちが助けてくれてはいるんだが」
コビー大佐とヘルメッポ少佐がよく似た表情で頭を?く。
「そうだな。……さて、どうだった、ロシナンテ。艦内検査の結果は」
センゴクの視線を受け、ロシナンテはにやりと笑ってカツンとかかとを合わせて敬礼をした。
「はッ! 海軍本部雑用ロシナンテ、報告します」
コビー大佐とヘルメッポ少佐がぎょっとした顔でロシナンテを見つめる。
ロシナンテは生真面目な顔を整えたまま報告を続ける。
「大まかには文句なし! と言いたいところですが、本人の言うとおり、下士官に気の緩みが見られます。三等兵以下には基本のボンドとヒッチはこの航海の中でたたき込みましたが、ボーラインが危うい海兵がいてどうするんですかね。通常時の業務負担、非常時の指示系統は問題なし。衛生管理も最低ラインはクリア。厨房の食材管理もまあ問題ないと言えるでしょう。葉物野菜もっと欲しいところですけど」
「えっ、ええっ!?」
「つぎに新兵の総則暗唱、五人中二人しかできなかったのはいただけませんね。上級士官もいくつか解答できなかった規則がありました」
目を白黒させている二人に、つらつらと畳み掛ける。
「船底のバラスト変えたのいつです? 藻が生えてきてるから不衛生ライン一歩手前。そろそろ申請して交換した方がいい。横帆の一部に破れのこりが二箇所残存。一番大きいのが火薬の樽一つが湿気ったまま放置されて使用不可であること。この間のサイクロン後の点検の見落としですね。二重チェックが機能してない。使用時に気が付いてからでは遅いでしょう。使用不可の火薬は即時発見、即時廃棄!」
「うっ……! おっしゃるとおりで……!」
コビー大佐が反射的に呻き、メモをとりだして書きつける。ヘルメッポはあんぐりと口を開けてつらつらと述べられる監査項目を聞いていた。
「──ですが、船員同士の関係性は概ね良好。今まで見た中でもトップクラスに良く、連帯感も向上心もある。これは個人的意見ですが、雑用として働いていて一番働きやすい鑑でした」
「は、はあ……」
「以下、細かい項目は報告書にまとめておりますので、確認後1ヶ月以内に改善案を海軍本部監査室へ提出ください。以上ロシナンテ報告終了!」
再度踵を合わせ、額に当てた手を下ろす。
センゴクは笑いを噛み殺した顔でぽかんとした二人を眺め、ロシナンテもまた思わず笑いを堪えきれずに顔を背けた。
くつくつと笑うロシナンテとセンゴクにようやく我に帰ったヘルメッポがロシナンテを指差す。
「ど、どういうことだ!? おっさん雑用じゃねェのかァ!?」
「雑用だぜ。ちょっと任務頼まれてただけで。あー、久しぶりの監査任務、緊張したぜ」
敬礼を崩して肩を回す。
「……えええ??!?」
「もうちょっとおんなじ海兵でも警戒しような?、特にコビー大佐。少佐も警戒解くのが早いですよ」
「だっておっさんドジだしさァ! 雑用だと監査はしにくいって……!」
「ああ、雑用って潜り込める場所が限られてるから大変なんだ」
喚くヘルメッポ少佐に、呆然とするコビー大佐。
あまり手厳しいことは書いていないので安心して欲しいところだが、他の船員から話を聞いたところ自分がはじめての監査だったらしい。初めてなら、そんな顔にもなるだろう。
「どうでしたか? センゴクさん」
「概ね私の意見と同じだ」
「よかったァ……」
センゴクが満足げに頷き、ロシナンテはほっと胸を撫で下ろした。
頼まれていたのは艦内監査だが、もちろんそれはテストを兼ねているのは当然だった。センゴクの基準はクリアできたらしいことに安堵する。
「アンタ、何もんなんだ」
ヘルメッポが驚き疲れた顔で、ずれたサングラスからロシナンテを見つめていた。
ロシナンテは肩を竦める。
「海軍本部雑用のロシナンテですよ、ヘルメッポ少佐」
「昔から、私の耳や目の代わりを務めてくれた。私は潜入工作員としてはお前以上の海兵を知らんよ」
「センゴクさん……!」
珍しく手放しに褒められて、ロシナンテの頬が熱くなる。
「ドジっ子だがな」
「センゴクさん……」
からかい混じりのおまけにがっくりと肩を落とす。ドジっ子なのはもう生来なのだ。
センゴクはこほんと空咳をして笑みをしまい直し、厳しい上官の顔で二人を労った。
「明日はヤマカジ中将の艦と合流だろう。私が話をつけておくからもうあとはゆっくり休みなさい。改善案の書類も急がなくていい。体を休めることだ」
「はっ!」
「私たちは基地長に挨拶をしてから宿舎に行くぞ」
「はい」
艦橋から追い立てるようにして二人を宿舎に向かわせる。艦橋にいる限りずっと仕事をしていそうな真面目な二人にはこの方がいいのだろう。
彼らの背を見送り、ロシナンテはセンゴクに続いてタラップを降りる。
丁度風の吹いてきた正午に近い時刻。
港で大目付を迎える基地長から、懐かしい葉巻の匂いがした。
→三章 前を向いて